足立区綾瀬②~公園・羨望

 綾瀬は地下鉄千代田線の沿線にある。約20分で都心部、逆に数駅行くと千葉県である。朝のラッシュ時は日本一の大混雑と言われ、駅のホームは狭く、人があふれかえる。もちろん、このことは綾瀬に住みはじめてから知った。
1993年、私はアパートから駅までの舗道を、途切れることがないかに思えるような、通勤通学する人々の一人として歩いていた。ベルトコンベヤーに乗るかのように、電車に乗った。その電車が出るときは、アルバイトの駅員がドア近くの乗客を押し込んでいた。実は、何もその電車に無理に乗ることはない。発車後すぐに次の電車が入線するのだから。私の生まれ育った町の駅は、30分に1本の本数である。一方、ここは3分に1本である。しかし、次の電車も度を超す混雑ではあるのだが。田舎しか知らない私にとって、東京は、いろんな意味で規格外であった。おそらく、その朝の姿は変わっていないだろう。   
 そういえば、帰宅時に駅の階段で、貧血を起こし、座り込んだことがあった。誰も声を変えてくれる人はいなかった。しばらくして立ち上がり、アパートに問題なく帰ったが、そこはかとなく、心細くなった。これだけ人がいるのに、圧倒的に大多数の見ず知らず人のなかで、手を差し伸べてくれる人がいない現実が怖かった。

 私のアパートがあった駅の南側を、ひとしきり歩いた後、高架下から駅の北側に抜けた。そこには細長い緑地帯のような公園が、昔と変わらず、今もあった。隣には小学校がある。古びた校舎の外観は変わっていない。時計は16時を回っている。公園のベンチにはお年寄りが座っている。舗装されている園内には、子どもたちが溢れ、遊びまわっている。この光景も昔と変わらない。かつて、この光景を横目に、何かに気に留めることなく公園を横切っていたはずである。しかし、今は全く異なる新しい印象を持った。
まず、愕然とした。そして、はじめて、この公園のベンチに座った。座った後、愕然とした理由を、子どもやお年寄りを見ながら、考えた。何度も見ていて、知っていたはずなのに、はじめて何かを発見したかのような感覚。平日の夕方、大人も子どもも、どこからかあふれ、思い思いに戯れている光景とその密度に対してである。今、目に見えている光景は、今の私の田舎の日常には、ない。
 田舎に人がいないのではない。外にいないのである。子どもが外で遊ぶ姿もない。息子の楽しみは、たまに友達の家に行ってゲームをやらしてもらうことだ。最近は、友達同士で通信ゲームをやって、集まることも少なくなっているらしい。自然に恵まれているが、そこに人はいない。お年寄りも外にいない。人がいても、密度がない。田舎こそ、集わない。
 田舎の移動は、車である。私の職場の近くの小学生は、ほとんどスクールバスで通学している。私の子どもも含め、週末は親の車で出かけることがほとんどで、友達同士で遊び歩くこともほとんどない。先生たちは子どもたちの運動不足に気を使っていると聞いた。
 一方、都会はどうか。電車やバス、自転車を利用しながら、階段や坂道の昇り降りの連続である。買い物や幼児の送り迎いをする女性も、頻繁にそばを通る。下校中の中高生が駅から帰路を歩いている。生活することと歩くことが結びついている。都会こそが人の機動性にあふれている。そう考えていると、田舎の生活こそ、何かしら怠惰にさえ感じてくる。
 東京(都会)は、空気も悪く、上京した1か月は、咳が続いた。人は多いが、孤独もつきまとう。物価は高く、自然が少ない。およそ、子どもの成育環境やお年寄りの生活には、不向きなところ。当時も、その後も、そして、ここに来るまで、そう思っていた。しかし、公園で元気よく戯れ、はしゃぐ子どもたちの光景を見ながら、自分の子どもたちが、この公園で遊ぶ一人であってほしかったと、素直に思ってしまった。こんなことを記すと笑われるかもしれないし、うわべだけのことかもしれない。しかし、愕然としたこと、素直に羨望してしまったことは事実である。

 17時過ぎ、平日の綾瀬駅のホームから、どこまでも続くような住宅地を眺めた。かつて、ここにやって来た。1年間過ごした。今、ここに来てもほとんどのことは忘れていた。しかし、あの頃、憧れてやってきた東京に、今、再び、違う思いで羨望している。およそ30年が過ぎて、見えるものが異なっていた。言葉にできない複雑な想いで、電車に乗った。

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