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短文小説紹介 #3

018-バーナード・マラマッド「魔法の樽」

「恋愛」という単語にいったい何をおもうだろう?
 僕としては、あるときには最良のもののひとつであると考えている。事実はさておき。
 人が都合のためにパートナーを求めるとき、それは欲からなる罪深きものであるように僕には思える。ユダヤ人の祭祀になろうとしている主人公リオも、祭祀としての立場からで結婚斡旋人に連絡をとる。やってきたのはソルツマン。魚くさいにおいがぷんぷんし、商人のあの薄笑いを浮かべている。彼が手品師のように語る手前で、青年リオはなんだかうんざりした思いを抱く。これはそんな二人を巡る奇妙な愛の物語。
 すべてが白の薄い輝きの中にあって、まるで曇りの世界のように感じられるユダヤ人マラマッドの小説。われわれはそこに歪さや、薄情さを感じる。それと同様に、純粋さを見つけることになる。現実と同じく、すべてが上手くいくわけではない。しかしあくまでもこれは物語だ。マラマッドを読めば、その言葉のほんとうの意味が見えてくるはずだ。

019-マイリー・メロイ「愛し合う二人に代わって」

 アメリカのモンタナ州には一風変わった制度がある。「二重代理人結婚」。戦争などでここにはいない人々のために、つまり、愛し合う二人に代わって、別の男女が結婚の儀式をつとめることができるのだ。形式だけにせよ、代理人結婚にのぞむことはブライディーに想いを寄せるテイラーにとってとんでもないものだった。
 しかしこの作品はそれだけでは終わらない。この作品で提示されるのは代理結婚のどぎまぎして仕方ない一瞬の描写ではなく、長きに渡る彼らの純粋な愛の物語だ。
 私的な考えで、やはり恋愛小説といえば「あしながおじさん」だろうという思いがあるが、この作品はそれに勝るとも劣らない仕上がりになっている。とくに、代理人結婚という奇異な現実の制度を透かして見える愛の推移は他にはない特別さをもって読者を楽しませてくれる。二人の関係が幼さのある時代から大人としての苦さを孕む時代へと移り変わっていくさまはじつに読み応えがある。恋愛小説を愛しているという方や、これからの一生について考えを持っている方にぜひ読んでもらいたい作品だ。

020-梶井基次郎「闇の絵巻」

 やはり梶井基次郎と言えば「檸檬」だろう。僕も「檸檬」が好きだ。いや、それどころでは済まされない。不思議な樹皮の香りで昆虫たちが失神してしまうように、「檸檬」のまえで僕は自己を喪失してしまう。あれほど素晴らしい作品もないだろう。
「闇の絵巻」が「檸檬」と同じほどに面白いかというと、まあ、そうでもないかもしれない。実際、「檸檬」はじつにうまく書かれた作品だし、同様の能力を持つ作者でも時の運、アイデアの波があるから延々に傑作を書き続けることはできない。
 だからこそ「闇の絵巻」を読んでみる価値はあるだろう。われわれは「檸檬」ばかりを唯一神のように信仰している状況にある。その状況で、別の偶像をとりだして比較することは視野を広げることに繋がるだろう。日本語文学を専門している人はぜひ読んでみてほしい。梶井基次郎はもう亡くなってしまったが、彼の最新作として「闇の絵巻」を読んでみるのは、ある種興味深い体験になるだろう。

021-アーネスト・ヘミングウェイ「スイス賛歌」

 第一部。ウィーラー氏は駅のカフェを訪れる。汽車を待つ時間で一服しようと考えている。オーダーをとりに来たウェイトレスにみだらな行為を持ちかける。フラン紙幣を出して、ウェイトレスを買おうとする。ウェイトレスはひどく怒って、混乱して去っていく。氏はもう一度ウェイトレスを呼び、ワインを注文する。
 第二部。ジョンスン氏は駅のカフェを訪れる。汽車まで一時間ある。ウェイトレスがオーダーを取ろうとする。氏は不明瞭な返答をして、ウェイトレスは理解できずにいる。氏はもう一度ウェイトレスを呼ぶ。ダンスしないか? と彼女にもちかける。
 加えて本編には第三部がある。
 ヘミングウェイは「老人と海」で知られているが、素晴らしいのはそればかりではない。彼の短篇は「清潔で明るいところ」を初め、珠玉の作品で溢れている。同時に、実験的な作品も豊富だ。「スイス賛歌」はヘミングウェイを代表する作品のひとつであると僕は考えている。
 奇をてらった短篇であることに違いはないが、ぜひ手に取ってみてほしい。

