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素直な良い子のまま三十路

自作の自由律俳句を表題に短編を書く。
十二作目。約2200字。

「素直な良い子のまま三十路」


すごい、今季5着目のコートだ。

素早く視線を走らせ、すれ違いざまに全身のコーディネートをチェックする。
ピンク、ブルー、キャメル、アイボリーと次々異なる色、デザインのコートを披露してきた彼女は今日、ライトグレーのノーカラーコートを着ていた。
首元からタートルネックの白いニットが覗き、コートの裾から見えるスカートは濃紺、ラメが織り込まれた生地はおそらくツイードだろう。ショートブーツとバッグは黒で合わせてある。
今日はいつもより少し大人しい印象だ。「清楚系」「キレイめ大人女子」といったところか。
コートの裾から覗くスカート丈のバランスが完璧で、思わず口角が上がってしまう。
心の中で『流石ですね』と呟いて、ゆるめていた歩調を元に戻した。

満員電車から開放され、JRのターミナル駅を出て職場へ向かう途中ですれ違う、見知らぬ女性。
彼女のファッションチェックをすることが、私の朝の日課だ。
「愛されモテコーデ」「とっておきのデート服」「おさえておきたいトレンドファッション」などの文字が頭をよぎる20代前半向けのファッションで全身を固めた彼女は、通勤ラッシュの人混みの中で異彩を放っていた。

推定年齢は60代前半。
明らかに塗りすぎのファンデーションが皺やたるみを強調してしまって、若作りのはずのメイクが逆効果になっている。艶の無い髪は明るい色がまだらに染まっていて、白髪染めであることを隠せていない。
しかし彼女を決定的に目立たせているのは服装でも髪の色でもなく、その表情だった。

苦虫を噛み潰したような、しかめ面。
強烈な痛みに耐えている表情にも見える。
あるいは、数分前に親の仇を見つけたのに取り逃がした人のような。
もしくは、一歩進むごとに他人が吐き捨てたガムを踏む呪いにかけられた人のような。

見ているこちらが心配になるほど険しい顔で、彼女はズンズン歩いていく。春夏秋冬、晴れの日も雨の日も、隙の無いコーディネートに強張った表情。

その存在に気がついてから、私は人混みの中に彼女の姿を探すようになった。一体何着の洋服を持っているのか、同じ服を着ていることは滅多に無い。着回しのテクニックがずば抜けていて、同じ服に見えないだけなのかもしれないけれど。とにかく毎日のコーディネートに全力を注いでいるに違いない。そう確信させられる程、彼女は常に完璧だった。


毎朝、通勤路ですれ違うだけの存在。
普段は忘れている彼女のことを、オンラインショップで通勤用の服を物色している時にふと思い出した。

『あんなに可愛いお洋服を着ているんだから、もっと幸せな顔をしていても良さそうなのに。どうしていつも怖い顔をしているんだろう。』

考えて、そして思いついた。


彼女は毎朝、通勤であの駅に向かっている。
どんな仕事かは分からないが、辛い仕事に違いない。おまけにダサい制服の着用を強制されていて、それを着なければならないと思うと酷く憂鬱な気持ちになる。心底嫌だけれど、ルールだから仕方が無い。
自分を奮い立たせるために、大好きな可愛い洋服で武装する。戦闘服としてのファッション。年齢にそぐわないことなんて重々承知だ。でもこれは、自分の心を守るための鎧なのだ。だいたい、好きな洋服を着ることの何が悪いと言うのか。周囲から浴びせられる奇異の視線など気にしない。頭から爪先までカワイイで固めて、いざ出陣。向かう先は職場という名の戦場だ、自然に表情は険しくなる。


ひとしきり妄想し、勝手に作り上げた彼女の生き様に感動さえ覚えたが、勢いで自分の洋服選びの基準まで省みてしまい我に返った。
思い返せば、私は他人の評価を気にせず洋服を購入したことがない。可愛いなぁと思っても、自分に似合わないと思うものは避けてきた。恋人の好みで洋服の系統が変わったことも何度かある。
今だって無意識に職場の同僚達と似たような服を探している最中だ。


一度考え出してしまったら、洋服に限らず何をするにも周囲の目を気にして生きてきたような気がしてきた。
親や先生の言うことをよく聞く子供だったし、良くも悪くも目立たない存在として平和で平凡な人生を歩んでいる。
そんな私に対する周囲の評価は「大人しい」「素直」「良い子」。
今年で30歳を迎えたというのに、昔から受ける評価は全く変わっていない。学校でも職場でも、友達からも先生からも上司からも。
そして、それで良い、それが私なんだ、と思っていた。

でも、と考える。
毎朝すれ違うだけの、例の彼女がこんなに気になるのは、羨ましいからなのかもしれない。
もうはっきり言ってしまおう、彼女にあの服装は似合っていない。皺だらけの真っ白な顔を更に歪ませた初老の彼女に、愛されモテトレンド20代女子向けファッションが、似合うわけない。


初めは違和感しか無かった。それなのに、毎日見ていたらなんだか格好良く思えてきてしまって、彼女の人生の妄想まで展開してしまう始末だ。"悪目立ち"を体現したような彼女に、私は憧れているのかもしれなかった。



そうは言っても、あのスタイルは簡単に真似できるものじゃない。開いたままのPC画面に並ぶのは、大人しくて素直で、つまらない私に相応しい没個性的な洋服たち。
きっと私は「素直な良い子」を引きずったまま、"年相応"を追いかけて歳を取っていくのだろう。


放置していたPC画面がふっと暗くなる。
そこに映し出されたのは、眉間に皺を寄せた険しい表情で、思っていたよりもずっと老けて見える自分の顔だった。

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