鬼は私たちではないか~『鬼滅の刃』私論

【以下、ネタバレ注意。】

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「君と俺が何の話をする?初対面だが俺はすでに君のことが嫌いだ。」
「そうか。俺も弱い人間が大嫌いだ、弱者を見ると虫唾が走る。」
「俺と君とでは物ごとの価値基準が違うようだ。」

 映画『鬼滅の刃・無限列車編』終盤の一幕。炎柱、煉獄杏寿郎が、十二鬼月上弦の参、猗窩座に遭遇した最初の会話。この後、猗窩座は杏寿郎に「鬼にならないか」と誘う。鬼になれば死ぬことはない、と。

「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく、尊いのだ。強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。この少年は弱くない。侮辱するな。何度でも言おう。君と俺では価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にはならない。」

 『鬼滅の刃』の鬼は、元々、人間である。登場する多くの鬼にも「人間であった過去」があり、作中に挿話される。その過去は物悲しいものであり、私たちに同情を誘う。鬼たちは、自らの人間としての「生」を肯定できず、妬みや嫉み、自らの弱さ、恨み、いわば劣情やある意味での損得勘定を、鬼の始祖、鬼舞辻無残につけこまれ、永遠の生を引き換えに鬼となったのであった。

 杏寿郎の強さを認めた猗窩座は、戦闘中においても何度も誘う。杏寿郎の最期に至ってもなお、その剣技と死を惜しんで誘う。しかし、杏寿郎の価値基準はゆるがない。たとえ、人間では鬼には勝てないと言われても、たとえ、いつか鬼に人間が食い尽くされるのだとしても。

「俺は俺の責務を全うする。ここにいるものは誰も死なせない。」

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 杏寿郎は数ある柱や鬼殺隊員の中でも、例外的な一人である。ほとんどの柱や鬼殺隊員は、身内が鬼に喰われた遺族であるが、杏寿郎はそうではない。鬼の討伐への彼の動機は、彼自身の「倫理観(善悪の基準についての見方・行動や秩序に対する規範意識)」にある。その拠り所は、炎柱の家系に生まれたことと、母の言葉である。

 「なぜ自分が人よりも強く生まれたのかわかりますか。それは弱き人を助けるためです。生まれついて人より多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で、人を傷つけることは、私腹を肥やすことは許されません。」

 本当の強さとは何か、人の美しさとは何か。
 杏寿郎の行動と最期の言葉、その死は、主人公である炭次郎、仲間の善逸、伊之助にインスパイアされ、幕が閉じられる。


 私たちにとって、今、生きている現実、そして未来は変化のスピードが速く、不透明で不確実なものになっています。そのため、従来の価値や常識は見失われやすく、移ろいやすくなっています。それでも、人間はその変化に適応していくでしょう。しかし、適応の仕方は人それぞれ異なるために、価値や常識も、より一層多様化していくでしょう。結果、集団としての人間社会に統一感がなくなり、個々の人間も断片化されバラバラで、同じ言葉を話していても、心が通じないことが当たり前になっている/いくかもしれません。
 そのような中で、『鬼滅の刃』はかつてないほどに大ヒットしました。大人子ども、男女を問わず、多くの人の心を揺さぶりました。私もその一人です。この意味は、非常に大きいと思います。なぜ私たちは『鬼滅の刃』に心を揺さぶられたのでしょうか。もちろん、精緻で綺麗な画、豪華な声優陣など、アニメ好きにはたまらない細部もあると聞いています。しかし、その答えの一つは『鬼滅の刃』と私たちの現実の中にあると私は思います。
 人間の劣情や損得勘定が、永遠の生を手に入れ、姿を変えたのが鬼でした。つまり、鬼とは人間の別の姿です。その鬼は物語のなかで、人間を憐み、見下し嘲笑しています。鬼が強者で、人間は不完全な生き物であり弱者だと。一方、柱や主人公たちは人知れず何のために戦っているのか。単に私的な復讐でしょうか。私には杏寿郎が言った「価値基準」という言葉に引っ掛かります。杏寿郎が生死を分かつ戦いに賭けていたものは、恨みでも、肉体の強弱でもなく、そして自らの命でもない。それは「価値基準」であり、先に私が言い換えた「倫理観」だと思われます。作者が描いたこの物語は、人間と人間の価値観の戦い。つまり、暗に作者がこの物語で私たちに突きつけたものは、実は、鬼は私たちではないかということではないでしょうか。

 この人間同士の価値観の戦いの結末は、きっと一方の人間の「倫理観」の勝利となるはずです。その倫理観は、今後も物語の続きの中で、主人公や仲間、柱たちの行動や言動によって明らかになるでしょう。私たちが心を揺さぶられるのは、ますます劣情や損得勘定が幅を利かせバラバラになる、まるで鬼が巣くう人間社会において、見失い、失われそうになっている人間としての倫理観。人知れず、強きものが当たり前にように弱きものを助け、お互いが共感し、感染(インスパイア)しあい、そんな仲間とともに生き抜いていく人間関係の在り方にあるのだと私は思いました
 
 マンガを読むのも何年ぶりだったでしょうか。授業中や休憩時間に生徒達と『鬼滅の刃』で盛り上がったのは、この1年間の思い出の一つです。そんな体験も、随分、久しぶりでした。『鬼滅の刃』をマンガで読んでいない人、映画を見ていない人、ネタバレになっていることをお詫びします。でもネタバレを超えて、まだよく知らない/映画を見ていない人に、強くお薦めしたいと思います。社会はますます鬼だらけです。どうか、インスパイアされてください。

「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと、、、。」(煉獄杏寿郎)

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