5月。いつもの言葉から

カレンダーが5月に変わる。今年度も1/1212分の1が終わり、こうやって日々が過ぎていくんだなぁ~と実感する。

今日は良い天気。殿さんは相変わらず陽を浴びている。とても気持ちが良さそう。ぼくは殿を後ろにパソコンをパチパチ叩いたり、事務作業をしたりしている。変わらぬ日々が過ぎている。

自分が動かしているプロジェクトは少しおもしろい方向に転がっていきそうな予感がある。この予感を実態にしてくのが一応ぼくの仕事で…コツコツと頑張っていくのみである。

ただいつも立ち返るのは「それは本当にみんなが求めているのか?」という部分。自分よがりではいけない。自分だけがやりたいならやらない方が良い。求めてくれる人がいて、その機会を必要な人がいて、はじめてぼくの仕事が生まれる。そんな自分軸みたいなものはちゃんと持ち続けていきたい。

ある種のいさぎよさではないけど、その本質から目を背けないようにしたい。


基本的にぼくがやっていくことは実験的な要素が強いと思う。社会実験。実は前職で関わっていたプロジェクトも"社会実験プロジェクト"だった。ぼくはこの響きが好きだ。

「何かを変えるぞ!」と謳うと、どこか無理をしている感じがする。でも「とりあえずやってみようよ」だと、なぜか軽やかになる。これは自分のなかの感覚だけど、おそらく小さい時から悪ふざけが好きだったのとか、怒られるか怒られないかのギリギリを攻めるアホだったのもあって、なんかこの「実験」という言葉が自分に合うんだと思う。

まさに今やっているAKITA"KARA"は実験的要素が豊富。よくわからないけど、10〜30代の多種多様な人の繋がりが広がっている。これからちょっと自治的じちてきな要素をつくってみたいとも思ったりする。

どう転ぶかはわからないし、このプロジェクトがどこに行くかもわからない。もちろんそれがおもしろさでもあるけど、ただAKITA"KARA"が、秋田で暮らす人にとって良いものになったら嬉しい。

「日々の仕事や人間関係は大変だけど、AKITA"KARA"に来たら元気になれる」「何かをチャレンジしたいと思った」「久しぶりに新しい友達ができた」よく、そういった言葉をもらう。誰かにとって、これからもそういうコミュニティで在り続けたいと思う。

そして秋田で困っている人や課題があるなら、そういったものとも向き合っていける団体になれると良いと思う。きっとそこでも若い才能がたくさん発掘されるだろう。


終わりに。

みんなが引っ張られてしまう時代の流れ。凄まじく早く強いエネルギーを持っている。ぼくはそのなかでどう生きるか。

色々な言葉が自分のために使われる時代で。ぼくにとって秋田はローカルで在り、活動拠点でもある。でもその前に、ぼくが生まれ育った場所だ。

地元には仲間がいる。ここを出た仲間もいる。一緒に悪さをしていた奴はどこにいったのか。たまに散歩をしながら、溜まり場だった公園を横切ると、そんなことを思う。

みんなが通り過ぎてしまう価値を探し、見つけ出す。才能があるかないかで人を判断しない。こいつとなら付き合っていけると、そう思った友人たちと何かを1からやってみる。いつもぼくの活動の根幹は「友人が困っているから」があるかもしれない。

いつも書く日記のような言葉を、なぜかnoteで書いてみようと思ったお昼前。あまり書きすぎると仕事がどんどん溜まっていくので、この辺で。おもしろい今日を生きて、明日にはちゃんと忘れましょう~。それでは!

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