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胸に巣を食うおじさん

 小学校の校庭くらいの、浜辺にしては狭いところだった。
日本最西端の島・与那国島。当時働いていた新聞社で、記者として初めての出張だった。東京生まれ、東京育ち、ドンキホーテ通いだった私にとって、実家を初めて離れ、観光地としての顔しかしらない沖縄での暮らしは、毎日が新鮮な体験だった。

 浜辺の天気は曇り。陽が差していなくても、遠浅の海はエメラルドブルーに輝き、水平線のあたりは深い青だった。その浜辺で寝っ転がっているおじさんがいた。「おい、青年、どうしたんだ」。明るい声でしゃべりかけてきた。
 タンクトップと半袖のシャツ、緩い半ズボンをはき、麦わらのハットをかぶっている。浅黒で細身ながら分厚い手は、沖縄人(うちなーんちゅ)に見えた。
「ちょっと仕事で来まして。明日、カジキマグロ釣り大会がありますよね」。私が話しかけるとおじさんはニコッと笑った。「俺も楽しみなんだよな」

 与那国島のカジキマグロ釣り大会。毎夏に行われ、腕に自信のある漁師や一般人が日本だけでなく海外からも集まる。与那国島よりもさらに西へ西へと船を進め、外洋で釣りに興じる。3日間行われ、一番大きなカジキを釣った人が優勝。最終日の夜には島バナナの葉でくるんで焼いたカジキを参加者全員で食べ、島の泡盛やビール、肉なども振る舞われるイベントだ。キャンプファイヤーの光が、草木の濃い緑や真っ暗な夜空に吸い込まれ、美しい風景を作り出す。

 おじさんに出会ったのは1日目の昼。イベント開幕の取材が終わり、周辺をぶらぶらしているときだった。おじさんが持っていたビニール袋の中には酒が入っていて、頬の赤い顔からは幸福感がただよい、島の外から来た訳の分からない若者である私さえも受け入れてくれるような雰囲気があった。「明日このあたりでは与那国馬の乗馬体験とかもあるんですよね」と聞くと、「そうだよ。お祭りだ」と話した。その後、私はおじさんにカジキマグロ大会が楽しみであること、東京出身であること、どんな大会になるか楽しみなことなど、自分のことを話して会話は終わった。おじさんがまた浜辺で寝だして、私は足だけ海に入ってから宿へもどった。そういえば、おじさんの名前も何をしているかも聞かなかった。旅人らしい一期一会だったなと考え、眠りについた。

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 翌日、私は漁船に乗った。職場の先輩に勧められ、酔い止めを使用量いっぱいいっぱいに飲んで挑んだ。外洋の波はすさまじく高かった。船の2、3倍くらいはあると感じた。ずっと島の影を見つめ、手すりにつかまりながらの航海。ヒールをはいたキャバ嬢が「やば〜〜い」と言いながら船の中をかつかつと歩く姿には尊敬の念しかなかった(そもそもあのキャバ嬢は何だったんだ・・・?)。
私がバレーボールで培った足腰なんて役には立たなかった。約1時間の航海を終え、カジキが釣れることはなかったが、代わりに私が港に打ち上げられていた。船を降りても私の大地は揺れ続けていた。

 大会はおおきな事故や天候不良もなく、そのまま終了。港に何匹もカジキが揚げられた光景は、都会の空気清浄機が置かれた部屋では見れない壮観な光景だった。夕方になり、カジキをみんなで食べるイベントまでの少しの時間、島の人と何の気なしにしゃべっていると、人の発する異臭が鼻をついた。

 そこにいたのは、あのおじさんだった。


 私たちが5人くらいで話していたところにふっと近づいてきた。顔には無理をしたような、感情が読み取れない笑みが浮かんでいる。服装は私が見た日と変わっていない。そして、左手の手首が異様に赤く腫れ上がっている。腕を三角巾で吊られているような角度で止め、怪我しているのは明らかだった。

 私はとっさに目をそらした。一瞬のうちに薄気味悪さで胸いっぱいになった。そしてあることを察した。


 おじさんは島の人ではない。流れついた先がこの島で、金も家もなく、温かい気候のなかどうにか生きているだけの人なのだと。笑いながら話しに入ろうとしてきたおじさんを、島の人たちは明らかに知らない人たちを見る目で見つめ、異様な腕や表情を見て邪険にあつかった。島の人たちの目線は、私の憶測を裏付ける効果しかなかった。おじさんの右手にはまたビニール袋がさがっていて、酒が入っていた。

 私は知らない人の振りをした。異臭に嫌気がさした人たちは話しを切り上げ、逃げるように自分の仕事へ戻っていった。しかし私は足がすくみ逃げられなかった。おじさんの顔に張り付いた笑みは消えていなくて、腕の心配をこちらへ押しつけてきていた。そこへ知らないおばさんが近づいてきて驚いた表情でいった。「その腕どうしたわけ」。おばさんの問いに眉を下げ、苦笑を浮かべたおじさんは「ちょっと階段で転んでしまってね」と、控えめに声を弾ませていた。私は助かったと思い、その場をあとにした。

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 夜。キャンプファイヤーの火は高さ5㍍くらいまで上がり、会場を柔らかく暖かい光で照らしていた。私から2、3メートル先でおじさんは右手に箸を持ち、その火を見つめながら楽しそうにしていた。おじさんを見ていると目が合った。またあの笑みを浮かべ、近寄ってくるわけでもなく、そこにたたずみ続けていた。目が離せないでいると、私たちの間を知らない人が埋め、おじさんが見えなくなった。そのまま二度と姿を見ることはなかった。

 おじさんの孤独を、寂しさを、生活を、誰が埋めることができるのだろうか。おじさんの姿は決して他人事ではないと思った。いつ自分が陥るかも分からない。温かく生活がしやすいところに流れ、島の優しい人間関係にぶら下がりながら暮らしていく。カジキ釣り大会という島に慣れていない人が来るイベントをコミュニケーションの入り口に使いながら、生活を模索する。そしてそれを愛嬌という得体の知れないものだけでつなぎ止め、図々しく思われてもそのまま生きていくのだ。それを救うのは個人なのか、島というコミュニティーなのか、社会なのか。


 おじさんの行動は正常なのかもしれない。余裕がなく、世間体を守ることができなくなれば、そうやって生きていくしか方法がないのかもしれない。それを「怖い存在」として遠ざけてしまった自分は、恵まれた環境を手放さないように必死で守り、小さなプライドを満足させながら生きていっているだけなんだろうか。あの時、おじさんになんと声をかけ、どこにつなぎ、どうやって対話をすることがよかったのだろうか。

 おじさんは今日も私の胸の中で笑いながら、狭い価値観にノックをし続けている。



ねむねむの木/旅の人

<環プロフィール> Twitterアカウント:@slowheights_oli
▽東京生まれ東京育ち。都立高校、私大を経て新聞社勤務。
▽9月生まれの乙女座。しいたけ占いはチェック済。
▽身長170㌢、体重60㌔という標準オブ標準の体型。小学校で野球、中学高校大学でバレーボール。友人らに試合を見に来てもらうことが苦手だった。「獲物を捕らえるみたいな顔しているし、一人だけ動きが機敏すぎて本当に怖い」(友人談)という自覚があったから。
▽太は、私が死ぬほど尖って友達ができなかった大学時代に初めて心の底から仲良くなれた友達。一緒に人の気持ちを揺さぶる活動がしたいと思っている。
▽将来の夢はシェアハウスの管理人。好きな作家は辻村深月

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