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心が豊かになる節約術

外資系メーカー管理職のキャリアを捨て、田舎に移住した私は、改めて心が豊かになる節約が大事だと感じている。

というのもミニマリストブームでなにもかも無い方が良いというような風潮があり、みんな、何が必要で、何が不要なのか困っている。

これでは節約貧乏になりかねない。

物がなくなっても全然満足できない。むしろまた物が欲しくなる。そんな状況に悩まされる人も多いのではないだろうか。

そしてまず、ミニマリストの定義が様々あり、何を目的にミニマリストになるのか改めて考える事もとても重要だ。

以下それを表すエピソードだ。

数年前の話だ。私が東京にいた時、ミニマリストという言葉が流行り出し、あるテレビ番組で通称ミニマリストなる人が紹介されていた。

その人の例はこうだ。家にあるほとんど全ての物を捨て去って、部屋にはテレビも本も置いてない。最低限食う、寝るに必要な物しか置いてない。確か子供もいたと思う。

そのミニマリストのコメントは、

「身の回りのものが無くなってスッキリしました。節約にもなりますし〜、不便とは思わないです〜。」

だった。

そして、番組は進んでいき、ミニマリストが全てを捨て去り、殺風景な部屋で日常何をしているのかという質問に答えるシーンがあった。

そして、日常の風景が映し出されるのだが、何をしているのかというと、その殺風景な部屋でごろごろ寝ているのだそうだ。スマホ1つ見ながら。

スマホは持ってるんかいっ!!!

 私は思わず突っ込んでしまった。

スマホは家の中にあるもので一番情報量が多い。せっかくテレビも本も置いてないのに、テレビや本よりもはるかに情報量も多い

ス!マ!!ホ!!!?

その人が何をもってミニマリストなのか定義はわからないが、もう倒れこみたいほど心の中はずっこけていた。

そして、ここ数年の時を超えて、私の脳裏に突き刺さっている。

ここで、私が考える、節約とは何か、自分の心が豊かになる幸せになる節約とは何かについてお話ししたい。

最初に述べた通り、ミニマリストブームで何もかも無い方が良いというような風潮があり、みんな、何が必要で、何が不要なのか困っている。

田舎で情報量の少ない私にはそう見えるのだ。

私は真のミニマリストは自分の好きなものしか買わない、置かない、また、情報も自分が必要な最低限の情報しか得ることが出来ない様にしている人と定義している。情報も自分に影響を与えるという点で物や食べ物と同じだ。

そしてまず、心が豊かになる幸せな節約をしたり、真のミニマニストになる為には、

自分が、とにかく自分が、何がしたいのか、何が欲しいのかを知らなければならない。

言い換えると、何がしたくないのか、何がいらないのかを知らないとならない。

これを誤るといくら身の回りのものを処分しようとも逆に欲に駆られてストレスが溜まり、不幸になる。

要るものも要らないものも捨てようとして、捨てたらまた欲しくなり。欲しい気持ちや、欲しい自分を抑圧してストレスがたまる。

逆にいるものを買わなかったり、我慢したりすると同じように自分を抑圧してストレスが溜まる。

時には甘いものが欲しかったり、酒が飲みたかったり、高級ブランドや家や車が欲しいという自分がダメな自分だと否定して不幸になってる人さえいる。

私が田舎からみんなを見てるとこんな感じだ。

本当に欲しいものを見つける方法は1つだ。

自分に聞いてみる。

何故、欲しいんだ、何故それがしたいのか、と。

答えを考える。待ってみる。そして出た答えに対しても何故そう思うのか、そしてまた出た答えにも何故そう思うのかと何度も何度も深掘りして自分を問いただす。

その答えが、みんなが持っているからとか、賞賛されたいからとか、人を負かせたいからとか、他人が関わっているようであれば、それはあなたが欲しいものではない。

誰かがあなたに買わせたいもの、させたいことである可能性が高いのだ。

何故食べたいのか、よくよく問い詰めていくと食べたいものすら誰かに食べたいと思わされている事もある。

だから自分の周りにある情報というのは一番大切なものなんだ。ある意味、物より大切だ。

そして、人に何かを欲しいと思わされていて、しかもそれが手に入らない、もしくは手に入れるのにとてつもない労力がかかる。これが一番不幸だ。

自分に必要ないものを欲しいといって、手に入らないからストレスが溜まる。本末転倒という言葉がこれだけ似合う状況もなかなかない。

話は変わるが、私の友人にプロレス好きな人がいる。

地方団体であろうと、大きな団体であろうと、とにかく何でもだ。特に武藤敬司のシャイニングウィザードというプロレス技に魅せられ、子供の時からたまらなく好きらしい。何故か私も学生時代に東京ドームに連れていかれた。

