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異界に紛れて

 今日はなんちゃって探検隊を組んで、ある史跡へと向かった。佐渡五輪さん。

 うちの家のすぐそばの山にあると聞いていたけど、その話をしてくれた人も30年前に行ったっきりで今じゃどこにあるのかもよく覚えてないし、獣道になってて、辿りつけるかどうかわからないとのことだった。

「でも、めっちゃ気になりますねぇ」

 と、何気なくボクが放った言葉を、その人は覚えてくれていた。で、その人が今回の探検隊の隊長だった。じつはボクの発言のあと、何度かリサーチで山に入ったり、地元の人の声を聞いたりしながら、ついに見つけた!らしく、ボクらは道に迷わぬように目印のついた山道を進みながら、史跡へと向かった。

 五輪さんに到着とすると、思っていた以上にサイズがでかい。探検隊メンバーで、「なぜここにあるのか?」「亡くなった方は偉い人だったんじゃないか?」「時代はいつくらいだったのか?」などを口々に語り合った。

 じつは、先日、ちょっとした研究者なのか専門分野の方が、この五輪が再発見されたことを聞きつけて、確認に行ったらしい。そのときの話を又聞きすると、「鎌倉時代あたりのもの」「このあたりはじつは寺院だったんじゃないか」などの説が上がってくる。いろいろなロマン。あの時だけ、みんながみんな、男のロ・マン(『とっても!ラッキーマン』参照)

 名和地区という場所で、それは流刑されてた後醍醐天皇の隠岐脱出をサポートした名和長年に所縁ある土地なんだけど、鎌倉時代っていうと、その後醍醐関連事件よりも前の時期につくられた五輪ってことになる。

 個人的に気になったのは、”佐渡”という名前がついてて、所縁がそこにありそうなこと。佐渡も流刑地であり、奈良時代くらいから人が流されてた場所でもあること。流刑される人は、今でいう人殺しなどの凶悪な犯罪者っていうよりも、政治的にそりの合わない”思想犯”ということで島流しに合うので、教養は高く、そこそこの位もあった人だったんじゃないかということ。もし、そこから名和の地へ流れてきた人だったんなら、わざわざその死に合わせて五輪塔が建てられるのもよくわかる気がした。まあ、妄想でしかないけども。男のロ・マン。

 てか、よくよく考えてみりゃあ、名和長利の墓のある長網寺は家から歩いて5分、屋敷跡は2分ってことで、うちの集落内じゃん!と気づいた...。ほんと、今さらながら。家の隣も神社だし、なんか歴史のそばに住んでるだなぁとしみじみ。

 ちなみに、名和一族が南下していって琉球王国をつくった説があって(名和→尚)、沖縄との少なからずの縁があるのも不思議なかんじ。それとたまーにネットで見かける名和さんはだいだいこの末裔っぽい。

 そんなことを佐渡五輪さんを後にし、山から下りながらに、ふと思った。身近すぎて、その貴重さに鈍感になりかけてるのはこわい。よその眼のを保ちつつ、ちゃんと暮らしていけるような意識でいけたらな、と。

 で、山からまた家が立ち並ぶ集落に出たとき、ああ、なんか異界から戻ってきた! みたいな感覚があった。なんとなく「ここを越えたら異界だ」という木々が複雑に絡まってできた門のような場所もあったりして。

ここが山(異界)と町(ムラ)の境界線か。柳田国男『遠野物語』などで扱われる山の文化(恐怖・怪異)みたいなものを一端を味わえたような気もした。

 何もない、文化物が一切ない、木々と静けさに囲まれた山に入っていくことは、異界に紛れに行くことでもある。そこに”妖怪”があったんだなぁ、と心象をなぞれたので、まったくもって良いフィールドワークでした。

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