あべおんじ

正しいかたちで与えて、はじめて与えられるのだね

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最近の記事

エイト

怒りが生まれたとき 吐き出せば莫迦の相手は殺されて 飲みこめば莫迦の自分が殺される どうしたら怒りは生まれなくて済む? りんごを食べていた りんごを食べていた 質量もないままに りんごを食べていた 口が酸っぱくなって朝を知り 小腹がぐうとなって夜を知り いつも付きまとう いつも付きまとう 身体からパノプティコンまで わずか20mm りんごを食べていた りんごを食べていた やがて七日目が来て りんごを食べていた すべてわかった気になって 祝祭とハー

    • ushio

      遠くで船の汽笛がなった。田舎で人がいないからか、はたまた平日の昼間だからか、閑かな港には人がすくない。海は午後三時の太陽を浴びて、嬉しそうにきらきらと光っている。春の気温と潮のにおいとが混ざりあった、心地のいい陽気。一年に数日だけ僕たちの前に訪れる、「一年じゅうこのくらいの天気だったらな」という時空間がそこにはあった。初めて来た街だから、舞い上がってそう思うだけなのかもしれない。 「アカイさん、ですか?」 父子らしき二人の姿。一人は中年の男性で、髪は坊主に近いくらいの短さ

      • 足りすぎたうえで欠けすぎる

        バレリーナがお床のうえをくるくるくるくる回るとき 裏側で 空はもっともっと白いのか 手の甲に血管は青いのか キーンという音が確かなら、それは飛行機の音か、はたまた野良猫避けのモーデムか 週一の恋人に果たす義務は権利を上回りゃあしないか ずっと裏側が 裏側が気になるの。 だってコインの表が僕に見えたら そりゃあ裏側だって存在するのでんし ことばは指して指されて、片っぽなんてことは 許され得ない その筋のひとには 話を聴くべきかしら?? 気をつけるのだ少年 70歳の御

        • みちのり はやさ じかん

           寮の喫煙所でタバコを吸いながら、スマホを片手に秋学期の履修登録をしている時、僕が上京してから一年半が経ったことに気づいた。今年の夏はあんまり暑かったので、夏も終わるいまになって蚊がわいているらしい。入道雲は見当たらなくなって、風も心地よくなってきたのに、吐き出す煙の下では蚊がぷうんと飛び回ってわずらわしい。激しい暑さが嘘だったかのように、この数日で急に涼しくなった。夏休みは大学に入ってから一か月も伸び、ひと夏でつくる思い出の数も増えたはずなのに、「夏休みが終わってしまう」と

          11月9日

          実家からの仕送りは毎月米とシーチキンです。僕は料理が面倒くさいのでそれしか食べていません。自炊とは言い難いが、まあギリ自炊。それ以外のものも当然。食ってるわけやけどね。シーチキンの食い過ぎで死んだ、そんな話を聞いたことがない、それだけを頼りに今日も全幅の信頼をシーチキンに寄せつつシーチキンを食べます。 ところで何かが「ない」ことを証明するのは、「ある」ことを証明するよか断然難しいということらしい。これは悪魔の証明といいます。なんかねー、いい例えみたいのがあったんすよね。これ

          第七回 みはじ

          蝿や蜚蠊の類いは余りにも速く動く それこそ彼らが永い地球の生物史に燦然と輝く所以であり、また彼らを、新参者の我々人間にとっての嫌悪の対象たらしめるところである。 ある晴れた縁側に、「やい婆さん、ゴキブリは足が速いねえ」「そうですねえ爺さん」なんて茶を啜ってみたり。 誰も彼らの速さを疑ってもみない。 でも、彼らはそんな速くないじゃないか、ということに最近気づいてしまったのだ。 彼らの「速さ」を速度にしてみると気づくのだ。たとえばゴキブリは3秒の間に体長の50倍の距離は

          第七回 みはじ

          第六回 屁理屈

          いい年こいて、という言葉が通じるんだば 爺さんや 婆さんは オナラとの置換性があると そうおっしゃるのですか? 屁理屈をこねるな 馬鹿たれが と時々おもっていたんですけれど よくよく調べてみたら 「こく」という動詞は 「する」に近い感覚で 色々な動詞の代動詞になるんだそうです ただ羅列、羅列とやっていくと 嘲笑や侮蔑のイメージも含むみたい 嘘をこく 調子をこく びっくらこく 屁を、ぶっこくどぉ ここは仏国土 倭の国は雑司ヶ谷 いま、季節は夏

          第六回 屁理屈

          第五回 I was bored

          ある晴れた空に向かい 北風浴びて祝福たまうなり 齢は弱ひ 熟れひは憂ひとほざけども 別段と屑でもあるまいし 別段とめぐまれもしないけれど だからって無為というのは 救いのように見えても 人に生まれてしまえば それは狂気じゃあるまいか それで ただ 猫が猫であるように 歩くときも 眠るときも 触れ合う地面からの返事だけが 僕のすべてであればいいのにと

          第五回 I was bored

          第三回 ブタメン

          ごきげんよう。あべおんじです。 背の順は基本的に前から3番目です。 僕の誕生日は4月12日です。平成15年4月12日。つまり、あとちょうど1ヶ月で20歳です。 まだまだ大人になりたくないのに、もう大人になっちゃうのか〜、という気持ちでいっぱいです。 本日3月11日は、僕の成人の前月祭というだけではありません。今日で東日本大震災から12年が経ちました。僕はその日、体育着の入った巾着袋で縄跳びをしたら顔面から見事着地して負傷し、早退してたまたまママと妹と一緒にいることができま

          第三回 ブタメン

          第二回 ハローキティをあなたへ

          またお会いしましたね。あべおんじです。    僕には「足利のおばあちゃん」がいます。もちろん苗字が足利氏で、僕が室町幕府将軍家の末裔なんてわけではありません。僕の地元の街の名前が佐野で、母方の祖母が住む隣町の名が足利というので、彼女のことは「足利のおばあちゃん」と呼ぶのです。 都会とも田舎とも呼べない、だだっぴろい関東平野の隅っこの話です。 僕は幼少期を足利で過ごし、小学校にあがるタイミングで父方の祖父が住む佐野に引っ越してきました。足利には、市街地にアピタという名前のシ

          第二回 ハローキティをあなたへ

          エッセイ第一回 トマト

          みなさんどうも。あべおんじです。 バイトもせず、恋愛もせず、徒然なるままに日暮らし、スマホに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 ということで、エッセイを書いてみようと思います。ずぼらなので、投稿頻度はチョベリバになるかと思われます。 僕は大学に入学してから3ヶ月くらいの間、哲学サークルに顔を出していました。そこで書かせていただいた『トマトについて』というエッセイがあるので、記念すべき第一回目では久方ぶりにそ

          エッセイ第一回 トマト