見出し画像

第二回 ハローキティをあなたへ

またお会いしましたね。あべおんじです。   


僕には「足利のおばあちゃん」がいます。もちろん苗字が足利氏で、僕が室町幕府将軍家の末裔なんてわけではありません。僕の地元の街の名前が佐野で、母方の祖母が住む隣町の名が足利というので、彼女のことは「足利のおばあちゃん」と呼ぶのです。
都会とも田舎とも呼べない、だだっぴろい関東平野の隅っこの話です。

僕は幼少期を足利で過ごし、小学校にあがるタイミングで父方の祖父が住む佐野に引っ越してきました。足利には、市街地にアピタという名前のショッピングモールがあります。僕にとっては、「足利のおばあちゃん」とよく買い物に行った思い出の場所です。
アピタ2Fのエレベーターの前には、ガチャガチャの隣にハローキティのポップコーンマシンが置いてありました。みんな見たことあるかな.....?お金を入れるとキティちゃんが歌いながらポップコーンを焼いてくれる、超絶メルヘンなマシーンです。

就学前の在りし日の僕はそのキティちゃんを横切るとき、彼女が「フラれてやさしくなっちゃった」と歌うのを聴いて、幼心に衝撃を受けます。意味もわからないはずなのに。そのフレーズのセンセーショナルさは、ものごころの有無すらナンセンスにしてしまうほどのものだったのでしょう。
でもよくよく調べてみたら、彼女は本当は「つられてやさしくなっちゃうな」と歌っていたらしい(それもいい歌詞!)。つまりこれは、ぼくの間違い。てへぺろ。

てなわけで僕は自分が捏造したフレーズに自分で感銘を受けたわけですが(このレベルのヘンテコなことに6歳程度から手をつけ始めちゃうのが僕です)、今日はこの「フラれてやさしくなっちゃった」をめぐってひとつエッセイを書いていこうとおもいます。



話は変わって、僕は合唱が好きです。歌うことは元々好きで、合唱を明確に意識するようになったのは『表参道高校合唱部』というドラマに感動したことがきっかけでした。僕は特に第5話の、みんなでブルーハーツのTRAIN TRAINを唄って哀しきいじめっ子の心の氷を溶かす回が好きなのですが、この話はのちのエッセイにとっておきましょう。

僕が合唱と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、中学校の学校行事として行われる合唱コンクールです。合唱奉行の僕は毎年精を出して臨んでいたわけですが、僕の中学では、毎年必ずこの曲はどこかのクラスがやるよねという定番の曲がいくつかありました。そのなかで僕が最も好きだったのが『あなたへ』という曲です。

中学3年生の時、僕のクラスではなく、その隣のクラスがこの曲を歌い、見事金賞を受賞しました。そのおかげ?で僕は見事に3年間一度も賞を手にしない羽目になった訳ですが、今日はこのあべおんじ的キラーチューン『あなたへ』の魅力(特に歌詞)を語るところからはじめていきます。




この曲にはなんと、「旅立ちに寄せるメッセージ 〜時の女神より〜」というサブタイトルがついているというのが豆知識なんですが、、、
この歌は、それこそこれを合唱コンクールで歌うくらいの年齢の「あなた」ひとりひとりに作者が贈る、大人への旅立ちのなかで握りしめていてほしいお守り、羅針盤のような曲であると僕は解釈しています。

正直にいえば全部の歌詞が好きです。歌詞つきのようつべ音源を一番下に貼り付けておくので、みんなDon’t miss it.でも例えば、『荒んだ心に刺さったのは 意外な奴の言葉だった』という一節はかなりレベルが高い。

この歌は抽象的でメッセージ性の高い歌詞で埋め尽くされていて、悪く言えば一本調子で重たい感じがします。そんななかでこの一節があることで、聴く人はこの歌にドラマがあることをハッと思い知らされます。「意外な奴」を含めた映像描写が各人の脳内にリアリティをもって上映され、その他9割のメッセージ性を一気に自分ごとのように感じられるようになります。
この歌全体をピリリと引き締め、完成度を高める一節であると個人的には考えています。


