辛かったあの時期よりマシというネガティブな逃避からポジティブな思考への昇華

近々、嫌なイベントがあるのでタイトルの方法で自己暗示をかける。

僕が一番辛かったと記憶している時期は小学校時代だ。

小学校時代を振り返るとかなり楽しかったと言える。だが、高学年時の特定の授業が苦痛で仕方がなかった。公立小学校である。

以下の3つの授業が苦痛だった。授業はそれぞれ別の教師が担当していた。

国語(担任が担当)・・・「この時の登場人物の心情を答えよ」というのが授業内容の大半を占めていたように思う。児童を順番に指名して答えさせるというもので、当時は滅茶苦茶嫌だった。国語自体は得意だったのでこの授業スタイルが自分にあっていなかったのだろう。

授業とは別で、担任はプリントや給食のパンを突っ込んだままの児童の机をちゃぶ台返ししたり、ビンタしたりしていて教室の雰囲気がピリピリしていた。


算数(専任の教師が担当)・・・内容そのものというより教師がかなり気難しい雰囲気を醸し出しているのがまず嫌だった。質問に答えられない児童には強めに怒鳴ったり三角定規で叩いたり、机に拳を振り下ろしたりとやりたい放題だった。そのような雰囲気の中での授業が最悪だった。

一度、その教師になぜか職員室に呼び出され「この問題を解いてみろ」と言われ対応したが、特に何事もなく済んだことがある。

国数の授業中は、常に戦々恐々としていた。

音楽(専任の教師が担当)・・・歌う事自体が好きではない。決められた授業時間を超えていなかったとは思うが拘束時間が長い。教師が納得するまで終わらない。どうなったら終わるかが不明。教師がかなりヒステリック気味。卒業式などで歌う曲の練習を頻繁にやっていた気がする。今思えば教師の自己満足感が凄かった。

上記に共通するのが「感情」である。僕は当時から「感情」というものが苦手であったのだろう。今でも苦手だ。特に感情を表に出す人物とは距離をおきたくなる。

ここでタイトルのメリットデメリットを挙げる。

メリット
今振り返ると大したことではないようにも思われるが、小学校時代の精神が未熟な時期の諸々のキツさより、社会人現在の1、2日程度のイベントがキツいということは無いだろうという過去の自分が体感・体験したことへの信頼感と安心感によるリラックス効果によりポジティブ思考になれること。

上記の辛さを乗り越えたおかげで、中高時代はヌルゲーだった。
大学時代は、課題がキツいなど別のベクトルの辛さはあったが、今振り返っても小学校時代が一番キツかったと言える。

デメリット
時間が経ち過ぎていて、小学校時代の授業が辛かった臨場感というか授業の雰囲気の記憶がかなり薄れている。辛かったということだけは覚えている。

実際の辛かった期間は、特定の授業とはいえ高学年の1、2年間にもわたるものだが、辛かったという記憶の思い起こしは一瞬で終わってしまう。

イベントの辛い時間は1、2日ぐらいで体感時間としてかなり長いので
イベント中の辛い時間はピンポイントではあるが、ずっと小学校時代の辛い記憶を思い返し、「あの時よりマシ」と脳内で連呼しなければならない。

辛い体験というのは人それぞれだが、僕にとっては小学校時代の特定の授業時間がそれにあたる。
ジャネーの法則というものがあるように、11、12歳の頃の1、2年間は今と比較するとかなり長期の体感時間であったことだろう。

色々書いたが、普通に何も考えずにイベントを過ごした方が良い気がしてきている。

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