足立区綾瀬①~追憶の散歩

 1993年、私は東京の足立区綾瀬で1年間暮らしていた。その後、1度もそこを訪れたことがなかった。東京に行くことがあっても、綾瀬自体が下町外れのただの住宅地で、再び訪れるような機会がなかったからである。
 2月のある日の午後、およそ30年ぶりに綾瀬駅に降りた。駅からの外観も、舗道も変わりなく、他の沿線にありがちな住宅地のままである。駅周辺は人通りが多いが、少し外れると静かで、舗道の狭さもあり、車も少ない。私は、かつて住んでいたアパートへの道を辿り、周囲を見回しながら、ゆっくりと歩いた。
 正確には覚えていないが、6畳一間の風呂なし。家賃は4万円もかからなかった。駅から5分ちょっとの細い路地の中にあり、古いモルタルの2階建て4部屋の2階奥。アパートの隣りに家主の老夫婦が居住し、月1回家賃を払いに行った。家主は60歳そこそこ回っていたと思う。矍鑠とした方で、べらんめえ口調の東京弁に慣れない私は、どこか威圧感を感じたことを覚えている。もちろん、私自身が田舎から上京したばかりの19歳だったということも大きいだろう。
 アパートはなかった。
 かつてのアパートと家主の土地に、新しくモダンな、新婚の夫婦が一時暮らすような、お洒落なハイツらしいものになっていた。「そりゃそうよな」思わず、心で呟く。すぐに、家主夫婦が気になった。もうお亡くなりになったのか。念のために周辺の家の表札を見るが、同じ姓はなかった。
 おもむろに歩き始め、記憶を辿りながら向かった先は、2日に1度通った銭湯であった。歩いて5分ちょっとのところにある。はじめてその銭湯に入った時、その熱さに驚いた。その瞬間、「江戸っ子は熱い風呂を好む」と聞いたことを思い出し、ある意味で一つの東京体験であった。
 銭湯はなかった。
 住宅地としての街並みは何も変わらないように思えるが、かつての自分のような風呂なしの住宅は、最早なくなったということだろう。
 再び駅に戻るように、路地の角を見回しながら歩き続ける。よく買い物に行った東急スーパー、イトーヨーカドーは変わっていない。よく行った安い中華料理屋、母の上京の際に、ごちそうになった焼肉屋、たまに行ったレンタルビデオ屋は、なかった。居酒屋やコンビニ、その他のお店は、こんなにたくさんあっただろうか。判断がつかない。街の細部にも記憶がない。それにしても、どういう経緯でこの街を選んだのか。思い出そうとしたが、それさえも覚えていない。10代最後の1年を、ここで過ごしたにもかかわらず、時間が経ちすぎたせいだろうが。懐かしさよりも、儚さと寂しさが込み上げてきた。
(つづく)

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