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中学1年は最高と最悪だった

自分の律儀さがいけなかったのかな、と絶望を抱えた。
「もう連絡すんな」と文字が並んだガラケーの画面を見て絶句した。
怖くて泣きそうだった。
友達がいなくなった瞬間だったから。


中学1年生の頃、どういう経緯だったかは忘れてしまったが、違うクラスの要(かなめ)と真司と仲良くなった。
私の中学校は大きく分けると2つの小学校から来た生徒で構成されていて、要と真司は私と別の小学校出身。学年全体として最初は警戒し合っていた雰囲気も徐々に柔らかくなり、秋から冬にかけては友達の輪もかなり広がっていた。

要と真司は、いわゆるスクールカーストの最上位だった。
ある程度治安の良い地域だったため、スクールカーストの上位は腕力とか容姿端麗とかではなかった。ある程度運動ができること、容姿が適度に整っていること、話術に長けていることといったバランス、そして何より大事なのは臆せず自分の意見を言えるかだった。

要も真司も度胸が据わっているタイプだった。おそらく家庭環境が安定していて、なおかつ小学校の時に培った人脈や信頼などもあったのだろう。その二人がなんとなく私を気に入ってくれて、なおかつ私も二人を気に入り、仲良くするようになっていった。

仲良くなりたての頃は、周りの反応を見て悦に浸っていた。
要と真司、そして私が話していると周りに輪ができる。
3人で遊んだときの話になると、「俺もいきたい」と周りが言う。
3人だけの身内ネタでくすくす笑い、目配せをしているのは楽しかった。
よく3人で要の家に集まり、下ネタを話したりゲームをしたりした。そして流れで一緒の塾にも行くようになった。

塾は自転車で10分くらいの距離だった。
要と私の家が近く、必ずメールで待ち合わせをしてから塾へ行く。
真司は私たちの家と反対方向だから、塾で合流する形だった。

しばらくして、少し引っかかることが増えた。
例えば塾に行くとき。中間地点で待ち合わせをするのではなく、要の家に私が迎えに行くという形になることが多かった。
要と真司だけで遊ぶことが増えていった。
なんだか少し歯車が崩れてきた気がしていた。

そしてある日、いつも通り塾へ行くために要にメールをすると拒否の反応が返ってきた。もう連絡をしてこないでいいという内容とともに、「もう気持ち悪いから遊びたくない」と連絡があった。
まさに絶望の瞬間だった。


当時は頭の中に「?」が浮かんでいたが、今になれば要の気持ちもわかる。
全てが違っていたからだろう。
例えばファッション。要と真司はいわゆるB系ファッションに憧れていた一方で、私は古着に興味を持ち始めていた。一緒に遊んでいて3人の服装がチグハグになる時があって、おいおいという空気になったこともある。要と真司と同じような服を買ってみたが、特に興味がなかった私が選んだやつはなんだかダサくて、調和がとれなかった。
また、音楽やゲーム。彼らの興味があるものに対して私はとことん興味がわかず、一緒にゲームをやっても全く盛り上がらなかった。
それから恋愛。当時、私には付き合っては別れてを繰り返していた女の子がいてウジウジしていた。それを相談しても「もういいじゃん」とか「ウジウジすんなよ」と言われていた。「女々しいよな〜」と苛立っていたとも思う。

そしてスクールカーストも悪い方向に3人の関係性を導いたのだろう。
関係のない人たちが「あいつらが最もいけている」、「あいつらは仲が良い」と決めつけ、当の自分たちが苦しくなっていったのだと思う。

そんな状況が相まって、2人にとって私の存在が、自分より劣位に感じることが多かったのだと思う。イライラの原因となっていったのだ。

ここまで書くと、なんで仲良くしていたかあまりわからない。
でもきっと、アイデンティティが確立していない学生時代、なんだか似たような境遇で、通じ合ったような体験があると人は急激に近づいたりするのだろう。
実際、下ネタとかの馬鹿話はとことん盛り上がったし、学校の話とか一緒に見ているものがたくさんあって話題には事欠かなかったのだ。
そして周りに囃し立てられていた私たち3人は、鼻高々に学校内を歩くことができた。そういう経験が本来の人間関係を捻じ曲げてしまったのだろう。

要に連絡をしなくなってから、真司に相談した。
真司は別に私を疎ましく思っている様子はなく、中立な位置に立つことしかできないようだった。当たり前だ。なんだか真司にも悪いというか、遠いものを感じてしまい、徐々に距離が空いていくようになった。

落ちた人間にはとことん冷たいのがスクールカーストだ。
「あいつはウジウジしているオカマ野郎だ」
「部員が全然いないバレーボール部にはいっていて意味がわからない」
「女とばっかり仲良くしている」

休み時間に私の席に座っている同級生に声をかけたら「うわっ、きも」と笑いが起こる。
それはその場にいない要や真司に献上するエピソードとなり、あとで披露されたのだろう。
ものを隠したりというようないじめはなかったけど、明らかに隔絶され、私の周りを囃し立てていた同級生たちが敵になっていった。

ただ、そのよくわからない空気をぶち壊したのは要と真司だった。
ギャル友達のみきがいう。
「真ちゃんさ、環のことを裏で『いいやつだ』ってめっちゃ言ってるよ。別に俺は喧嘩したわけでもなく、ただ距離が空いちゃっただけだよって」
「あとさ、要も。環の悪口を言われても『ふーん』くらいのリアクションしかしないよ」
その話を聞いてから、なんとなく周りの同級生たちも私に対して何かアクションをしてくるようなことは無くなっていった。

そしてそのまま時は流れ、中学3年生。
私は真司と学校の廊下で会ったら挨拶くらいはするようになっていたし、たまたま他の友達と話していて要が来たら「よう、元気?」くらいの会話は交わすようになっていた。
二人と一緒に学年で一番いけているみたいなポジションを再度築くことはなかったけど、最低限の挨拶は交わしていたし、仲良くはないけど別に嫌いあってもいなかった。

3人とも誠実だったな、と思う。
もう関わりたくないと伝えた要も、傷ついてぐじゅぐじゅ泣いていた私も、中立をずーっと保っていた真司も。自分の気持ちに嘘をつかず感情表現をし、それを貫いていたのだ。

私は現在、中学の友達とほとんど会うことがない。
もちろん0ではないし、好きな友達もいる。
そんな好きな友達の次に思い出すのは、中学時代のまま止まっている要と真司なのだ。

辛かった。苦しかった。逃げ出したかった。
だけど3人がどんな感情であれ互いの人間関係に誠実さを貫いたから、スクールカーストという荒波に飲み込まれることもなく、いびつながらもそのままの形を保った思い出となったのだろう。

要と真司は今どうしているのだろうか。
また3人で会ってみてもいいなとか思ったけど、きっと私は会わないんだろうなと思う。
だって気が合わなかったのだから。それがお互いにわかって、その距離感をしっかり保って中学校を卒業したのだから。

13歳の僕らは必死に生きていた。
その必死さは誰にも恥じない青い姿だった。


<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社に入社。その後シェアハウスの運営会社に転職。▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(美香談)という自覚があったから。▽太は、私が尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。▽好きな作家は辻村深月

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