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読書感想文②というかメモ

本日の本はこちら、

ウスビ・サコの『まだ、空気読めません』

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マリ共和国人のサコさんから見た日本について語られている本。
著者は、人間と空間のあり方を考察する「空間人間学」を専門としている。(面白い!)変に日本に媚を売っていない感じが私的には好印象だった。

・日本のコミュニケーションスタイルはノンバーバルな部分が非常に多い
・空気を読むは難しい

サコさんの疑問「元々空気を読む=相手への配慮だったはず。分かり合うことを諦めて人を避けたり、問題を先延ばしにする事が空気を読むことではないはずだ。」

①宗教観について
・無宗教なのに、どんな宗教にも共通する共同体維持の機能が日常生活の実践の中に浸透していて、それがそれぞれの宗教規範とほぼ矛盾していないのがすごい!

・外国の宗教コミュニティ≒日本の地域コミュニティ?
・無宗教コミュニティの包容力
宗教的な柔軟性や寛容さを持っている日本のコミュニティでは異なる宗教同士の共存が可能

②おもてなし
マリ流おもてなし・・・ゲストを家族や友達のように受け入れる文化で、とてもカジュアルなもの。親戚のような末長い関係に発展することもある。

日本流おもてなし・・・できるだけ個人を出さず、上辺でこなす部分もある。ホームステイ先でおもてなしのプレッシャーを感じた。説明しすぎてしまうと奥ゆかしさが損なわれてしまうのは事実だが、そもそも相手に伝わらなければ意味がない。自分たちの出したいものを自分たちの出したい形で一方的に出すのがおもてなしなのか?

マリさん「おもてなしとは作業的にこなす形式やパターンではないし、義務でも、その場限りのものでも、一方的に押し付けるものではない。一人の人間として向き合い、素直な気持ちでコミュニケーションを取ることが本当のおもてなしではないか。」

③花見
・花見とはそれ自体が目的ではなく、コミュニケーションの場。
四季というものがどれほど日本人の精神や振る舞いに大きな影響を及ぼしているのかを目の当たり。
・春=1年の始まり、新しい、という概念が面白い
・「新しいことに挑戦する勇気」「やり直せる感覚」が集約される桜の季節

④マナー
ルールやマナーをしっかりと守るが、逆に言われないと人を助けたり、臨機応変に対応できない部分もある、指示されなければ行動に移せない?
例:電車のアナウンスで何度も「お年寄りや体の不自由な方に席を譲る」「携帯電話はマナーモードにする」と流れる

・多くの日本人はルールへの執着が強すぎ、また状況に応じて柔軟に交渉する事が苦手なのかもしれない。

・日本人はパターン化された「空気」を読む力には群を抜いて長けているが、その空気に身を任せる事がほとんどのため、その場その場で起きている個別の状況へ柔軟に対応する経験は詰めていないのかもしれない

・日本ではマナーが他者への気遣いや共生の作法ではなく、「他人の目」や「空気」となっている

・日本では子供同士で学びあえば済むような話も、いちいち学校を経由する。しかし、そうするとルールだけが増加、定着して言って、子供が自分で考えたり、本当の意味でのマナーを身につけたりする機会が奪われる

・他者の目が無いとルールが機能しないため、ルールを守る事自体が目的化してしまい、誰も見ていないところではルールを破っても構わないという思考が根付いてしまう。ルールに依存しすぎると相手のことを想像したり、状況を的確に捉えたり、責任をもって行動する能力が育たない。主体的に判断し、臨機応変に行動するしなやかさが大事

⑤観光地
日本人は自ら率先して決断することを避ける一方、他人に指示されたら過剰に推し進める傾向がある。納得してなくても実行する
⇨日本の観光地は、保存ー活用、生活ー観光、本音ー建前といった矛盾が凝縮された土地

「外国人のマナーについて文句を言うなら、マナーが分かるように注意したらいいやん!」
⇨全てが空気の中で漠然と進められてしまうから、議論すべき事が放置されたままになってしまう。そしてどうしようもなくなってしまった状況になってからようやく、自分はそれを望んでいなかった、誰々のせいだ、と責任転嫁する。

妄想する観光地
「外国人のためにこんなに努力して準備したのに、あいつらには全然伝わらない」と言う日本人の不満をよく耳にする。「先回り」の気遣いは実際はほとんどが、想像に想像を重ねた非現実的な妄想になっている。
⇨英語でなんでも説明書を作るのではなく、コミュニケーションをとって教えてあげてほしい

顔が見え、本音を言い合える場所を育てていくことこそ観光地としての魅力を保ちながら、活発なコミュニティを維持していける道なのではないか。トラブルが起きる事が問題ではなく、トラブルが起きた時に本音でのコミュニケーションが取れないことが問題!

