おいしい社会・歴史・文化 補足

■『知の生態学的転回3 倫理: 人類のアフォーダンス』2013 河野哲也 他
『生態心理学に基づくコミュニケーション理論の骨格をなす概念として、「知覚の公共性」がある。これは、知覚対象を特定する情報(不変項)は環境の中に実在するものであり、個別の知覚者の頭の中にあるものではないため、任意の知覚者がこの情報を探索・検知できるということである。』(本多啓)
この知覚の公共性が個人や時間、空間などを超える基盤となる。

■『コモナリティーズ』2014 塚本由晴 他
『それでは個は個であることを越えることができない。そんな個は貧しい。この風景に欠けているのは、世代の違いを超えて受け継がれ、主体の違いを超えてその場所で共有される建築の形式や人々のふるまいであり、それが反復されることにより成立するいきいきとした街並みや卓越した都市空間である。そうしたものの成立のためには、私たちは優れた建築を設計する偉大な個人にだけでなく、時代や主体の違いを超えた偉大な人々にならなければならない。偉大な人々の一部であると感じることができれば、自信と誇りが湧いてくるだろう。』
『いま京都で目にする町家の形式は江戸時代後期に確立したと言われていますが、それもそこから遡ること数百年、何代にも及ぶ試行錯誤を経た結果です。建築の「タイポロジー」という概念は、歴史的に形成されていまもそこにある、というような時間軸をもっている。そこには現代を生きる誰もがアクセスできる建築的知性が詰まっている。つまり誰もが利用できるという意味での共有性=コモナリティが、タイポロジーにはあるのです。』
『ヒトの個別性を想定しないほうが公共性が高いという認識も生んでしまう。でもそれは「空っぽの身体」であって、広場を使いこなすスキルをもった身体ではない。「空っぽの身体」を想定している広場は、パブリック・スペースの使い方を知っている人たちにとってはむしろ抑圧にあります。だから人は集まらないのではないかと思うのです。』(塚本由晴)
ここでも個人や時間、空間などを超えることが目指されている。また、「スキルをもった身体」を公共的に受け止めるのを文化と呼んでも良いだろう。ここでも個人や時間、空間などを超えることが目指されている。

■『応答 漂うモダニズム』2015 塚本由晴 他
『鍵となるのは、時代を超えて繰り返され、主体の違いを超えて反復される、人やモノのふるまいである。建築のように長い間、同じ形で留まっているものの相手には、繰り返される事物こそがふさわしい。』
『そこで、先の分離図式を捨て「共」からはじめるのがふるまい学の試みである。個に還元されず、共有可能性の高いふるまいに、どのように関わるかによって個や集団のあり方を位置づけ直すのである。』(塚本由晴)
建築の持つ時間のオーダーが社会や歴史、文化を埋め込むことを可能とする。

■時間と場所をとりもどす 2008 オノケンブログ
『素材の持つ時間のオーダーを組み合わせ人間のための時間をつくる。時間や場所を剥ぎ取ろうとする力に負けない強度を建築にもたせること。そしてその強度を武器に世界とつながること。』(太田)
今のモノづくりには時間や場所を剥ぎ取ろうとする力が働いてしまう。それに負けない強度を建築と論理の中に持たせる必要がある。

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