秋田と自分。。今更だけど。。

文章を書く、刻むように。色々と記録を残す。やっぱりぼくは文章を書いているとき、色々なものが見えるようになる。

秋田に戻り、どれくらい経ったんだろう。1年半くらいかな。

この前散歩をしていたら、一緒にヤンチャをしていた友達の家がなくなっていて、そこには新しい家が建っていた。

散歩ルートのハミングロード沿いには、小学校の友人たちの家(今は実家かな)が並んでいる。同じ土地、同じ場所なのに見える景色が変わる。そんなことをなぜか今ごろ、感じている。

今日は横手に。アキタカラのみんなとかまくらを見に行ってきた。行く途中、帰る途中、山々を通る。そこにポツポツとある家、21:30でも電気もついていない。きっと昔はもっと家があって、人がいて、活気があった街。

人口減少や少子高齢化、空き家などの深刻さはこういった風景からぼくは感じる。「きっとこの街の人は一人暮らしになっても、なかなかヘルパーは来れないんだろうなぁ」とか「あまり家から出られない人もいるんじゃないかなぁ」とか、どうしても福祉の領域で感じてきたネガティブな角度からその風景を見てしまう。

でもきっと、その街にしかない豊かさもあったり、時間の流れもある。そこでの暮らしや日々はそこでしか感じられないんだろう。そんなよくわからないことも、頭をよぎったりする。


アキタカラをぼくはなんでやるんだろう。どうして秋田に残っているんだろう。そんなこともふと頭をよぎる。

矛盾をしているように感じる人もいるかもしれないけど、ぼくはやっぱり秋田を本当の意味で好きになれない。この場所になかなか誇りを持てない。

この土地に生まれ、育ってきて、やっぱりたくさんのものを受け取ってきて。人口減少や少子高齢化、自殺率やがん死亡率とか、色々な情報のなかで生きてきて、そして秋田を離れて、また帰ってくることになって。

でもぼくは今秋田で生きているから、だからどうやったら秋田をおもしろがれるのか、どうすれば秋田での日々がみんなにとって楽しいと思えるのか、それを探すために、それをみんなで考えるために、ぼくはAKITA"KARA"というよくわかならコミュニティをつくり、今日まで運営をしているんだと思う。

どこに辿り着くかわからないけど、でもこの町で生まれたよくわからないコミュニティと、そこで育っている文化やノリみたいなものを大切にしながら、自分たちが秋田で生きている理由や、これからの秋田やぼくらの日々について考えいきたいと思う。

そして少しでも日々がおもしろくなるように、「生きているのも悪くないな!」と思ってくれる人が増えるように、頑張っていこう。

出会ってくれる目の前の人に感謝をして、自分と関わってくれる人のために何ができるのかを一所懸命考えて、前向きなエネルギーを刺激しながら、日々を生きていきたいと思う。



この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?