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Deliciousuness おいしい知覚

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2016年に書いたものを定期的に少しづつアップしていきます。この論の目的は、これまで学んできたことを生態学の知見のもとに相対化し、設計に関わる環境の中に知覚される対象として再配置… もっと読む
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2020年3月の記事一覧

おいしい素材 補足

■『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』 1979(翻訳1985)J.J. ギブソン 『環境の物質は識別されることが必要であり、識別するための有力な手段は物質の面を見ることによってである』(ギブソン) ギブソンは環境を媒質、物質、面の3 つの要素で示し、知覚される要素として面のレイアウトと特質に注目した。そして、面の生態学的法則として配置、粘性、凝集性、構成要素・肌理、形状、照明、吸収、反射、色などが動物に何をアフォードするかを整理している。ここでも動物が生きていくための意

おいしい姿勢・音・手触り・味と匂い・見え ~5つの知覚システムより

ギブソンは「基礎定位付けシステム」「聴くシステム」「触るシステム」「味わい-嗅ぐシステム」「視るシステム」の5つの知覚システムを持つとした。それらに対応したおいしい知覚がそれぞれ考えられるだろう。 その中でも大地と身体の関係を知覚する「基礎定位付けシステム」すなわち姿勢の知覚は他の知覚を含めたあらゆる活動の基準・基礎であり、それは重力とおおきく関連する。建築における姿勢とは、一つはそこにいる人間自身の姿勢であり、それが維持されて初めて他の知覚が可能となる。 もう一つは、建

おいしい姿勢・音・手触り・味と匂い・見え 補足

■『アフォーダンス-新しい認知の理論』1994 佐々木正人 『ギブソンは、脊椎動物は五種類の知覚システムをもつとした。一つは大地と身体との関係を知覚するためのシステムで、他のシステムの基礎となる「基礎的定位付けシステム」である。それ以外に「聴くシステム」、「触るシステム」、「味わい-嗅ぐシステム」「視るシステム」がある。感覚器官をもとにした古典的な分類である「五感」では、多様な知覚体験を説明できない。だから私たちは「第六感」などという神秘的な「感覚」の存在を仮定せざるを得なか

おいしい自然 ~自然を再構成する

光や雨・風・熱・緑、その他自然にある要素はそれ自体が生きていくための情報に満ちている。まず単純に自然そのものをどのように知覚させるか、ということが考えられるだろう。それに加え、自然の中にある情報の特質(不変項)を抽出し、それを建築の中にものとして再構成する、ということも考えられるように思う。 それは比例であったり、リズムであったり、肌理の特質であったり、さまざまなものがあると思われる。これは、以前「自然のかけら」という言葉で集めようと思っていたものである。

おいしい自然 補足

■『アフォーダンス-新しい認知の理論』1994 佐々木正人 『デザイナーは「形」の専門家ではなく、人々の「知覚と行為」にどのような変化が起こるのかについてしっかりと観察するフィールド・ワーカーである必要がある。リアリティーを制作するためには、リアリティーに出会い、それを捕獲しなくてはならない。』(佐々木) リアリティーを不変更として捕獲し、「知覚と行為」に変化が起こるように再構成すること。自然の中には、そのようなリアリティーが豊富に含まれているだろう。 ■自然のかけらを鳴ら

おいしい移動 ~あらゆる場所に同時にいる

知覚は今見ている世界の単一の写像ではなく、見回す、歩きまわる、見つめるなどの情報抽出の過程による恒久的なものである。 また、探索的移動によって動物は環境に定位できるという。それは、地形の鳥瞰図を意識の中に獲得するというよりは、環境内の不変項の抽出を通じて「あらゆる場所に同時にいる」ような知覚を得ることである。(その中で、現時点で見えるものは自己を特定する。) つまり、移動は生きていくための情報を得るための重要な要素であり、これまで書いてきたことと同様に、そこに意味や価値が

おいしい移動 補足

■『生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る』 1979(翻訳1985)J.J. ギブソン 『動物や人間はその生息環境に定位できる。』 『個体は環境に定位する。それは鳥瞰図を持つというよりも、むしろあらゆる場所に同時にいるということである。』 『自分の視点では隠れているが他人の視点では現れている面を知覚できる[…] もしそうならば、すべての者が同じ外界を知覚できる。』(ギブソン) これは知覚を瞬間瞬間の網膜像の連続と捉え、記憶の引き出しと合わせて処理するというイメージから抜け出さ

