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大西書評堂#6 『左ききの女』

ペーター・ハントケ『左ききの女』(池田香代子訳)

・あらすじ
 女がいた。女は子供といた。スカンディナヴィアに赴任している夫が「居住ユニット」と呼ぶその部屋でトウヒの眺めを見つめていた。子供はだだこねて、遊び続けている。女は文句を言うが、それでも子供は遊んでいる。
 女は空港にひとりでいき、夫を迎える。帰りしなに、彼はスカンディナヴィアで孤独だったと話す。誰にも言葉が通じなかった、と。
 帰って荷物をおろしてから、夫は変な感じだと話す。孤独でないことになれない感じだと。女は夫を見ている。いまからホテルに行ってのもうと言う。女に、胸のおおきくあいたあの赤いドレスを着ることをねだる。
 ホテルからの帰り、トウヒの木立の坂を登りながら、女はふと立ち止まる。「なんでもないの!」そう言う。夫は話してみせるようにうながす。そのあと、女はわたしを独りにしてほしいと告げる。家につくと、レコードもなしで女は踊りだす。子供には眠りなさいと言う。鏡のまえでじっとなって「どうしようどうしようどうしよう」と口にする。

 女は友達に相談をする。「あなた独りで生活したことあるの?」「ない」
 夫の衣服をスーツケースにつめる。やってきた夫は平静をよそおって別れのことを女に訊く。子供に、眠るまでいっしょにいてほしいか訊ねる。いらないと子供は話す。それでもと食い下がって、女は寝室までついていく。子供は抱かれて言う。「たまねぎくさあい」

 電話ボックスのなかに女は引きずりこまれた。夫は言う。「こんなおふざけをまだ続けるというのかい?」「子供の話をまだしてないわ」
 夫は女をぶつ。電話ボックスのなかでそれは命中しない。夫は女に長く話す。女は黙っている。夫は女の写真を燃やしてみせる。女はつい笑ってしまう。夫は言う。
「ぼくはどうするんだ。ぼくは存在しないというのかい? 自分だけで生活していけるというのかい? ぼくだって生きてる! 存在しているんだ」

 友達と一緒になって話している。「最近子供が留守番を嫌がるの」友達は孤独が原因だと教える。続けざまに孤独についてのドキュメント番組を見たかと訊ねる。
「インタヴュアーが『孤独について、なにか話してくれますか』って訊ねたら、相手はただ黙っていた。そこだけ覚えてる」
そう返す。

 婚前にしていた翻訳の仕事について、手紙を送った。すると翻訳の社長が訪ねてきた。五十がらみの、やや落ち着きない、巨漢の社長がシャンパン、そして花束をもって訪ねてきた。「独りになったとぴんときましてね」社長は女に好意を抱いていた。「あなたの離職パーティをおぼえていますよ。あなたの耳朶の裏のにおいまで!」しかし、女は真剣にとりあおうとしない。仕事について訊ね、子供の相手をする。社長は困惑する。女はそれでも自分の話しかしない。

 友達は女の父――エッセイや流行本を書いている――について、「木偶の棒」と話す。「会ったとき、握手しようとしてマスタードのびんをつかんでいたのよ」
 駅で待っていると、父の列車が到着した。扉を開けられずにいるので、女が開けてやった。
 家で、子供が物を挙げ、その色をつぎつぎに訊ねていく。祖父はしばしば間違えた。
「おじいちゃん、色盲?」
「おじいちゃんは色は見るものだとしか教わらんかった」
 女の父は自身について、もうすぐのいのちだと話す。死んでから、誰にも見つけられないのだけはいやだと言う。
 散歩に出かけると、女と父は話をした。女は父のこれまでについて訊ねた。いまも書いているのかと訊いた。父はくっくと笑い、示唆的に話をし、言葉抜きのパントマイムで返した。父は、自分が孤独であると語る。眠るときに誰のことも思い出せないと。
 父はしばしば立ち止まった。空や、なにかを見つめて。女は言う。「なにか思いつくと立ち止まるだけ。そういう姿勢に子供のころから神経逆なでにされていたのよ」

