おいしいスケール 補足

■スケール 2007 オノケンブログ
『10号線で休憩しながら帰ったのだけれど空を見るととても綺麗だった。
あたりまえだけれども空や海ってスケールがでかい。毎日の自分の生活のスケールだけに浸かっていると、それが世界のすべてだと錯覚してしまいそうになる。そんな時、空のスケールに触れると、自分のスケール感をリセットできる。時には空のようなスケール、時には小さな花のようなスケールに触れるのは大切なことだろう。自然の雄大さに比べたら建築なんて無力だなぁと思ってしまうこともあるが、日々の生活のスケールとマクロな又はミクロなスケールの橋渡しの役を建築ができればステキだろうな。』(太田)
大きな空のようなスケールも小さな花のようなスケールも身近にありながら日常からこぼれ落ちがちなものである。同様に時間にも日常からこぼれ落ちているスケールがあるように思う。それらを日常の中でふと出会えるきっかけを建築が作り出せればいいなと思う。

■『長谷川豪│考えること、建築すること、生きること』2011 長谷川豪『建築空間は人間の身体を守るだけでなく、身体感覚を拡張することもできる。その身体感覚の拡張には、現実世界のなかに新たな均衡関係を描く「余白のプロポーション」が大きく寄与するのではないか。僕が可能性を感じているのは、黄金比やモデュロールのような絶対的でユニヴァーサルなプロポーションではなく、さまざまな関係性を調停し、環境―建築―身体のあいだに新たな均衡、緊張関係をつくる、相対的でローカルなプロポーションである。ヒューマンスケールを固定化してそれを基準とするものではなくて、むしろヒューマンスケールの種類を次々に増やし、身体感覚を拡張する動的なプロポーションである。「余白のプロポーション」は混沌とした現実の外側に一旦出て、「美醜」を超え、環境を再構築し、現実世界を押し広げるためのひとつの方法である。』(長谷川)
生態学が動物からの視点を徹底し関係性に開いていくことを考えると、ここで延べられていることは非常に重要である。また、氏はこのプロポーションを都市との関係性にまで拡げており学ぶべき点が多い。

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