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経験なんて「あなたの感想」に過ぎないんだからこそ心身の健康が大事

幸せや満足って主観的なものです。

某有名人に言わせれば「あなたの感想」。

別に悪い意味などなく、当たり前の話です。

「明日からなんでも望む物体が手に入るようになりますが、代わりに何事についても感想を抱くことができなくなります」

と言われて喜ぶ人は、おそらくいません。
(何も感じられない人が何かを望むのか疑問ですが…)

生きていて、体験していることから何か感じること、そこから考えることの総体が経験であり人生でしょう。

紛れもなく、私にとっての「自分の人生」は主観的なものです。

であれば、極論、体験したとしても、ぼんやりとしか感じていないのであれば経験していないようなものです。

今日の執筆者:クダカ

<感覚なしに経験なし>

中学の数学で

y=axってのを習いました。

これを体験と経験のアナロジーとして考えてみます。

変数のxが、体験です。
生きていれば出会ういろんな刺激。

で、yが経験。刺激をうけ、知覚したことをベースに、体験を脳が編集したものを「経験」とします。

このとき、aは定数でこれが僕たちの体(感じる力)です。

さっきの仮定みたいに感じる力がゼロだったら、どれだけ大きな数字をxに代入してもゼロです。

つまり、どんな体験をしても何も感じない。経験として蓄積されないというわけです。

また、aがマイナスになるということもありそうです。

何事もマイナスに捉えちゃう時期ってあったりしますよね。鬱や不安症の状態だとなんでもない状況に危険を感じたりするそうです。

これだと、何をやってもマイナスばかり蓄積されていく。

<感覚を取り戻す価値はプライスレス>

僕はこのように考えているので、

最近ネガティブな感情が多いな。
集中力が持たないことが多いな。
ぼんやりして考えがまとまらないな。
背中のこわばりや肩こりがひどいな。
お気に入りの作品に浸れないな。

みたいなサインが出たら、すぐ体を休ませます。または栄養あるものを食べたり、運動したり、大好きな作品を見返したりして英気を養います。

定数aの値が小さく(マイナスに)なってるから、今は何かやればやるほど損するなあと判断するわけです。

これを早めにやらないと、判断する自分自体がすり減ってしまします。

そうなると、体や心が故障するまで休もうとしない悪いループに入ってしまうのです。即決が大事。

特に、疲れが精神や頭脳面のものなら、「きついけどまだ大丈夫」と思ってるくらいで休んだ方がいいと個人的には思っています。

なぜかというと、一般向けの認知科学の本で読んだのですが、眠いときや疲れているときは暗示にかかりやすい状態になっていると言われているからです。

要するに他者の意図に巻き込まれやすくなっているのです。スマホの誘惑に負けやすくなったり、変なものを買ったりしてしまいやすくなる。

だったら、さっさと休んで回復を優先させたほうがいいのでは?

と思うので、僕は落ち込んでいる友達にするくらいには自分を甘やかすようにします。

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