彼はある地方団体のファンクラブに入っている。年会費を払い、試合に行き、グッズを買い漁り、選手を応援する。本物のプロレスラーと飲んだり騒いだり、時には東京まで出てきて好きなメジャー団体の試合を応援する。

こんな生活を続けている彼がプロレスにかけるお金は私から見たら莫大なものだ。

先日、私は彼の結婚式に出席した。

披露宴に彼が属するファンクラブの地方団体の選手たち数名が参席していた。彼は別に著名人でも無く、ただのファンの1人だ。しかしその彼の数年来のプロレスに対する情熱がその地方プロレス団体のメンバーに伝わり、ファンクラブでも、プライベートでも交流を深めてきた。

披露宴が始まり、あの妙に目立つガタイのいい人たちは一体何者なんだという疑問がみんなの脳裏によぎる中、披露宴はクライマックスになった。

友人の出し物や、カラオケ、楽器演奏などに泣いたり、笑ったり、和やかで終始楽しい時間が流れていた。

そして遂にその地方プロレス団体の出し物の番になった。それは新郎の日頃交流のある地方団体の選手たちによるビデオメッセージだった。

ここで会場がようやく彼らがプロレス団体の選手であることに気づく。

数々のメッセージに彼は感動し、涙が溢れそうになっている。

大好きな選手たちが自分の結婚をお祝いして、来れなかった残りの選手たちまでもがビデオメッセージで祝福してくれているのだ。

しかし、それだけでは終わらなかった。メッセージビデオが進むにつれて、どんどんいろんなプロレスラーが出てきていた。地方団体だけで無く、知る人が見れば驚くような選手たちが何人も。

地方団体の選手がメジャー団体の選手にお願いしてメッセージの撮影にこぎつけたようだ。

会場がざわつき出す。

そして、遂にメッセージは最後の選手にバトンタッチされる。

スキンヘッドにクマのティーシャツ、鍛え抜かれた体に、白い口髭。指はあの「プロレスLOVE」のポーズだ。

そう、何と彼が小さな頃から好きだった、憧れの武藤敬司が彼に祝福のメッセージを送ったのだ。

これは神無月ではない。

もう一度言おう。

これは神無月ではない。本物の武藤敬司だ!

私も東京ドームで15年以上前に見た武藤敬司だ!

これが豊かさだ。 

会場が感嘆に包まれる中、私は普通に泣いてしまって、彼がどんな反応をしていたのかは覚えていない。

もし彼が、節約をしようと、プロレスにかけるお金や時間をケチっていたらこんな感動には繋がらなかったはずだ。

間違いなく、彼にとって、最も楽しい時間の1つとして心に刻まれたはずだ。一生忘れられないだろう。彼の人生は豊かだ。

彼にとってプロレスにかけるお金と時間は当然のことなのだ。

まさにnote企画の「#買ってよかったもの」になるだろう。

しかしこれだけ自分の好きなことを知っている人も少ない。

話は戻すが、やはり自分自身に何故それが欲しいのか、何故それがしたいのか、何度も何度も問い続ける事が大事だ。

他人にそう思わされていないか?疑いを持つ事が大切だ。

その結果フェラーリが欲しければそれは全力で手に入れに行くべきだろう。

自分が本当に留学したければどんな手を使ってても行くべきだろう。 

自分が本当にその会社に入りたければどんな手を使ってでも入るべきだ。

その結果、得られれば笑い、得られなければ泣く。得るために努力し、どうすれば得られるのかを考える。その過程はとても楽しいもので努力を努力と思わずに続ける事ができる。最終的に得られなくても、努力が成長や別の道に繋がり、自分を好きでいられるだろう。

これが人から操作されるものの場合、得るための努力は果てしなく苦しくなる。そして得られなければ自分が嫌いになるだろう。

あなたの努力が苦しいものだと感じるならばもう一度考えて欲しい。それが心の底から自分が欲しいものなのか?人から思わされていないか。

欲しくないものなのであれば捨ててしまおう。その欲を切り落としてしまおう。

 そうやって自分の好きなものだけを周りに置いて、人生を豊かにしよう。

これが田舎に住む私の、心が豊かになる、幸せになる節約の心構えだ。

ことり 拝

【編集後記】

ちなみに私の好きなものは、「甘いもの」と「各国のいろいろな種類のビール」です。健康に悪いですけどね。(笑 ) 

よく周りからの情報で食べたいと思わされるものが「肉」です。たまに食べたくなるので、食べたくなったら本当に自分が食べたいのか疑うようにしています。

駅構内のKIOSKは昔常連で色んなものに毎日Suica払いでかなりの額を使っていましたが、今は私の周りにKIOSKなんてないので節約になっています。

良かったらあなたの本当に欲しいもの、やりたい事、欲しくないもの、やりたくない事をそれぞれ教えてください。とても楽しみです(^^)

いつもお読みいただき有難う御座います。私の目標は人が自分らしさを発揮して生きている社会をつくる事です。