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「ん」を無視する人、無視できない人

 だらだらと読む感じでいいから、1週間に1冊くらいは読めたらいいな〜〜〜、と思っていたものの8月は1冊のみの読了。しかも、その1冊もほぼ1日でサッと読み上げてしまい、なんだか拍子抜け(いや、ホントはいいことなんですけどね!)

 その1冊が芸人ナイツ塙宣之著の『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』だった。

 これは「大阪は漫才界のブラジルであり、漫才の母国語は関西弁である」だとか「M-1は100メール走」だとか、漫才とはM-1とはについての解説や、M-1に挑戦するなかでナイツ漫才の挑戦と変化、2018年審査員としてどう評価したのかなどが、Q&A形式で書かれたもの。

 読み進めていて付箋を付けていたのは、「”ちゃんとしたネタ”ってのは、一つの定義として、”他の人でも演じることができるネタ”」という解釈だったり、2017年M-1決勝でマヂカルラブリーが披露した『野田ミュージカル』については「ツッコミはボケに対して引いちゃいけない」という漫才観だった。

 わかりやすい言葉で、端的に漫才論が語られているこの本を読めば、漫才のおもしろがり方(偉そうに語るとかでなく)が自然と身につくんじゃないかなぁ。と、思わせてくれるような1冊でした。

 ボク自身は、単なる一お笑いファンでしかないのだけど、毎年M-1を追ってると、「ん? なんで関西芸人ばかりがM-1決勝上がるんだろう」とは気づく。たぶん、この芸人は優勝できなさそうだけど爪痕残してテレビ仕事につながるんだろうな、とか、そういう類はなんとなく分かる気がする。

 でも、それはやっぱり素人なので”なんとなく”なのである。本を読んでると、そのほわっとした部分をしっかりと言語化していて、「なぜ?」に対する確固たる理由を持っている。

 漫才を仕事にしてるのもあって、コミュニケーションの人、言葉の人なんだなぁ、と痛感したし、これがプロなのかぁ、ともつくづく思った。

 とりあえず、「ん」という気付きまでは、素人でも辿り着ける。だけど、そっから先にを突き抜けるには、それなりの経験と理論が必要になってくるようだ。で、その経験と理論ってのは、シンプルにいえば、その「ん」という感覚について考える時間がどれだけつくれるか、っていうだけの話なのかもしれない。

 「ん」という感覚は、気を抜くとすぐ忘れてしまう。ほんの一瞬でやってきては過ぎていっちゃうもの。心の動体視力を鍛え上げないとつい見逃してしまうものじゃないだろうか。

 よくよく観察してみると、「ん」という感覚にも2パターンあることに気づく。一つは”期待感”で、もう一つは”違和感”である。

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