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みちのり はやさ じかん

 寮の喫煙所でタバコを吸いながら、スマホを片手に秋学期の履修登録をしている時、僕が上京してから一年半が経ったことに気づいた。今年の夏はあんまり暑かったので、夏も終わるいまになって蚊がわいているらしい。入道雲は見当たらなくなって、風も心地よくなってきたのに、吐き出す煙の下では蚊がぷうんと飛び回ってわずらわしい。激しい暑さが嘘だったかのように、この数日で急に涼しくなった。夏休みは大学に入ってから一か月も伸び、ひと夏でつくる思い出の数も増えたはずなのに、「夏休みが終わってしまう」という感慨はあまり感じられなくなった。

「えっ。」
一人でいたのに思わず声が出てしまった。どこからか、大きめの音でメロディが流れてくる。よく聴けばそれは童謡の『ふるさと』だった。電源ボタンを押してスマホを開きなおすと、時刻はちょうど五時になっていた。一年半も住んで、なぜこの街にも五時のチャイムが流れていることに気づかなかったのだろう。小学校の音楽の時間ではじめて聴いたときは、冒頭の歌詞を聴いて「うさぎって美味しいのかな」って思ったりしたっけ。その頃はまだ、「追いし」の「し」が過去を意味する助動詞の連体形だと知らなかったのである。

外に目をやると、小学校低学年くらいの女の子がお母さんに手を引かれ並んで歩いている。手には水色のプールバッグをもっていて、赤いランドセルは背中全体を覆い隠している。髪がまだほんのりと濡れているから、スイミングスクールの帰りなのだろうか。僕にとっては少し異質な、アスファルトとコンクリートばかりに囲まれたこの街も、彼女にとっては紛れもない「ふるさと」にあたるのだろう。僕はプールの塩素の匂いを思い出しながら、毎日五時のチャイムを聞いていたあの頃の記憶をたどっていた。

 小学五年生の時にクラス替えがあって、同じクラスになったちひろちゃんという女の子と仲良くなった。いつも髪は三つ編みで、五年生にもなるのに、小学校低学年向けのアニメキャラクター柄の手提げを大事そうに使っていたのを覚えている。男勝りなところがあり、給食のおかわりのジャンケンにも、昼休みのドッヂボールにも、いつも男子のあいだに女の子ひとりで混ざる闊達な子だった。いまにしてみれば、隣町で教員をしているというご両親からの、「女の子らしく」というプレッシャーからの反動だったのかもしれない。テレビゲームも買い与えてもらえなかったのだという。周りの同級生、特に女子からは、すこし幼稚で変わった女の子にうつっていたと思う。それをうっすらと感じながらも、僕は彼女と過ごす時間が楽しく、いつも一緒に遊んでいた。それはちひろちゃんが他の女子たちと違って闊達だったからではなく、不思議な魅力というか、ほかの同級生にはないものがある信じていたからだ。そう思いはじめたのは、たしかあの放課後のことだった。

学校の裏門から伸びる道をまっすぐに進んで踏切をこえたところに、「亀の子山」と呼ばれた小さな丘のある公園がある。校長先生の長いお話で一日がかりの運動会のリハーサルが終わり、いつもより早く学校から解放されると、僕とちひろちゃんは他の男子数人と裏門のそばにある駄菓子屋でお菓子を調達してから、公園までの道のりを急いだ。
「勇太君、明日の運動会楽しみ?」
「ぜーんぜん。おれ徒競走ぜったいビリだもん。組体操のピラミッドもいちばん下になっちゃったしさ。」
「運動会って別に競技だけじゃないじゃん。みんなで応援したり、ダンス踊ったりさ。もう少しポジティブな発想はできないわけ?」
「あーあ、そうですか。いいよねちひろちゃんは、いつも徒競走も一位で。あと俺は別にダンス好きじゃない。」
「そうやってネガティブなことばっかり言ってるから楽しくなくなるんだよ!応援歌だってちっちゃい声でしか歌わないじゃん。ほら、『僕ら~は輝く~ 太陽のように~』って元気よく!」
「それ、赤組の歌ね。おれ白組。」

ちひろちゃんのもつ黄色い旗がぶんぶんと揺れる。それは町内の登校班のなかで班長を任された子がもつ旗で、僕たち小学生にとってそれは大人への階段を上ったひとつの指標だった。

公園に着くと僕たちはランドセルを山の斜面に放っぽり投げて、鬼ごっこや持ち寄った小型サイズのゲーム機で対戦ゲームをして遊んだ。ゲームのなかのキャラを交換している僕らをみて、いつもちひろちゃんがうらやましそうにしていたのを覚えている。彼女にゲーム機を貸すのはいつも僕の担当だったが、その代わりに彼女は買ってきたヤングドーナツをいつも一切れ僕に分けてくれた。ぱさぱさとした食感に飾り気のない甘さで、それはちひろちゃんに近い味の食べ物だった。

