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掌編小説:花の話
花の話をしよう。
といっても、今現在僕のふところに花の話は存在していない。妖精の話や、クリスマスの話なんかはあってそれを語ることはできるのだけど、花の話に限っては持ち合わせていない。つまり、花の話をすることはできない。
いや、僕はこれについて申し訳なく思っている。いや、本当申し訳ない。ここに深く謝罪をする。
ここは花の話の場所なのだから、もちろん、花の話があったのなら、もう血眼くらいのいきおいになって花の語りをすることだろう。しかしいま、僕は花の話を持ち合わせていないのだ。それは仕方のないことなのだ。誰しもがパスタを茹でるまえにはお湯に塩を振っておきたいと思う。だけど食卓塩は切らしてしまっている。そうなったら当然、ただのお湯でパスタを茹でる。
そういうことだ。
町の話をしよう。
僕の町には一人の男の老人が住んでいる。冬になればなめした古革のまっ黒のタキシードを着込んで、公園から公園へと散歩道にそって渡り歩いている。
彼の住むのは低い屋根の前時代の家だ。戦後の色をした青い瓦に、がらがらとへびみたいに声をあげる木製の引き戸がついている。
その老人は毎朝鉢のサボテンに水をやったり、こぢんまりとした台所で「わかば」なんかを吸ったりしている。散歩に出てきて川べりのスツールに腰を下ろすときも彼は独りきり。その光景からはじつにぽつねんとしたおもむきが感じられる。
僕が老人を見ていて思い出すのは廃ビルの二階のさびた扉だ。
ブリキ製のその扉は川岸につきだした廃ビルの外側についている。
二階についているといってもまったくのでたらめで、その二階の扉には地上へつながるコンクリートのスロープも、がたのきているかけ梯子も、手すりの裏側までさびついた赤茶の螺旋階段もついていない。空中に放り出されるかっこうで、西日に晒されるままでいている。
ブリキの扉はいつも閉まりきっている。一度も開かれたことがないようにさえ思える。しかしそれはきちんと扉の形状をしている。ブリキのドアノブだって、いまはまだということだけど、丸いのがちゃんとついている。扉は風が吹くとぶるぶると震え、川の流れからは高いところで乾いた音を立てている。
僕が寂しげな老人を見ていて思い出すのはそんな扉だ。
そしてこの二つが、つまり老人と扉が、僕の町の主たるところだ。
あとはたとえば小川がある。橋のところからずっと下でちょろちょろと流れている。そこからぼうぼうと高く雑草が伸びていて、秋になるとあの赤い、根に毒のある草が花を咲かせる。
冬になれば花もやがて枯れ果てる。暗闇につつまれるかっこうで、町のすべてはもっと深く寂しくなる。乾いた過去の時代の叫びは、そんな冬の方角から聞こえてくる。それはぞっとするくらい哀しい声音で、ささやくようにひどく小さい。しかし真剣に耳を傾けてみれば、誰にでも声を聞くことくらいはできる。
「まだ町は死んではいない」
そんなふうに考えることもできる。
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