メッセージ性を備えた言葉の数々のなかで一番のお気に入りは、サビのラストの『悲しみを知ったぶん やさしくなれる』ですかね。そして、ここからが本題になります。

人の悲しみを痛感すること、そしてそれ以上に、人の悲しみに気づけた自分がいること。それが明日を迎えることの原動力になる瞬間がいくつもあり、みんなそんな風にして大人になっていくのだと思います。そしてこの歌の全ての歌詞は、そこに帰着してくれるのだという確信が僕のなかにはあるのです。えっへん。

話を元に戻すと、僕はこの歌詞を久しぶりに聴いたことでアピタのキティちゃんのことをふと思い出しました。ポップコーンマシンが口ずさむ「フラれてやさしくなっちゃった」のフレーズも、きっと同じことを歌っていると思ったからです(実際には歌ってすらいないですけど)。

「悲しみ」をより具体的にフォーカスしたら、「フラれる」ということもそのうちの一つになるでしょう。フラれて何日も泣き続けて、その間はずっとこのまま立ち直れないんじゃないかと思うんです。最初は。でもそのうち、朝目覚めてカーテンを開けて、「ひとの痛みを知った今の自分が、フラれる前の自分より好きだ」と思えるようになる日がちゃんと来るわけです。そんな風にして自分を好きになっていく作業が、大人になることだと僕は思います。



「フラやさ」のすごいところは、それを子供向けのキャラクターであるキティちゃんが歌っているところです。フラやさのフレーズを大人になってからふと思い出すと、まずは『あなたへ』の歌詞と同様、その真意に今ごろになって気づいて感動します。それと同時に、その歌を耳にしていた頃が蘇ってきます。このとき!あなたのその幼い日常に対する見方は、それまでと違って羨望へと変貌を遂げているはずです。「あの頃はまだフラれてすらいなかったなぁ」と。でもフラれて傷ついた思春期と、それがあって大人になれた今があることを悟ります。そしてあの頃にタイムスリップして、「それでもやさしくなれたこと、後悔してないぜ」と自分にマシンの前で話しかけたくなるわけだよ。

つまりフラやさの方は、歌詞のメッセージ性への感動が、幼少期のあどけなさを下敷きにして迫ってくるわけです。一度で二度美味しいてきな。この万能包丁が一丁7000円のところ、本日限りでまな板もお付けしてご提供!てきな。これは番組終了後30分以内にお電話したくなっちゃうよねって感じです。

もっと言えば、「フラれてやさしくなっちゃった」とは、悲しみを知ったぶんやさしくなったあなたへの、キティちゃんからのとびっきりのご褒美であり、伏線回収であり、タイムカプセルなんです。少なくとも僕のなかでは。

これを読んだあなたは今ごろ、ハローキティ先生を見る目が180度変わっていることでしょう。サンリオピューロランドは、人生の達人だけがたどり着ける境地なのかもしれない(ちなみに行ったことない)。


大人になる辛さも歓びも、幼いころから誰かが遠回しに教えてくれてたんでしょうね。それは絵本の中かもしれないし、僕の場合みたいにポップコーンマシンの中なのかもしれない。でもみんな口を揃えて遠回しにしか言わないのは、大人になってはじめて気づけるようにするためでしょうね。きっと。そのほうがやはり、ロマンチックです。ガキ風情に直接言っても分かるわけねえしな!!

そしてもう一ついえることは、遠回しに言ったとしても、核心をついていれば子どもは嗅覚でそれが大事だとわかるということです。これは幼いころの僕が証明しています。これが実際にキティちゃんがフラやさを口ずさんでくれていれば、話は全て完璧なんですが。



足利のアピタ、最近全然行けてない。あのポップコーンマシンは、いまだ健在かしら。ふとおばあちゃんにお電話をかけたくなりました。

ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?