⑦外人
日本人は「外人カテゴリー」に外国人を分類しがち
⇨日本語を話すと「日本語上手いですね〜!」

日本は歴史や文化によって人や物事をカテゴライズしてきた面が強い
「郷に入っては郷に従え」と言うのも一つの真理だが、日本人も互いに寄り添ってお互いの価値観や習慣を認め合い、学び合う事が求められているのではないか

⑧日本人
日本では全てが一つのフレームに統一されがち。厚生労働省の管轄にある保育所や文部科学省の管轄にある幼稚園、学校の掲げる理想像が、地域にも家庭にも浸透していく。
→近代国家や国民国家においてはフレームを一本化する方が効率的で都合が良かったから?

親子の距離感
マリ→基本的に大家族&一夫多妻制の家庭もあるので親は子供の世界には深く介入しないで適度な距離を置くのが基本。
なので子どもはある程度早く自分でいろいろなことができるようになる

日本→全てが子供を中心に回ることが多い。親の時間もライフスタイルも全部子供のために調整される。社会が作り上げた理想像が親への重圧に。
子供ではなく社会が親を苦しめている?
「社会のフレームに収まらない人間に成長したらどうしよう?」
→子どもをレールやフレームに載せるようになる。
→これからはマルチフレーム、分人の感覚を養うことが大事では?

オランダの社会心理学者は多文化社会について論じる中で
「人間性ー文化ー個性」という3つの層をモデル化

人間性ー人間が普遍的にもつ性質
文化ー学習によって身につけられる集団的な現象
個性ーそれぞれの人に特有なもの
⇨個性は人間性と文化の両方の影響を受けて育つ

日本人というフレームはあくまで「文化」。
絶対的な性質ではなく後天的に身につけるもの

「外国にルーツを持つ子ども」と呼ばれる子どもは「日本人」という幻に取り込まれ、もともともっていたフレームや個性を放棄しなければならなくなる。
⇨でもそうではない。フレームを同化・吸収するのではなく多様なフレームを認め合う社会が美しい世界なのではないか

終章:空気を読む

「親しい(close)と同時に閉ざされている(closed)」都市空間の細分化が進み、それぞれのコミュニティ内での親密度が高まれば高まるほど、排他性が強くなる。
⇨自信の喪失に他ならない。社会から切り離される不安があるからこそ、内輪の習慣や感情を共有することによって「絆を確認し合い閉じていく」。
そして少しでも自分と異なる人間を見つけたら排除する。

習慣や風習は元々はなんらかの信念や必然的な理由から生まれたにもかかわらず、仲間かよそ者かを見分けるための踏み絵と化す。お互いに監視し合う中で、本来の目的を見失い、もはや型を守ること自体が目的かしていく。

空気を読むことも、元々は他者への配慮から生まれた工夫だったはずが、その空気が無自覚的に他者を排除し、内側に逃げ込むために利用されてしまっている。

空気ー無形、経験の蓄積によって解読できる抽象的な暗号
空間ー有形、身体的な体験を生み出す具体的なスペース
⇨コミュニケーションを媒介し、円滑にするという意味では、「空気」も「空間」も本来は同じファシリテーションの機能を持っているのでは

!感想&これから実践すること!

・日本人だからこそ今まで疑問を感じなかった文化や慣習についても知る事ができた。海外から見たら日本ってこんなにも難しい国なのか(笑)自分でも聞かれた時に言語化できるように、日本のことについて少しずつ知って種を蒔いていきたい。

・形式ばったおもてなしではなく、相手をどう楽しませるか、どう楽しい時を過ごせるかを考える!

・いろんな物事をフレームありきで考えないようにする!外国人の友達にもできるだけ普通の友達のように接してみる、無理に日本のフレームを押し付けない。

・ルールやマナーの根本の意味を考えて自分の倫理観にあった行動をする

以上!図書館で新着の本として入っていて読んだけど面白かった〜
省いているところもあるから気になる人は読んでみてね〜

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