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誰が地獄に行くのか?Vol.0-序章-


あなたはなぜ教会に通うのか? ”神様を信じるため"

なぜ神様を信じようとするのか? ”救われるため”

なぜ救われようとするのか? ”地獄に行かないため”

どうやって救われたのか? ”イエス・キリストが十字架で血を流し、人間の罪、即ち私の罪を取り除いてくださった救い主であることを信じて” 

”それが全てか?”  ”永遠の命を得て、新しい世代で永遠に行きながら安息の日を送るために...”

ここまで良心的にしたがって答えたのなら聖書の通り救われたとおもわれる。

地獄は刑罰の場所であり(マタイによる福音書25:46)また、地獄は苦痛の場所であり(ルカの福音書16:23)さらに、地獄は火で燃える熱い場所である(マタイによる福音書13:42)。地獄は罪びとが、自分の父である古き蛇の元の姿に戻される場所でもある。

地獄は彼らの蛆(うじ)も死なず、火も消えない場所である(マルコによる福音書9:44,46,48)                                                                地獄は人の魂が行くところであり、その中に閉じ込められている人々はお互い見分けられる。  
『燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう』マタイによる福音書13:42 

彼らは苦痛を耐えきれず、助けを求めようと泣きわめくだろうが、彼らの祈りは答えられない。

『からだは殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。』マタイのよる福音書10:28

地獄は、煙、闇、刑罰、苦痛、炎、うじがある実在する場所である。じごくは、牢獄のように刑期が決められた場所ではなく、永遠に続き、霊が生まれ変わることもできず、魂が救われないまま死んだ者が行く場所である。

『一度死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように』ヘブル人への手紙9:27 

この審判が地獄の審判だ。

『二度と帰って来られない暗黒の地と死の影にわたしが行ってしまう前にそうしてください。その国の暗さは全くの闇で、死の影の地には秩序はなく、そこでは光も闇のようだ。』ヨブ記10:21,22)

なぜイエス・キリストは、天の御座を捨てて世に降りて来られ、人間の体を着、十字架に架けられ、血を流して亡くなられなければならなかったのか?その目的は父なるかみさまのご計画を成就するためだと、聖書が明らかにしている。

『ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらの物を備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり惡魔を御自身の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを開放なさるためでした。』ヘブル人への手紙2:14,15
『次いで、「神よ、ご覧ください。わたしは来ました。みこころを行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを滅ぼされるのです。みこころにもとづいて、全ての人のために、ただ一度イエス・キリストの体がささげられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。』ヘブル人への手紙10:9,10

 イザヤ書は66章あるが、聖書を真剣に学んだクリスチャンはなぜ、神様がイザヤ書に聖書の66巻を込められたかがわかるようになる。それはイザヤ書66:24の最後の節を読むと、自分の罪を購われた神様に子達が新しいエルサレムで永遠に生きることと、地獄に行くようになれば滅びるということをおっしゃっている。

『しかしその人は、死人がそこにあることを知らず、彼女の客は地獄の深みにおることを知らない。』箴言9:18
『「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前に長くとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまる」と主は言われる。「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。』イザヤ書66:22、23

新しいエルサレムで永生を享有できない人々については『彼らは出て、わたしに逆らう人々のしかばねを見る。そのうじは死なず、その火は消えることがない。彼らはすべての人に忌みきらわれる。』イザヤ書66:24 とおっしゃているが、この言葉が新約聖書で3回も繰り返し記録されている。

『地獄では、うじがつきず、火も消えることがない』マルコによる福音書9:44,46, 48

しかし、日本語の新改訳聖書や新共同訳聖書には44節と46節が削除されている。なぜ、彼らはそのようなとてつもない罪を犯したのだろう?地獄を弱化させ、決して満ちることのできない刑罰の場所であり、苦痛の場所であり、熱い炎の消えない場所へ行かせる為に悪魔のしもべとなったのである。

人々はうっすらと死後のことを心配して世の中の宗教のうち一つに心を寄せて熱心さを出そうとする。しかし一つ知るべき事は、宗教は、神様の裁きの前でどのような影響力をだせるだろうか?この世には数千万巻の本があり、名も知られてない多くの宗教があるが、人の死後の生き方について正確に記録されている本は聖書のみである。だから聖書を知らなければ、地獄の実態を知ることもできないので信じる事もできない。聖書を信じるためにはまず生まれ変わらなければならない。聖書は宗教についてこう話している。

『他のだれによっても、救いは得られない。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない』使徒4:12

イエス・キリストを救い主と信じ、受け入れることによってその人の霊が生き返り、魂が救われれば地獄には行かない。しかし信じようとしない人々は、アダム以来、今日までその道に従わず広い道を好む。沢山の人々が日々刻々と地獄へ向かっているが、しかし、人間の底知れぬ欲望のように広い地獄は、まだ罪人で満たされてはいない。

『地獄と滅びとは決して満ちることなく、人の目も決して満足することがない』箴言27:20

教会に通うだけで罪の刑罰と地獄の審判から免除されるのではない。イエス・キリストを救い主と信じ、生まれ変わることによって神様の子になり(ヨハネによる福音書3:16)、ようやく地獄の刑罰から救われることである。


著:イ・ソンオ牧師(Bible Baptist Church)『誰が地獄に行くのか』

こちらの記事はイ・ソンオ牧師著の『誰が地獄に行くのか』を日本語に翻訳したものです。全7章のうち、今回は序章の翻訳を載せました。

地獄へ行かない方法とは:『神様の簡単な救いのご計画』

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