「あ、やばい。そろそろ水泳教室行かなきゃだ。」
「おれも英会話いかないと!」
時計などもたずに遊んでいた僕らが、時間を守って習い事に向かうための数少ない手がかりは、亀の子山のてっぺんから見える、夕焼けの燃えるような赤い色。それと、毎日変わらず街をつつみこむ、五時のチャイムの音だった。そう、僕の「ふるさと」の五時のチャイムは、『夕焼けこやけ』だったっけ...
「あのさ、ブルーハーツの『リンダリンダ』って知ってる?」
その日の帰り道、ちひろちゃんは僕にそう話しかけてきた。僕らだけが習い事をひとつもしていない上、帰り道が同じだった。遊んだ帰りはちひろちゃんの家まで、一五分ばかり二人きりでおしゃべりをしながら帰るのが日課だった。
「テレビで聴いたことある。それがどうしたの?」
「最初の歌詞がさ、『ドブネズミみたいに、美しくなりたい』から始まるじゃない?それってなんか変だとおもわない?」 
「うーん、まあそうだけど。ありきたりなことを言ったって歌にならないんだよ。きっと。」
「ウチさ、『ドブネズミみたいに速くなりたい』だったらいいと思うんだよね。ネズミとかゴキブリってさ、めっちゃすばしっこいし。」
変なことを考える子だな、と思いつつ、それは口に出さずに僕は続けた。
「いや、それじゃ全然ロマンチックじゃないよ。『流れ星みたいに 速くなりたい』とかさ。絶対その歌詞じゃおかしい。」
「でもでも!ネズミとかゴキブリってさ、すばしっこいけど実は速くないと思うんだよね。だってゴキブリとかって三秒くらいで教室の端から半分くらいまでいくでしょ?それってあたしたちが、十秒で五十メートル走るのより何倍も遅いと思うんだよね。「みちのり÷じかん」だとウチらのが速いのに、なんでかな?」

その時僕たちは算数の授業で「みちのり÷はやさ=じかん」の公式を習ったばかりであった。円を描いたなかに横一本の線を引き、上半分に「み」、下半分ををさらに縦で半分に割りそれぞれに「は」と「じ」と書く。「みはじ」と呼ばれる、速さをもとめる公式の図。教科書では説明しきれないことがあるなんて、当時の僕は想像したことがなかった。むしろ、教科書に書いてあることが全てだと思ってしまうからこそ、勉強が難しく感じるのかもしれない。発言したちひろちゃんはそこまで考えていなかったのかもしれないけれど、僕ははっとさせられるばかりだった。同級生から「ズレてる子」というレッテルを貼られた彼女が言うのだから、その驚きはなおさらだった。ドブネズミみたいに、速くなりたい。僕の頭のなかでは、ついさっきまでのちひろちゃんあっけからんとした声と、爆発寸前の導火線みたいな甲本ヒロトの歌い叫ぶ声とが交互に鳴っていた。
「じゃあ勇太君、また明日!」
「うん。ばいばい。」
「明日の徒競走、あたし応援してるよ!」
「はいはい。あーあ、ドブネズミくらい速く走れたらなあ。」
「ちょっとなにそれ、どういう意味よ!」

次の日の運動会の徒競走では、ちひろちゃんは一着、僕は五着だった。
小学校を卒業した後、ちひろちゃんはエスカレーター式で近くの公立中学へ、僕は中学受験をして、県央の私立中学へ進んだ。僕が受験期に聴いていたのは、いつもブルーハーツだった。


