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君のことを書く勇気を僕にください

いつかは書きたいと思っていた。ただ、ずっと書く勇気が出なかった。

今日は「君」との話を書いてみようと思う。あまり長々と書くつもりはない。面白く脚色するつもりもない。ただ淡々と事実を書くのみである。

高校3年生の時に僕と君は出会った。君はとにかく美しかった。容姿は言うまでもないが、芯の通った性格も素敵だった。会話をする度に僕は君に魅了され、惹かれていった。僕にとって君は高嶺の花であり、君を自分のものにできるとは到底考えていなかった。しかし、冬を過ぎて受験が迫った頃、君が僕に好意を寄せていることを友人から聞いてしまった。それが全ての始まりだった。僕と君は同じ関西の国立大学を目指していた。僕はその国立大学のみを受験をすることに決めていて、落ちたら浪人するつもりだった。加えて、家庭の事情で、浪人するなら東京の予備校に通わなければならないことが決まっていた。君は関東の私立大学を滑り止めで受ける予定で、浪人するつもりはなかった。ちなみに僕たちが住んでいたのは中部地方である。そんな複雑な状況で、受験が迫る中、君が僕に好意を寄せていることを僕は知り、同時に、僕が君に好意を寄せていることを君は知ってしまった。僕たちはお互いの心の内を知りつつ、知らないふりをした。ただ心は一つだ。僕たちは「同じ大学に行きたい」という思いを胸に必死に直前期の追い込みをした。君はひと足先に滑り止めの関東の私立大学の合格を決め、少しホッとしている様子だった。そして、僕たちは本命の国立大学の受験の前日を迎えた。ホテルに着いた頃、君から「明日頑張ろうね」というLINEが入り、僕はスタンプを添えて「一緒に頑張ろうね」と返信をした。受験当日、僕は自分自身を奮い立たせた。そして、僕と君の一世一代の大勝負が始まった。最初の試験は数学だった。震える手で問題を必死に解いた。手応えは悪くなかった。続けて、英語と国語も何とか解き切った。そしてあっという間に全ての試験が終わった。疲労困憊だった。僕は家に帰ってからすぐ予備校が出している解答速報を見た。数学は易化していたこともあり、8割近くは取れているようだった。国語と英語は自分の点数の予想がつかなかった。その時点で受かる自信は50%あるかないかくらいだった。そんなことより、僕は君のことで頭が一杯だった。状況があまりに複雑な上に、恋愛経験の少ない僕はどうすればいいか分からず悩んでいた。数日後、僕は意を決して君を映画に誘った。君は快諾してくれた。そして、僕たちは初めてのデートをすることになる。当日、待ち合わせ場所に着くともう既に君が待っていた。ショッピングモールで見たいものがあって早く到着したらしい。上映時間まではしばらく時間があったので、僕たちはスタバに寄って時間を潰した。受験の話は一切しなかった。お互いが好意を寄せていることもまだ知らないふりをし続けた。そうするしかなかった。映画の内容はほとんど覚えてない。上映中、僕はずっと今後の身の振り方を考えていて、気づいたらエンドロールが流れていた。そして、帰り道、僕たちは自然に手と手を繋いだ。僕から繋いだような気もするし、君から繋いできたような気もする。君の手のひらは少し冷たかった。そして、想像以上に小さくて、それがとても愛おしかった。改札の前に着くと、僕は我慢ができなくなって告白をしてしまった。「僕は君のことが好きだ」と伝えた。君は「私もあなたのことが好き」と返してくれた。とても幸せな時間だった。が、お別れの時間がやってきて、僕たちは別々の電車に乗って帰った。お互いの気持ちは確かめ合えたが、今後の話はまだしなかった。というより、できなかった。次の日、僕たちは卒業式を迎えた。私服の高校だったので、僕は紫の袴を着ていて、君は緑の袴を着ていた。君はやっぱり美しかった。卒業式を終え、教室でクラス写真を撮り、先生が少し感動する話をして、帰りの挨拶をした。その後は部活ごとにパーティーを開く文化があり、各々が各部活動の集合場所へと散っていった。僕は席を立たなかった。いや、僕たちは席を立たなかった。そして、誰もいなくなった教室で2人きりになった。しばらくは思い出話に花を咲かせた。君は恥ずかしがったが、一緒に写真も撮った。そして、次の日に公園でデートする約束もした。併せて、お互いが翌日までに気持ちを整理してくる約束もした。君は笑顔で「じゃあね」と吹奏楽部の集合場所へと向かっていった。次の日、僕はだいぶ早く公園に着いた。後からやってきた君はやっぱり美しかった。公園のベンチに座り僕たちはお互いの気持ちを伝えあった。そして、浪人生と大学生のカップルになる可能性や、遠距離恋愛になる可能性を確認し合った。そして僕たちは「それでも付き合う」という答えにたどり着いた。恋に落ちた18歳の2人は当然のようにお互いを求め合ったのだ。そして自分達ならどんな困難も乗り越えられると信じていた。

ここまで必死に書いてきた。が、ここから先はあまり語りたくない。結論から言うと、僕は本命の国立大学に落ち、君はその国立大学に受かった。想定してた中で一番最悪な状況だった。浪人生と大学生の遠距離恋愛が始まったのだ。残念ながら、僕たちが信じた恋は長くは続かなかった。というより、お互いが限界を早めに悟って、傷が浅いうちに別れた方がいいという判断をした。よって僕は君のことが大好きな感情を押し殺し、君との恋を終わらせた。そして慣れない地、東京での浪人生活に向かっていくことになる。もちろん、僕は一生懸命に勉強した。勉強することだけが君に対する償いだと思った。僕は携帯のアプリを全て消し、睡眠時間を極端に削って、予備校では友達を作らず、とにかく勉強しまくった。7月頃には、不眠の症状が出始め、寝れない時は単語帳を持って布団の中でうずくまっていた。8月頃には、満員電車や予備校の自習室で動悸が止まらなくなり、同時に自分から感情が失われていくのを感じた。そして9月になる頃にはベッドから一歩も動けなくなった。君への罪悪感が頭から離れなくなり、食事も喉を通らなかった。僕の頭はどんどんと狂っていき、部屋で暴れて参考書をビリビリに破いたり、スマートフォンを床に叩きつけて粉々にしたりするようになった。そう、僕は病気になってしまったのだ。適応障害という病気だ。あれからもう5年ほど闘病している。その間に2回自殺未遂をした。加えて、摂食障害とパニック障害も患った。さらには、適応障害の後遺症で、相貌失認という脳の障害も抱えてしまった。僕が病気になったのは誰のせいだろうか。学歴社会のせいだろうか。東京という土地のせいだろうか。それとも、君のせいだろうか。君のせいにできたら僕はどれだけ楽になれるだろう。君を憎めたら僕はどれだけ楽になれるだろう。僕にはそんなことはできなかった。君と心が通ったあの春、僕は人生で一番幸せだったのだ。それだけは確かだ。僕が病気になったのは僕のせいだ。僕の弱さのせいだ。だから僕は今必死に生きている。僕の病気を君のせいにだけはしないために。君と再開した時に「僕は今幸せだ」と胸を張って言えるように。僕は抗い続ける。絶対に負けない。

最後に、君へ、出会ってくれてありがとう。

雄町

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