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心の中で走り続ける気仙沼線

これは、先週末に出演した気仙沼ストリートライブフェスティバルの続きの話である。

地域に住む方々の「心の復興」を目標に始まったこのイベント。市街地から離れたお寺が会場ではあるものの、活気に満ち溢れていて、気仙沼が未来へ向けて歩いていっていることがひしひしと伝わるイベントであった。
そんな中、印象に残ったのが震災前の情景をオリジナルソングで歌うバンドであった。

西日に照らされた本堂前のステージに上ったバンドの皆さんは、ご年齢的におそらく仕事をリタイヤされた方々だろう。ギター2本とベース、カホン、パーカッション、ソプラノサックスで編成されるこのバンドは、どこか懐かしい優しげなフォークサウンドを奏でるバンドだった。
ライブの終盤、イントロが始まると馴染のお客さんから一際大きな拍手が起こった。

歌っていたのは、津波で流され、今はもう※BRTとして形を変えてしまった気仙沼線を懐かしむ歌だった。
1日に6本しかないディーゼル列車。様々な馴染の場所を通りながらゴトゴトと走っていく、のどかな風景を歌っていた。
演奏しているみなさんはもちろん、お客さんも昔を懐かしむような優しげな表情で聞き入っていた。
私も乗ったことはないはずなのに、懐かしい風景が目に浮かぶようであった。
「今はない〜 気仙沼線」
と歌い上げるボーカルの方の声は、怒りや悲しみというよりも、誰かに昔話をするような優しげな声であった。

これは、私にとって意外なことだった。
「復興」といえば、壊れてしまった町やコミュニティを新しく再生していくことに目を向けることが多く、震災前のことを思い返しても辛いだけではないかと思い込んでいたからだ。
しかし、被災した地域に暮らした方々、特に年配の方々ともなれば、津波で流される前の地域の思い出がたくさん残っているのだ。
ライブの後、メンバーの方がこんな事を話していた。
「今は、BRTになって本数も増えて便利になったんだけど、あれ(気仙沼線)は、あれで良かったんだよねぇ〜。汽笛の音とかさ!」
細めた目には、きっと三陸沿岸を進んでいく旧式のディーゼル列車が映っていたのだろう。

「心の復興」とは、未来に向けて色んなことに取り組んでいくことももちろん大切ではあるが、失われたものを思い出として大切にすることも同じくらい大切であると実感した。

気仙沼線はきっと、今も気仙沼の方々の心の中で走り続けているのだろう。




※BRT   (バス・ラピッド・トランジット)の略称。バス専用道路などを活用し、効率的に乗客を輸送するシステム。気仙沼線では、線路だった場所の一部をバス専用道路として再利用し、前谷地〜気仙沼区間をJR東日本が運行するバスが走っている。

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