 ショッピング・センターで、二人は写真をとった。現像のあとに受け取りにくると、知らない男が写真を持っていた。男について、父は俳優だときっぱり言う。男は認めるが、失業中だと話す。父は男を激励する。映画のなかで会おうと強く語る。男は決意を固くした様子をみせる。そして別れようとするが、互いに同じ方向で、それでまた別れようとするが、また同じ方向で、とめてあった車もほとんど隣だった。

 動植物公園に行ったあと、女は独りでリヴィングに座り、同じレコードを何度も聞いていた。
『ザ・レフトハンデッド・ウーマン』

 夫とばったり会って、ブティックに連れて行く。似合いそうなセーターがあったのだと女は話す。店員は風邪をひいて、鼻をすすっている。店員のかわりに、女は店員の赤ちゃんを世話してあげる。店員が、いま釣銭がないと言うと、女は溌剌とした様子で「今度うちにいらっしゃいよ」と話す。住所の書いたメモを渡す。夫には「早く遊びにいらっしゃいよ」と言う。

 夜に女と子供はダイスで遊んでいた。電話があり、夫が家にくると言う。すると社長がやってくる。女は社長の車の運転手も中に入れてやる。二人を皮切りに、つぎつぎと人がやってくる。夫、友達、俳優、店員。大人たちは酒をのみ、子供もいっしょになってパーティをする。レコードをかけて踊る。あるいは、自由にふるまってみせる。夫が詩を詠む。運転手がスケッチをする。経験を語る。男女がダンスする。子供とダイス遊びをする。俳優は女に愛を語る。夫と俳優が卓球をする。

 みんなが帰ったあと、女は絵を描いた。自分を描いた。
 日を浴びて、女はテラスのロッキングチェアに座っていた。薄着だった。ひざ掛けはしていなかった。

「そんなふうに、みんなは一所に座っている。それぞれがそれぞれの座り方で。日常は反省のあるなしにかかわらず、流れていく。すべてが同じおなじみの道をたどっているように見える。危険なことがあっても、話すことなんてないように。人はそうやって生きてゆく」

・感想
 
ペーター・ハントケと言えば、やはり映画監督しての印象が強い。『まわり道』、『ゴール・キーパーの不安』、そして『ベルリン・天使の詩』。『左ききの女』も、ハントケ自身によって映画化されている。
 僕も『ベルリン・天使の詩』を見たことがある。よく大学図書館で古い映画を見ている。『スティング』や、『ベンジャミン・バトン』、それに『フォレスト・ガンプ』なんかはすごくおもしろかった。ただ、『ベルリン・天使の詩』はAV資料として置いてなかったので、教授に借りて観た。かなりおもしろい作品だった。ブルーノ・ガンツが兜を質に出すシーン、ピーター・フォークがスケッチするシーン、ニック・ケイヴの演奏なんかは、じつに美しい。
『左ききの女』のおもしろいところは、ワイン瓶の栓が吹きとぶようにしてはじまる別れの告白、そこからの孤独の生活だろう。ここにはあまり書かなかったが、子供の孤独もおもしろい。明確な感情をあまり書かずに、奇妙で、ときにひどく偏った人々の所作が、それぞれの抱えるものを表現している。そして、共通してすべての人々は孤独である。孤島のようにてんでばらばらの生活において、一方向の通信を繰り返すような人々の不器用な様が魅力的な文体のうえで描かれている。

・『ザ・レフト・ハンデッド・ウーマン』
https://youtu.be/M3lIG-qNOaE

 聞いてみれば、いい曲だなとわかる。マリアンネ(女)が繰り返して聞いていたのもわかる。リヴィングの床に座っていたそうだ。フローリングは、やはりひんやりしていたのだろうな。
 僕はこういう古い曲が好きだった。もちろんいまも好きだ。ただ、「好きだった」とやるほうがずっと正しい感じがする。

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