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表情を視るために、立ち止まる5分。

 一息つく間をつくれるかどうか。その一息での脳内シュミレーションが場の質を上げてくれるような。

 朝起きてからだらだらっとfacebookを眺めていたら、元ブルゾンちえみwith Bの「with B(ブリリアン)」の片割れ、現コージ・トクダが現役アメフト選手になっていたのを見つけた。

 おぉ、そうなのか! とちょっとした驚きがありつつも、今じゃ芸能界を経てのセカンドキャリアの積み方も多様になっているから以前ほどの驚きはない。10年ブランクがあるとはいえ、法政大で4年間プレーした主将も経験するほど。ボクも学生時代アメフトをやっていたこともあり、法政大の凄みは目の当たりにしたし、年齢も1つ上ということで、どっかしらで見ていた選手でもあったんだろう。なんにせよ、大きくメディア露出をしていた人がプロとして競技参加するのは、アメフトというスポーツを普及していく意味ではかなり大きいんだろうなぁ、と思ったり。そういう今朝の目覚めだったわけで。

 さて、冒頭の「一息つけるか」問題について。

 ここ1週間を振り返ってみれば、爪が甘かったなぁと感じるような打ち合わせ、取材、会議が多かったように感じる。事前リサーチや資料作成がどうとか、というテクニカルな話というよりも、気遣いの部分で。

 なんでもそうだが、「どんな場にして、どう過ごしてもらい、どんな気持ちで帰ってもらえたらいいのか」というイメージが大事なんだけど、そのためにも始まる前にちょっとでも想像(シュミレーション)をし、姿勢と態度をつくっていく時間が必要だったりする。

 事前リサーチ、資料作成ってのは、あくまで場を円滑に進めるためにツールでしかなく、本来それはコミュニケーションや思考を促すために活用しているだけのもの。その情報性をうまくコントロールし、その場に参加する人の理解や気づき、納得感につなげていきたい。

 ここ最近の自分は、同時多発的に動くあれこれに翻弄され、”こなす”ことに追われていたせいか、場を想像する時間をつくりきれてなかったんだろうなぁ、と反省する。

 先のツイッターでも書いた「表情チェック」が特に大事なところなんだと思っている。自分に余裕がないと、人の表情に気づかないことが多い。目の前のこと(進行)ばかりに追われて、その場の人を置き去りにしちゃいがち。その人が、わかってるのか、理解できてないのか、つまらないのか、疑問があるのか、そういう感情を表情を観察し推理するための余裕は、一息ついての事前シュミレーションがあって生まれるもんだ。もともと技量も器量もないタイプなら余計に。

 一言でいえば、イメトレ。5分立ち止まるだけで、「物」と「事」よりも「人」を視られる(「見る」というよりも「視る」)。そんな気がしてるし、そんな時間をつくらなくちゃだな。それができて場で過ごせるときの自分が愉しいのはわかってるわけだし。ちょっと先の「楽」のための準備であり想像。


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