会社は私を守ってくれない
「会社は守ってくれないからね」
この言葉は数年前、会社の先輩に言われてハッとした言葉だ。
あれ以来自分の中でこの言葉を反芻し続けていたが、なんとなく自分の中で答えらしき考えが出てきた。
数年前、前職を転職しようかしまいかをすごく考えた時期があった。20代後半に差し掛かった時だ。
自分のやりたいこと、置かれている環境、色々思案した。
そしたら漠然とした不安感が大量に押し寄せてきた。そしてよくわからない不安の中で将来を考えに考えぬいてみたが、結局は自分がどうしたらいいのかよく分からなくなってしまったのだ。なんとなく色んな人に相談するも特に進展はなし。毎日ぐるぐるなにかを考えていた気がする。
そんなときであった。自分の中で「この人はいい仕事をする人だな」と思っていた先輩が会社を辞めるということなった。(今考えると後輩ごときがその人の仕事内容を評価するなんて烏滸がましいことだと思うが許してほしい)
ただ、告げられた退職に驚きはなかった。その先輩が会社を辞めることは想像に容易かったのだ。
その人はいろんな決まりごとがたくさんある会社の中で、0から1を何度も生み出してきて様々な成功事例を作ってきた人だ。この人なら例えこの会社にいなくても、というか会社なんて枠を超えてもっと羽ばたける人なんだろうなと、勝手に思っていた。
私とその人は仕事上の関わりは密接にあったわけじゃないが、世間話程度はする仲だった。だから勇気を出してご飯に誘った。そのとき抱えていた漠然とした不安感に構いきれていなかった私が、今後一体どうしたいのかを言語化するために、転職なりの悩みを相談したかったのだ。今考えると完全に私都合に付き合わせたいがために誘ったことを申し訳なく思うが、そのときは全く気が回らなかった。そしてその先輩の優しさは存分に発揮され、無事一緒にご飯を食べていただけることになった。
当日、ある地下街の居酒屋でたくさんいろんなことを話した。そして色々な相談を乗ってもらった。私も転職を考えていること、それでも自分がどうしたらいいか分からないこと。
先輩はとても優しかった。たくさんの親身なアドバイスとともにその時に言われたのが、「会社は守ってくれない」この言葉だった。
当時の私は社会人になってまだ5年経つかどうかの時期であった。
その会社の中では中堅に差し掛かるかどうかといったところで、やっと一人前に仕事をし、成果を上げられつつあるような頃合いだった。
だから正直な話、会社と自分の関わり方なんて考えたことなかった。ただがむしゃらに働くだけ働いて、他のことなんかは何も考えていなかった。会社との関わりを聞かれたら、むしろ会社は何かあった時の後ろ盾になるような存在だと感じていたとさえ思う。
そんな私にとって、会社は守ってくれないという言葉は心にずっしりくる言葉だった。その時の私は「ええ…」としか返せなかった気がする。初耳だし、なんとなく突き放したような言葉だとさえ感じた。
でも、先輩は常識と言わんばかりにその言葉をかけてくれた。だから私は居酒屋で一人、面食らっていた。
その先輩はお酒を飲まなかったから、完全素面の会話であった。居酒屋でこんな真面目な会話、ある?いや、なかなかないよ。
ひとしきりその言葉の意味を考えつつ、その後も私が想像もしなかった視点からヒントを出してもらっていた。すごく有意義な場になり、おひらきとなった。自分の人生について深く考える良い場になったのだ。
そこから数年が経つ。実際に私は転職した。あの居酒屋で話をしたときと全く違う場所で仕事をしつつも、あの日なんで先輩は「会社は守ってくれない」という言葉を私にかけてくれたのか、なんとなくずっと引っかかっていた。
というかうまく飲み込めない言葉として、ここ最近までずっと咀嚼し続けていたというのが正しいかもしれない。
会社への貢献度だけが全てじゃない、会社と自分は対等で見よ
そして本を読んだり自分なりに考えて、なんとなくだが私はその言葉をこう解釈した。
会社というものはなんかこう、ざっくりと「すごくえらいなにか」として認識していた。アホっぽさ丸出しの表現だとは思うが、新卒で入って数年とかいう、経験が浅いうちに会社というものは何者かなんて考えもしなかったから許してほしい。私は会社を自分の後ろ盾の存在と考えていたし、いざとなったら会社が何とかしてくれるかもしれない。そんな考えをしていた。
でも実際は違う。あくまでも会社と私という存在は対等で考えるべきなんだということを最近は感じている。
決してどっちが上とかではない。そして対等だからこそ、どれだけ会社に貢献できてるかという考えは捨てた方がいい。
あのときの先輩は、会社の中で生きることより、あなたの人生はあなたの自分軸で生きた方がいいよ、そう言ってくれていたのだと、アドバイスをくれたのかなと、今になって感じている。
当時の私というのはそれなりに前向きに仕事を続けてきたことで、「自負」なり「自信」みたいなのを持っていた。そしてその頃あたりにとある大きな仕事を任せてもらい、色んな人のおかげで成功することができたのだ。会社の中で実績みたいなのも作ったし、褒められもした。だから会社内での私の評価にすごく自信を持っていたのだ。
(今考えるとだいぶエラそうで生意気な社員であるが)
そして「いかに会社に貢献出来たかが会社員としての私の人生の豊かさ」を測るものさしだということを無意識に考えていた。会社での仕事が出来たからエライ、仕事が出来ないのはエラくない。そして私は会社の売上に貢献しているのだからちょっとは偉いはずだ。そんな単純且ついやな奴思考をしていた。
先輩はそんな驕っている私に気づいていたのかもしれない。だから会社への貢献具合のものさしだけを持っていた私にアドバイスをし、落ち着かせてくれる一言だったのかもしれない。
そして当然かもしれないが、あれだけ私が誇っていた社内の功績は、人生の良い思い出1ピースになれど、私の人生を揺るがすような大きい要因にはなっていない。昇給も昇進も、望んだものよりも小さく、同期たちと特に差はなかった。悲しい話かもしれないが、たかが日系企業の平社員なんてこんなものだろう。
その会社を辞めて数年ばかり経つが、私がどれだけ貢献できたかなんていう実績値はもちろん記録として残っているわけでもないし、ましてや私がいなくなって会社が…みたいなことももちろんない。
会社への貢献度については目に見える形で残っていないが、そのときに私がどうやって物事に取り組んだか、どういう部分を気を付けていたか、それによって私がどんな面で成長したかについては確実に己の中に蓄積されたままである。
たまたまその出来事が会社というフィルターを通しているだけであって、私が成したことは会社がなければ何にもならないことではなかったのである。
あの日あの言葉をなんで私にかけてくれたのかは分からない。ただ話の一環として出た言葉だけだったのかもしれない。
でも、確実に私の心の中には残ったのだった。