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20人の「40歳」との対話 Part2(5人目~8人目)

撮影:荒牧耕司

こんにちは。大宮冬洋(43歳)です。
3年前に自費出版した『40歳は不惑ですか、惑ですか』で、対話に付き合ってくれたのは、僕の幼馴染から仕事仲間までの20人。
今回は高校と大学で出会った4人を切り出しました。

進学する意味は、「人間関係は所与のものだけではない」と知ることにある気がします。
親族や近所や地元の小中学校から離れて、自分の意思で異なる世界に飛び込むこと。
多種多様な他者との交流を通して、自分自身を作り上げていくのです。
不良たちの天下だった地元で伸び伸びとはできなかった僕にとって、進学は「救い」でもありました。

海外留学をしたわけでもないに大げさなことを言ってしまいました。
そういえば、ここで登場してくれた高校時代の友人3人のうち2人は、僕と同じ高校ではなくて、3週間のアメリカ滞在プログラムの仲間です。
僕はアメリカ人ではなく日本人と仲良くなって帰ってきてしまいましたが、その思い出はなぜか強烈に輝き、今でも人間関係が続いています。

5人目 林さんの話

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2度の育休を経て、40歳の春に本格復帰

 外資系のマーケティングリサーチ会社で働き始めて10年目です。この4月に本格的に職場復帰しました。長男を産んで育休に入ったのが2014年で、翌年に6か月間だけ職場に戻り、今度は次男を産みました。2年間も休んだ分だけ昇進のスピードは落ちたと感じています。
 会社としては正しい処置だと思うし、私も不公平感はありません。でも、好きで休んだわけではないので心のモヤモヤは残ります。私はもっと仕事がしたいし、いずれは経営にも関わりたいので、ポジションを上げていくことは必須なんです。
 実は、復帰前には転職も考えていました。40歳は転職するにもギリギリの年齢だと思うからです。転職エージェントの女性からは「気持ちはわかるけれど、0歳児と2歳児を抱えた状態での転職はリスクが高すぎる」と引きとめられました。まともなアドバイスですよね……。
 子どもを産むと母性が出て来て仕事やキャリアは二の次になる、と聞いたことがあります。私の場合はそうなりませんでした。子どもはかわいいけれど、仕事と子育てはまったく別物なんです。両方やりたい。
 欲張りというか貧乏性なんだと思います。大学院時代の先生や同級生たちがフェイスブックで海外出張の様子などをアップしていると「私は現状に甘んじている。もっと勉強しなくちゃいけない。もっと仕事の幅を広げなくちゃ」と焦るんです。
 大学を卒業して新卒入社したのは、いま(燃費不正問題で)話題の三菱自動車です。事務系の大卒同期は20人いたけれど、半数も残っていないと思います。今でも仲良くしている人はいますよ。お互いの結婚式にも出席しました。
 2社目はブリヂストンです。海外に子会社を作る業務などをしていました。それで経営企画に興味を持つようになり、会社を辞めて一橋大学の経営大学院に1年間通いました。
 大学院を卒業したときにちょうど30歳になっていました。華々しいキャリアを目指すなら、あのときにもう少し無理をすべきだったのかもしれません。例えば、戦略コンサルティング会社に入って昼夜を問わず働く、とか。40歳で小さな子どもがいる今では、体力的にも物理的にも難しい選択です。30歳のあのときに戻りたいと思うことはあります。
 いまの会社に入ってからも最初の3年ぐらいはくすぶっていました。リサーチ業務の経験者ではない自分は会社に求められていない、評価されていない、と感じ続けていたからです。イライラして、自分のミスを他人のせいにしたこともありました。
 あの頃は婚活もうまくいかなくて卑屈になっていました。ちゃんと相手を見ずに付き合ったりして何回も失敗していたんです。思い出すと恥ずかしいことばかり。30代前半は仕事もプライベートもすごく低調でした。
 仕事の調子が良くなり始めたのは転職して4年目ぐらいからです。任された営業で結果を出したら、意外なほど権限委譲をしてもらい、自信がつきました。いまのダンナと出会った時期とも重なっています。人生の棒グラフが急に右肩上がりした頃でした。

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