見出し画像

LGBTが周囲にいないという人々が、LGBTについて知った方がいい理由

ある異業種交流会の集まりで、私がLGBTの講演会や研修をしてるという自己紹介をした際に、ファシリテーターをしていた方は開口一番こう質問をしてきました。

「LGBTって何ですか?」

自分がしている仕事に没頭すればするほど、それが世界の基準のような感覚に陥ってしまう事があります。
最近はLGBT当事者やその問題に関心がある方とばかり話をしていたので、
あぁそうか、日本にはLGBTという単語が何を表すのかを知らない人がたくさんいるのだと考えを新たにする出来事でした。

今までLGBTについて考えた事も知ろうとした事もない人々とは、今までその必要性を感じなかった人々だと思います。
ですが、実際にLGBTに関して本当に知る必要はないのでしょうか。

LGBTはあなたの周りにいるという事


LGBT当事者の割合は人口の約10%前後と言われています。
左利きの割合とも、AB型の割合とも同じくらいと比較されているが、日本の総人口が約1億2550万人なので10%とすると1255万人。
つまり東京都民と同じくらいの人数です。

数が大きすぎるといまいちイメージしずらいと思うので、是非、自分の身の回りにいる人の数で考えてもらえるといいかと思います。

あなたが会社で10名のチームに所属していれば、内1名はLGBT当事者がいる可能性があり、
毎日10名のお客様を接客する仕事であれば、その内1名はLGBT当事者を接客する可能性があるという事です。

つまり無人島にでもいない限り、今までの人生でLGBT当事者に会った事がないという人はほぼいないという事になります。

それでも「LGBT当事者に会ったことがありますか?」と質問をすると、結構な確率でこう返ってくるのです。

「存在は知ってはいますが直接会った事はありません。」

いえ、あなたは確かにLGBT当事者に会った事があるのです。
気づいていないだけで。

何故、LGBT当事者に会ったことがないのか


理由は簡単です。
LGBT当事者が自分は当事者だと公言しないからです。

「自分から言わないのであれば分かりっこない。言わない本人が悪い。」

そうお思いになる方も多いと思います。
しかし、LGBT当事者は今も尚、公表する事で被る「実害」を恐れています。
「実害」の内容はLGBTどのセクシャリティかによっても異なり、さらにパーソナルな問題によってどんどん細分化されていきますが、その根幹にある感情とは「これ以上哀しみたくない」「これ以上面倒な事になりたくない」という自己防衛だと思っています。

例えば、ゲイの男性が長年連れ添ったパートナーと、自治体の制度を利用してパートナシップ宣言をした。男性が勤めている会社は結婚すると会社から祝い金を渡す制度があり、パートナシップ制度も結婚と同様に認めると通達がありました。
しかし、男性は申請をする際に直属の上司を通さなければならない為、断念します。
理由は、以前、直属の上司からゲイに言い寄られて気持ち悪かったという話を飲みの席で何度か聞いた為でした。

こういった実話はLGBT界隈では溢れかえっています。
実は会社でLGBTに対して制度を整えても、当事者がいるにも関わらず利用されないケースは頻発しているのです。

会社の制度を利用して結婚祝い金をもらうより、直属の上司から否定される苦しさから逃れたいからです。
そして、この否定される事の苦しさがLGBT当事者の口をどんどん重くしていき、周囲に公表しない選択をしていく当事者が何と多い事でしょうか。

LGBTという言葉が昔に比べ認知度を得てきたように、自分のセクシャリティをオープンにしている当事者も増え、それを自然に受け入れる人々も確実に増えています。

それでも尚、「実害」を恐れ口を閉ざす当事者が多い事を忘れないで下さい。
言わない選択をしている当事者を探してほしいといった見当違いな解釈をしないで頂きたいです。
口に出さずとも、あなたの周りにはLGBT当事者がいるという事を認識して頂きたいだけなのです。
そしてそれを言わない、言えない理由があなたたちにもある事を知ってほしいと思っています。

あなたの大切な人を傷つけているかもしれないという事


先ほどのゲイの男性の話には続きがあります。

実は直属の上司とゲイの男性は仕事上の師弟関係にあり、良い信頼関係で仕事をしていました。
直属の上司は世話焼きで、ゲイの男性がパートナーシップ宣言をしたなど露ほどにも知らず、自分の知り合いの女性を事ある事に紹介して仲を繋ごうとしたりプライベートにも関わりを持とうとする方でした。
ゲイの男性は自分の事を上司に言い出す事が出来ず、結局は一緒に仕事をするの事も苦しくなってしまい退職してしまいます。
上司は自分の大切な部下がLGBT当事者とは考えもせず、大切な人を自分の発言、その後の行動で追い詰めてしまった事を今も知らないままです。

この話で一番伝えたいのは、LGBT当事者は周りにいない、自分には関係ないという「他人事」の視点から、気付いていないだけで自分の周りにもLGBT当事者はいるのだという「自分事」の視点を持ってほしいという事です。

あなたは知らないだけで、本当はたくさんのLGBT当事者に会っています。
あなたは知らないだけで、もしかしたら不用意な言葉でLGBT当事者である仲間を傷つけて取り返しのつかない事になっているかもしれません。
あなたは知らないだけで、もしかしたら大事なお客様がLGBT当事者で信用を失っているかもしれません。

そう考えると少し怖くなりませんか?
知らなかったという事は免罪符になりますか?
それでも尚、人口の10%とはあなたにとって、ただの数でしょうか。

世間のニュースを見る時、自身について思いを馳せる事があります。
その中にLGBTを当たり前に入れ欲しいのです。
自身が当事者だったら
親族が当事者だったら
子供が当事者だったら
その10%はもしかしたらあなたの大切な方かもしれません。

ソクラテスの言葉に、
『無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり』という有名な言葉があります。

知らないという事は罪、でも知っているだけでも意味がない、
知識を使う事が出来て意味があるという解釈をしているのですが(哲学なので解釈が異なる方もいるかもしれません)

私は何かを知ろうとする時には、そもそも知ろうとする気持ちが自分から湧き出なければ難しいと考えています。
そして、その気持ちを沸き立たせるものはその事象を「自分事」に考えられるかどうかなのだと、LGBTを知らないという人々と対話をしてきて感じています。

この記事が参加している募集

#多様性を考える

27,987件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?