見出し画像

心構えと納得感はどう生まれるのか

 じつは中身なんてのはどうでもよくて、「心構え」と「納得感」の問題でしかないのかもなー。

 ある地域の代表会議に参加してチラリと思ったこと。1時間半くらいの会議で新出情報はたくさん。しかもその中で、できれば一つの答えを出せたら...という雰囲気があった。が、怒号とまではいかずとも、会議の主催者に対する強い質問攻めで話がまとまる様子はない。

 それぞれが各地区の代表として出てきてるのもあり、その場では一個人の意見は言えても、その団体としての回答するのはやはり難しい(のはよく分かる)。

 もしこれが事前に「次の会議では○○について結論を出せたらと思います」という認識があって、そのための必要資料を先に確認できていたり、各団体でちょろっとでも共有できていれば、もっとスムーズにいってたんじゃないだろうか。

 そう、出席者がその物事を決めるまでのプロセス(流れ)を知り、今回の会議がどの部分にあたるのかを把握できていれば、「心構え」ができる。ざっくりとでもスケジュール感でもわかれば、各々が逆算して協議課題を持ち帰れたかもしれない。

 あとは、地域の自治のルール上、「○○はできない」「△△をしちゃうとまずい」という話がいくつか出てきていたが、まぁ根本的に変えられそうになものならしょうがないとは思う。けど、それを変えれそうにない理由が何なのか、とか、変えれるかもしれないときの課題は何なのか、をオープンに示すかどうかだけでもその場にいる人の「納得感」もだいぶ違うはずだ。

 もしかしたら、その課題を見える化することによって、解決案を持っている人もその場に参加しているかもしれない。そういう”透明性”というのは納得感につながるワードだし、秘密主義になると悪いこと一つもしてなくても相手を疑心暗鬼にさせてしまって、言葉をちゃんと受けってもらえなくリスクがある。

 ちゃんとした会議プロセスが踏まれてさえいれば、「心構え」もできるし、「納得感」も高まる。その二つさえあれば、じつはどんな結論になろうと、言うほどの反発にならないんじゃないか。むしろ「そこ今どうでもいいじゃん」というところを粗探し的につつく人が増えるのは、心構えができていなかったり納得感がないから、そのイラ立ちを表現しただけかもしれない。

 これは、その会議にいた人たちを責めたいとかそういった類の話でもなく、定期的に会議のような何かを取り決める場をつくる身として、「気を付けなくちゃいけないな」という注意喚起と、「最近のあれはどうだったっけ?」という内省ポイントの確認として、書き留めてるだけ。

 いろんな立場があるなか、それぞれの想いや背景を持ってるからこそ、まあぶつかるわけだけど、とりあえず、たがいに意図のズレが生じないといいっすよね。おつかれしたッ!

 なんとなく場づくりに関連しそうな過去日記をまとめておくか。

 場に関するモヤりってわりと多いっすよね。


もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。