「懐かしいわね、この駅前の通り、よくお父さんとお母さんで、交代々々で送り迎えしたっけ。」 
「今じゃ勇太が運転するようになったか。早いもんだ。」
「おれからしたら、塾に通ってた一年は長すぎるくらい長かったけど。」
「それもそうだな。」
その日は僕の成人式だった。両親を後部座席に乗せ、会場までの道のりを車で走らせる。クリスマスも正月もやり過ごした街は落ち着き払っていた。元々、こんな片田舎の街にはいつだって活気はないのだけれど。
「父さん、いま何時。」
「9時ちょうどだな。小学校の方も回ったら、ちょうどいいくらいじゃないか?」
「そうね。それがいい。」
「お前ほれ、橋本さんとこ寄った方がいいんじゃないのか?成人しましたって、挨拶しないと。」
「父さんの知り合いなんて知らないよ。それにそこまでの余裕ねーし。」
「じゃあ、明日になったら行くか。」
「はいはい。」
赤いポストのある角を曲がると、小学校の裏門の通りに出る。まだ冬休みなのか、校庭に子どもたちの姿はない。ピロティ、運動公園、百葉箱、連絡帳、ジャングルジム。頭の片隅にしまいこんでいた言葉が、一気に僕の手の届くところまで飛び出してくる。あれから僕は中高6年間を県央の男子校で過ごし、1年の浪人を経て東京の大学に進学した。中高の頃は毎日家と学校の往復で、実家周辺の街の変化に気づくことはおろか、地元の友達と遊ぶ機会もなかった。僕の知らない間に、ヤングドーナツばかり買っていた駄菓子屋は店をたたみ、冬になると落ち葉拾いをやらされた校庭の大きな鈴懸の木も切り倒されていた。松本隆の「微熱少年」のなかの一節を思い出す。

『生徒手帳の住所欄に、ぼくは一言、風街と書きこんで、内ポケットに入れていた。新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中だけに存在する架空の街だった。たとえば見慣れた空き地に突然ビルが建ったりすると、その空き地はぼくの風街につけ加えられる。だから僕の見えない境界線はいつも移動していた。』

中高から地元を離れた僕にとって、思い出らしい思い出のほとんどが詰まったこの小学校の周りも、少しずつ、でも着実に、風街へと変わりつつあった。それと同時に、「じゃあ変わらないものって、何なのだ」という疑問がわいたけれど、その数秒後には「わからない」というのが一番正解に近いこともわかった。

 成人式が終わり、そのまま市民ホールのなかの一室が使われ、学年全体での同窓会が始まる。広いはず会場は人で溢れかえって、そこら中から再会を喜ぶ歓声が聞こえてくる。天井のシャンデリアから降り注ぐ光がスーツの表面や髪飾り、ワイングラスに反射して、誰もがきらびやかにうつった。みな顔をほころばせ親しげに振る舞っているものの、どこか相手との距離を探り合うような緊張感もある、独特の雰囲気に包まれていた。みんな、大人になったということなのか。僕は目でちひろちゃんを探すも、人が多くてなかなか見つけられない。あがらないで話せる自信はなかったが、自分から話しかけようと心に決めていた。今はどこで暮らしているのか。まだ学生をやっているのか、それとも社会人になったのか。そしてあの日のことを、ちひろちゃんは覚えているだろうか。聞きたいことは山ほどあった。
「勇太君、だよね?ぜんぜん変わってないじゃん!」
いつまでもちひろちゃんを見つけ出せず、結局僕が話しかけられるはめになった理由はその瞬間にわかった。

彼女は変わった。

僕が「変わらないちひろちゃん」をイメージしていたことの方が、妄想と呼ばれるにふさわしいのかもしれない。髪は黒の三つ編みから、茶色のボブカットになっており、金色のイヤリングをしている。ジーンズではなく、派手な振袖を着ていた。質素だけれど綺麗な顔立ちは化粧で一段と際立っており、見違えた、という言葉がぴったりだった。香水だろうか、シトラスのような香りが鼻をさす。赤を基調とした振袖で手に持った白ワインが映えて、よく似合っていた。
「久しぶり、だね。」
「勇太君中学からS中いっちゃったから、ホントに会ってなかったよね。いまはなにしてるの?大学生?」
「うん、東京の大学に通ってる。」
「え、嘘!?あたしも東京の大学通ってるよ!どこ大学?」
「W大。浪人して入ったから、まだ一年だけどね。」
「W大ってすごいじゃん!あたしS大だよ!サークルとか何入ってるの?」
サークルに入っていない僕はその質問をはぐらかしつつ、今度はこちらから質問を投げかけることにした。
「ちひろちゃんさ、小五の運動会の前の日に話したこと、覚えてる?」
「小五の運動会の前の日?ぜんぜん覚えてない。なんか気にさわること言っちゃったかな?」
「いや、『ドブネズミみたいに速くなりたい』って・・・」
「え、何それ!あたしがそんなこと言った!?なんか中二病みたいじゃん!」
口を大きく開けて笑うところは変わっていない。しかしそれは闊達な子の笑い方というよりは、「箸が転がっても笑う年頃」の女の子のそれに変質していた。
「ブルーハーツももう聴いてないの?」
「ブルーハーツって、グループの名前?とにかくよく覚えてないや。勇太君こそ、逆に小学校のことなんてよく覚えてるね。あ、それよりさ!はい、これ」
彼女が渡してきたのは名刺だった。大手化粧品メーカーの名前が入っていて、真ん中には小野寺千紘、と大きく印字されている。
「あたし、ここでインターンしてるの。大した仕事じゃないんだけどさ。もし彼女さんとかいれば、是非お店に遊びに来てよ!」
「...ありがとう」
僕には彼女もいなければ、返す名刺もない。
左利きのちひろちゃんの字は独特の丸みを帯びていて、僕はその字をさんがんからかうのが日課だった。名刺の上に刻まれた「小野寺千紘」の文字はそれとは程遠い、綺麗にバランスの取れた、無機質な記号と化していた。
「友達と話してるところで抜けてきちゃったから、もう戻るね!」
「うん、またね。」
中学生の同級生だろうか、僕の知らない女子グループの輪のなかにちひろちゃんは戻っていった。会場は再び僕にとって、関係のない歓声で埋め尽くされた騒がしい部屋となった。どの声も内容まではっきりと聞こえる距離にいるはずなのに、輪郭がはっきりしなかった。頑張って飲んだ慣れないビールは、結局味もわからない。ビールは僕の右手のなかで少しずつ泡を減らし、その代わりに会場のシャンデリアの光を反射して、見かけばかりがぎらぎらしていた。


