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1,974年生。幼少期を昭和、平成で青年期と成人期を、そして令和を壮年期として過ごす人…

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1,974年生。幼少期を昭和、平成で青年期と成人期を、そして令和を壮年期として過ごす人生について、何かしらの意味を考えたい。激変する世界と社会の中で、少しでも未来の見通しと自己の在り方を求めたい、しがない高校教員です。よろしくお願いします。

最近の記事

先生、そんなことはお気になさらず 

 「君には何も指導してあげんかってすまんかったね。」  修士終了後、何度かお会いした時の田渕先生の口癖である。僕は決まって「そんなことないですよ。」と真剣に告げた。しかし、先生の意識は、僕が修士2年間で何を学んだかということよりも、指導教官として、私に対し充分に「指導」ができなかったことにあるようだった。  以下に先生の思い出を記しておきたい。  先生と修士生で全国社会科教育学会、広島大学へ行ったときのこと。学会の重鎮教授の基調講演が先生の気に障ったらしく、突如、先生は

    • ちょっと変 否 かなり変

       以下の記事を共有させてください。  以下の記事で取り上げられている結果を、どう考えればいいのか戸惑ってます。ずっと以前から日本の若者はそんなものなのか。それとも、歴史的経緯の中で、最近がそうなのかわかりませんが、ちょっと変じゃないですか。否、かなり変だと僕は思っています。みなさんはどうでしょうか。  問題の所在はどこにあるのでしょうか。複合的であろうことが想定されますが、自分の立場から、あるいは子どもの親として、地域コミュニティの一員として、一人の日本人として、考えてい

      • 鬼は私たちではないか~『鬼滅の刃』私論

        【以下、ネタバレ注意。】 「君と俺が何の話をする?初対面だが俺はすでに君のことが嫌いだ。」 「そうか。俺も弱い人間が大嫌いだ、弱者を見ると虫唾が走る。」 「俺と君とでは物ごとの価値基準が違うようだ。」  映画『鬼滅の刃・無限列車編』終盤の一幕。炎柱、煉獄杏寿郎が、十二鬼月上弦の参、猗窩座に遭遇した最初の会話。この後、猗窩座は杏寿郎に「鬼にならないか」と誘う。鬼になれば死ぬことはない、と。 「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこ

        • 来年7月東京五輪開催?

          https://real-sports.jp/page/articles/457110572354241339  当事者不在で議論もない、オリンピック開催に向けた動き。その意味でこの記事には賛同するが、当事者とは、五輪要人の思惑とミッションに動員されるすべての人であり、私たちである。その観点から、「できない理由を探すのではなく、できる方法を考える」的な考えに、およそ8か月後のオリンピック開催は、あてはめていいのだろうか。  例えれば、被害が想定できない台風の接近が危ぶまれる

        先生、そんなことはお気になさらず 

          パチンコ店と劣情

           休業を自粛する要請が自治体から出されるなか、営業を続ける店、特にパチンコ店が槍玉にあがった。ある首長からはじまった店名公表の予告。そして実行。これらの行為の動機には、感染予防という看板の裏に、①市民通報、ゆえに②支持培養が確実にある。  ①は行為としては正当であるが、そこに妬みや嫉みを感じ取ってしまうのは、私だけだろうか。「わたしたちは自粛しているのに(我慢)、あの人たちはしていない。」(妬み嫉み)。であるならば、これを「劣情」と言おう。②はその劣情を利用した支持培養行為で

          パチンコ店と劣情

          足立区綾瀬②~公園・羨望

           綾瀬は地下鉄千代田線の沿線にある。約20分で都心部、逆に数駅行くと千葉県である。朝のラッシュ時は日本一の大混雑と言われ、駅のホームは狭く、人があふれかえる。もちろん、このことは綾瀬に住みはじめてから知った。 1993年、私はアパートから駅までの舗道を、途切れることがないかに思えるような、通勤通学する人々の一人として歩いていた。ベルトコンベヤーに乗るかのように、電車に乗った。その電車が出るときは、アルバイトの駅員がドア近くの乗客を押し込んでいた。実は、何もその電車に無理に乗る

          足立区綾瀬②~公園・羨望

          足立区綾瀬①~追憶の散歩

           1993年、私は東京の足立区綾瀬で1年間暮らしていた。その後、1度もそこを訪れたことがなかった。東京に行くことがあっても、綾瀬自体が下町外れのただの住宅地で、再び訪れるような機会がなかったからである。  2月のある日の午後、およそ30年ぶりに綾瀬駅に降りた。駅からの外観も、舗道も変わりなく、他の沿線にありがちな住宅地のままである。駅周辺は人通りが多いが、少し外れると静かで、舗道の狭さもあり、車も少ない。私は、かつて住んでいたアパートへの道を辿り、周囲を見回しながら、ゆっくり

          足立区綾瀬①~追憶の散歩

          葛飾区立石~不愛想という愛想

           1泊での東京旅。13時15分ごろ京成立石駅下車。駅前の商店街にある、もつ焼屋さんへ。大行列。運よく1時間後開店の1回転目の最後日で入店。  金曜日の昼間、年配の方が多く、昼間から飲酒。「タン・赤いの・お酢」。慣れた口調で手際よく頼む、ほぼ常連だけの空間。ご近所さん?何をされている方???。いろいろな疑問が心に渦巻く。  店員さんは昨今の「ホスピタリティ要求」の風潮も、なんのその。これが江戸っ子なのかどうか、わからないけど、「不愛想な愛想」が、私には心地がよい。  火照

          葛飾区立石~不愛想という愛想

          ムラ人を超えて

           「地球が一つの村のように、国境や階層を超えて、多様な人々が多様なつながりを持つ社会が実現する。」  今から20数年前(1990年代後半)、インターネットが普及しはじめた。少なからず人々は、世界や地域、人類の未来を、希望や夢を、このように語った。  一方で、少数ではあるものの、このような意見もあった。 「人はますます見たいもの、聞きたいもの、触れたいものしか興味を示さなくなり、地球はバラバラのムラに分断されるのだ。」  かつて地球上のほとんどの人間は「村人」として居住し、

          ムラ人を超えて