おいしい自然 補足

■『アフォーダンス-新しい認知の理論』1994 佐々木正人
『デザイナーは「形」の専門家ではなく、人々の「知覚と行為」にどのような変化が起こるのかについてしっかりと観察するフィールド・ワーカーである必要がある。リアリティーを制作するためには、リアリティーに出会い、それを捕獲しなくてはならない。』(佐々木)
リアリティーを不変更として捕獲し、「知覚と行為」に変化が起こるように再構成すること。自然の中には、そのようなリアリティーが豊富に含まれているだろう。

■自然のかけらを鳴らす 2008 オノケンブログ
『ヒトのDNAの中には自然にあるものを” 美しい・心地よい” と感じるかけらが埋まっています。それを私たちは「自然のかけら」と名づけました。「自然のかけら」が共鳴し、ちりんとなった時に美しさや心地よさを感じるのです。建築が、そんな「自然のかけら」を響かせる楽器のようなものになれれば良いなと思いますし、そのための術を磨いていきたいと思っています。』
『構造はあきらかに” 自然のかけらを鳴らす楽器” の一つであるはずである。こういう流れは、つぎのような感覚の裏返しかもしれない。柱と梁をグリッドにくむようなラーメン構造のような考え方はそれ自体20世紀的で、大型のマンションのように人を無個性化しグリッドの中に押し込めるような不自由さを感じてしまう。ラーメン構造というのは不自然で(おそらく自然の中では見られない形式だろう)そういうものに何でも還元できると言う人間の傲慢さと、一度出来上がった形式を思考停止におちいったまま何度もリピートしてしまう怠慢さが現れているようで気がめいる。ある種の不自由さ、堅苦しさから、軽々と抜け出してみたい、というのが今の空気じゃないだろうか。』
『最近僕は、時間を呼び込むために空間的に単純であることが必要条件ではない、と感じ始めている。一見、饒舌にみえても、その空間に身をさらせば、自然や宇宙の時間を感じるような空間もありうるのではと思うのだ。 たとえば、カオスやフラクタル、アフォーダンスといったものが橋渡しになりはしないだろうか。『自由な秩序や関係性によって、音楽のように流れるように、軽々と抜け出してみたい』というのは今の時代や僕らの世代にある程度共通する欲求なんじゃないかと思うんだけども、ほんとのところみなさんどう感じているんでしょう。』(太田)
人間はアフォーダンスをはじめ、オートポイエーシス、フラクタル、比例など自然の原理に悦びを感じ追い求めてきた。それを捕獲し建築に埋め込むことで知覚の悦びにつなげることができるように思うし、ここで書こうとしていることもその試みの一つである。

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