 寮の喫煙所でタバコを吸いながら、僕ははっぴえんどの『風街ろまん』を聴いていた。まだ少しだけ生あたたかい風に乗って、金木犀の香りが漂ってくる。柔らかく、甘い香りだ。あの日以来、ちひろちゃんには会っていない。彼女のインターン先も大学も遠くなかったが、遊びに誘う気にはなれなかった。財布を開くと、ときどき成人式でもらった名刺が出てくることがある。僕は夕日に照らされたあの頃の「ちひろちゃん」の顔と、名刺を渡してきた「小野寺千紘」の顔のどちらを思い出せばいいのかわからなかった。いつまでも変わらないと思っていたちひろちゃんは、もう僕の風街のなかにしかいなかった。

「えっ。」
目の前には一匹のゴキブリがいた。丸くてつやつやした胴体は、それとは対照的に鋭利な棘をもつ細い脚によって支えられている。あんまり速く動かないから、もう死にかけなのかもしれない。声こそ出たが、そこまでの驚きはなかった。東京に出てきてから、ゴキブリやネズミを目にする機会が増えたからだ。田舎では年に三回も見なかったのに、東京に出てきてからは、月に一回はお目にかかっている。たとえば大学の最寄り駅で友人と飲んで、帰りに駅前のロータリーに立ち寄ると、彼らが忙しなくゴミや吐瀉物の周りを動き回る姿を目にすることができる。近年では繁華街を中心に殺鼠剤が効かない巨大なネズミが増えていて、「スーパーラット」と呼ばれているらしい。僕たちがストレスや不安と共に吐き出したえげつない何かを好んで食べてくれる、そんな稀有な存在をどうして殺さなければならいのか、僕にはわからなかった。もしかしたら、僕らが吐き出したえげつない何かを餌にして大きくなった彼らが、ひそかに人間に反逆する計画をホウ酸団子のようにこねこね練っていて、それが実現する日をみんな恐れているのかもしれない。



 ゴキブリやネズミはあまりにも速く動く。それは僕たちが彼らを恐れる理由の一つであり、また彼らがこの地球のうえで、数千万年の歳月を生き延びてきた秘訣でもある。でもみはじの公式にあてはめれば、彼らは僕たちよりもずっと遅い。「速さ」と「速度」の間には溝があり、体長の何倍の距離をどれだけ短い時間に進めるか、そこに僕たちは速さをみとめる。おなじ道を進んでいても、僕たちひとりひとりが同じ資格でスタートラインに立っているわけではないのだから。
 でも僕たちはいつからか、速度ばかりを追い求めるようになった。それは時代が進んだからか、はたまた僕たちが大人になったからか。やっぱり教科書に載っていることが正解で、それに従うのが無難で、確実な道なのか。東京では電車が三分おきにホームに飛び込んでくる。バイトのタイムカードを押すときはいつも時間きっかりで、忙しいときも暇なときも、均等に給料が支払われる。時間を無駄にしたくないからと、映画をスマホの小さい画面に取り込んで、二倍速にして観るやつもいる。建物は次から次に取りこわされては新しくなる。ドブネズミみたいに、速くなりたい。目まぐるしく時間が過ぎていく東京で、そう思う人はどれだけいるのか。あの子の記憶から忘れ去られた「ちひろちゃん」の言葉は、今も僕のなかで鳴り続けている。

あの教室の背面黒板に、いつまでも消されないでいる。
みちのり はやさ じかん

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