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『 』を売る男

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を売る男

夕暮れ時。仕事にかたをつけた私は、靴をうるさく鳴らし道を急ぐ。

今日は給料日、日々の命を繋ぐ手数料を払い僅かに残った金を握りしめ"あそこ"に行くのが毎月のささやかな楽しみになっている。

もう幾度も通った道を抜け、漸くたどり着いた。『マーケット』に。

そこは誰でも店が出せるノミ市のような場所だ。

自作の絵画から骨董品、果てには自伝や生活ゴミ。手数料さえ払えば何を売ってもいいからか、多種多様な

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『    』を売る男2

そこはいかにも奇妙な店だった。物を売らなくてもマッサージや整髪などサービスを売っている店はそこらじゅうにあるが、この店はそんか雰囲気はない。

しかしひとり、またひとりと客がやってきて店主とひとつふたつ話すと金を払って去っていく。この店は何なんだろうか。気が付けば私の好奇心に操られた身体が店主の前に移動していた。

いらっしゃいませ。あなたはお客さんには見えませんね。何の御用でしょう。

やぁ、君

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『    』を売る男3

それからの店主は饒舌だった。店を構え、客に一言二言呟けばそれが売れるのだという。

まだ店をかまえて1ヶ月ですが、今では遠方からもお客が来るんですよ。何もないのにね、と店主は話す。

そうして話をしてる合間にも私の後ろに今か今かと客が並んでいるのを感じる。──非常に興味深いが商売の邪魔はしてはいけないな──話を切り上げ失礼、と移動しようとしたが店主がそれを遮った。

いいんですよ、今日はもう店じま

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『    』を売る男4

さて、どこまで話しましたか。私が何でnullが売れるのかがわからないと言いましたが、あれはちょっと語弊がありましてね。確かにnullが売れるのかはわかりませんが、客が何でこれを買うかはわかるのですよ。

店主は身振り手振りを使い話し続ける。まるで隠し通した誰かの秘密をばらまくような、そんな口ぶりだった。

旦那みたいな"普通の"人には知られていませんがね、私はこのマーケットではちょっとした有名人で

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『    』を売る男5

全く仰る通りです。でも、私は儲ける方法なぞ売ってません。私が売ってるのはnull、何もないわけです。それを話題作りのために買う客もいれば、儲け話と思って買う客もいるでしょう。買った後何になるかはそれぞれなのですよ。

だから言ったでしょう、私はどうして売れるのかわからないと、と店主は言った。

少し喋りすぎましたかな。まあ、こういう商売の仕方もあるのですよ。そうだ、あなたもおひとつ買ってみませんか

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『    』を売る男6

あれから1ヶ月が経った。あの奇妙な店主との話を誰かに話そうかと思ったが、それこそ店主の思い通りになった気がして誰にも打ち明けずにいた。

この1ヶ月、マーケットでは大きな騒ぎになっていた。

あの奇妙な店はあれきり開かれる事はなく、代わりにあちこちに同じような店が乱立したのだ。

華やかな通りの大きなスペースに"第2の成功者"がいかにも金持ちのように振る舞いnullを売った。すると彼らに続けと似た

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『    』を売る男7

nullがあちこちで話題になると、それを良しとしない人々が現れ始めた。彼らは口々にこの"商売"の矛盾点を指摘したのである。

"nullは詐欺みたいなものだ。実態のないビジネスだ。"nullを売る方法"は馬鹿を騙す詐欺なのだ。"

彼らは"知能の足りない"新たな購入者が産まれないよう精力的に活躍し始めた。いびつな仕組みについて説き、マーケットで注意喚起のビラを撒く者まで現れた。

しかし、それを成

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『    』を売る男8

声を掛けてきた男は、かっちりとしたスーツを身に纏い、はじめて会った姿に比べて落ち着いた風貌に変わっていたが、一番最初にnullを売っていたあの店主で間違いなかった。

また会えるとは思ってませんでした。その、あれから色々と騒ぎになってましたからね。

少し大人しくしてたんですよ、と男は笑った。聞きたい事が沢山あったので男をバーに誘う。断られると思ったが意外にも男は着いてきた。

やあ、ずいぶん久し

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