022-グレイス・ペイリー「死せる言語で夢を見るもの」

 施設のお母さんとお父さんを訪れる私。子供が走り回っていて、くらくらする。お母さんに子供を預けてから、お父さんと庭を散歩する。下のほうの子はついてきていて、すべてを尋ねる。お父さんは詩を語る。詩集にならないかと思っている。
 パーティで、私の元夫はその詩を評価しながら、皮肉を語る。酒のにおいをぷんぷんさせているのが私のところからでもわかる。お父さんはイディッシュ語で詩を書いている。それは私の心を複雑にさせる。
 下の子はすべてを尋ねる。詩の語りをしながら庭を歩く私の父は、丁寧に子供の相手をしてくれている。お母さんと同室の女性はすごくヒステリックだ。下の子は尋ねている。庭にあるものや父の話すことのすべてを。

 読み通すのが難しい小説というものはある。単純な長さのために――「レ・ミゼラブル」。脂っこく、混沌のように深い表現のために――「白鯨」。そしてその両方の性質のために――「失われた時を求めて」。
 そして、「死せる言語で夢を見るもの」はそれらのどの性質も持たない。しかし、これほど読むのが難しく、読んでいて楽しめる作品もなかなかないだろう。グレイス・ペイリーの夢を語るような奇妙な混乱の文章をあなたはどう読むことができるだろうか。そこにある日常、それでいて儚げな、グレイス・ペイリーの特別さをぜひ楽しんでみてほしい。

023-シャーウッド・アンダーソン「兄弟たち」

 図書館で、僕は新潮から出ているその文庫を手に取る。それはじつに古くなっている。黄ばんでいて、上部には深い濡れあとがある。
 Wikipediaで調べて彼の生没年がわかる。彼が19世紀から20世紀にかけて活躍した作家だということを知る。その文庫と同じで、時の中に埋もれてしまいそうだ。
 しかし、彼の作品を読んでみるとわかる。その内容の新鮮さが。本作「兄弟たち」はその中でも奇異極まりない。同じ土地に住む、おかしな老人。彼は新聞紙に載っていた名前を取り上げて、それを自分の兄弟だと吹聴して回る。いつもいつもそうだから、誰からも相手にされない。その老人から離れて、ある日の新聞の殺人者について小説は語る。自分の妻を殺してしまった男について。二つの奇妙さがゲノムのように交わってみせるとき、私たち読者はぞっとするような思いで縛りつけられてしまう。
 ヘミングウェイやレイモンド・カーヴァーといった後年の短篇小説家に多大な影響を与えたシャーウッド・アンダーソン。アメリカの小説を読んだことがある方は、文学史の分水嶺として彼を読んでも楽しめるだろう。

024-ハーマン・メルヴィル「書記バートルビー」

 ハーマン・メルヴィルその人は、やはり「白鯨」のもとに語られる。
 鯨を愛した最後の詩人、海を最も知る哲学者、嵐の声の伝道師。
 たしかに「白鯨」は名作だ。それも文学史に残るマスター・ピースに間違いない。
 しかし、「白鯨」だけで彼を終えてしまうのはあまりにももったいない。もしも「白鯨」がなかったとしたら、代わりに「書記バートルビー」がメルヴィルの伝説として文学史に刻まれていただろうから。

 アメリカの古い時代、ウォール街の一角に、とある法律事務所が構えてある。ごく小さい、しかし大変忙しいその事務所はすでににぎやかな社員であふれている。ターキーとニパーズとジンジャーナット。そこに募集広告を見た青年がやってくる。彼の名はバートルビー。どこか奇妙な目をした青年だ。
 仕事の中で次第にバートルビーの特質が明らかになっていく。語り手である事務所経営者は、彼に複雑な思いを抱くようになる。バートルビーの存在は強力な磁石のように周囲に影響を与え始め、ついには読者さえ変質させるほどの特別なものとなっていく。
 アメリカの仕事場を背景にした謎めいたこの物語はじつに美しい純粋な輝きを放つ。バートルビーのそのふるまいから私たち読者はじつに多様な深い考えを持つことができるだろう。哲学の世界にも大きな影響を及ぼすバートルビーのその存在をぜひ体験してみてもらいたい。

概要とおわりに

 僕は自分のTwitterアカウント(@OnishiHitsuji)で小説の紹介をしている。ここにまとめられた7つの紹介の文章はそちらで共有しているものと同様だ。
 今回は018から024までとなっている。

  今週は実に充実したものになった。文学をやる仲間と会って話をしていると、心がたっぷりと満たされる。深い森の川で身を清めるような気分になる。その穏やかな時を過ごせて僕はほんとうに嬉しい。彼らから得たアイデアをもとに新たな創作を切り拓いていくのも楽しみで仕方がない。

 今回紹介したものは、個人的に気に入っているものが多い。どれか一つを選ぶとなると、それはじつに難しい。ただ、やはり「書記バートルビー」だろうという思いはある。翻訳は松柏社から出ている平石貴樹さんの『アメリカ短編ベスト10』が最良だ。海外小説を巡る短編集はずいぶんたくさん手に取ってきたが、この本は間違いなく素晴らしいものとなっている。買って後悔することはないだろう。

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