おいしい流れ ~探索モードのレイアウト

人が環境に定位でき「あらゆる場所に同時にいる」ような知覚を得られるとすると、その場所ごとの環境の質、もしくはそれぞれの探索モードを知覚することによって、全体の中に場の流れのようなものが知覚されるように思う。 探索モードとは例えば、見回す、歩きまわる、見つめる、立ち止まる、座る、触る、食べるなどと言ったあらゆる知覚に関わる探索的活動のモードであり、その場所の性質により特定されるものである。 建築を考える際に、この探索モードのレイアウトを考えることによって、場の流れが知覚され

おいしい流れ 補足

■『小さな矢印の群れ』2013 小嶋一浩 ここで書かれているように、建築の最小目標をモノ(物質)の方に置くのではなく、『<小さな矢印> が、自在に流れる場』の獲得、もしくはどのような「空気」の変化を生み出すか』に置いた場合、「探索モードの場」のようなものも「小さな矢印の群れ」の一種足りえるのではないだろうか。 私が学生の頃に著者の< 黒の空間> と< 白の空間> という考え方に出会った気がするが、この本の終盤では黒と白にはっきりと分けられない部分を< グレー> ではなく< 白

おいしいスケール ~橋渡しとずらし

知覚に関わる空間的スケール・時間的スケールは行動単位で考えればせいぜい日~秒、km~ mm の範囲だが、生物の進化、人間の社会や歴史、科学的技術の利用等を考えるとミクロからマクロまで限りなく幅広い。 前に書いた屋久島の体験では知覚の直接性に焦点を当てたが、都市部の日常生活における知覚スケールの幅広さと密度もかなり限定的なものになってしまっているように思う。 建築自体の空間的スケールや時間的スケールに加え、建築以外のスケールへと知覚のベクトルを変えるような働きかけができれば

おいしいスケール 補足

■スケール 2007 オノケンブログ 『10号線で休憩しながら帰ったのだけれど空を見るととても綺麗だった。 あたりまえだけれども空や海ってスケールがでかい。毎日の自分の生活のスケールだけに浸かっていると、それが世界のすべてだと錯覚してしまいそうになる。そんな時、空のスケールに触れると、自分のスケール感をリセットできる。時には空のようなスケール、時には小さな花のようなスケールに触れるのは大切なことだろう。自然の雄大さに比べたら建築なんて無力だなぁと思ってしまうこともあるが、日々

おいしい技術 ~意味や価値との出会い

ここでいう技術とは、環境から新しく意味や価値を発見したり、変換したりする技術、言い換えると、新しい仕方で環境と関わりあう技術である。(それが集団的・歴史的に蓄積されて共有される技術となる。) 人間は環境との関わりの中から技術を獲得していく点で他の動物に比べて突出している。技術そのものが意味と価値の獲得であるから、おいしい技術というよりは技術はおいしい、と言ったほうが良いかもしれない。 また、住宅など日常使いの建築の場合、常に意味や価値が新しく発見されることは難しいと思わ

おいしい技術 補足

■『知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』2013 村田純一他 『人間の環境内存在はつねに「技術的環境内存在」であったし、現在もそうである。本巻の主題は、この技術によって媒介された環境内存在のあり方を日常生活の中で出会う具体例に則して明らかにすることである。』 『例えば、私たちがそれまで危険で近寄れなかった火をうまく扱うことができるようになったり、あるいは、それまで何げなく見ていた木の枝を箸として使える道具とみなすことができるようになったりする過程は、新たなアフ

おいしいふるまい ~いきいきとしたモノたち

ここでいうふるまいとは、知覚や環境の調整などの環境との関わりによって生ずる現れのことである。これまで、主に人間が知覚するという立場をとってきたが、ここでは環境と関わりをもつものは人間に限らない。 例えば、窓やテーブル、階段、手摺などの建築の部位やモノ、都市における建築物や、光や風、雨といった自然など、さまざまなものの環境との関わりによる現れが考えられる。さらに、これらは文化や都市、歴史と言った個体を超えた時間のオーダーと、それに伴う公共性を持ちうる。 つまり、ここで書こう