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好きで居続けたからこそ


「好きなものを好き」と言えない期間が自分の人生で長く続いたのは、中学生の頃の出来事が大きく関わっている。

小学校卒業時にPTAからの記念品として、MDプレイヤーをプレゼントしてもらってから、僕は意識的に音楽を聴くようになった。
中学に入学するとともに、当時大流行していた1組のアーティストに夢中になった。
CDをレンタルしたり中古で買ってきたりして、MDに吹き込み、毎日擦り切れるんじゃないかってくらい聴いた。

ただある日、そのアーティストが雑誌で発言した、自身の創作活動に関するコメントが炎上した。
当時SNSはなかったけれど、アーティストを非難するホームページがたくさん作られて、2chではバッシングの嵐だった。
舐めてる、他のアーティストを冒涜している、早く消えろ、など酷い言われようだった。

その波は、学校の教室まで及んだ。
音楽好きな同級生たちは軒並みそのアーティストを非難するようになり、僕が好きだと言うと「やめた方がいいよ、あんな奴らの音楽聴くのは」と言われるようになった。
そんな出来事が続けば続くほど辛くなって、僕はそのアーティストが好きだとは公言しなくなり、挙句の果てには聴かなくなってしまった。

そしてほとんど同じ時期に、応援しているサッカーチームを揶揄されたこともあって、みんながいる場で自分が好きなものを主張するのはみっともない、と思うようになった。
口に出すことによって、からかわれてしまうかもしれない。
その結果、好きだったのに好きじゃなくなってしまうかもしれない。
気持ちは表に出さないようにした。

高校、大学に進学すると、趣味の合う友だちが幸いにもできた。
クラスメイトが大勢いる場では好きな音楽や趣味のことをあまり主張しないようにしていたけれど、共通項を見つけられた仲間たちの前では好きなものをたくさん話せるようになった。

ただ今度は、同じ趣味の限られた人間関係の中での、良し悪しの基準にひっかかってしまった。
好きの系統が似ている分、お互いの基準を満たさないものは、好きだとは言いづらくなっていた。
あのバンドは○○だからダサいよ、なんて誰かが一回でも口にしてしまえば、そのバンドの話はできなくなった。
多感な10代で、自分のことを認めて欲しいと思う友だちから、ダメな烙印を押されるのは怖かった。
僕もそういう思いを、周りにさせていたような感覚がある。

2012年の4月。
僕がハタチを迎えて少し経った頃も、そんな価値観がまだ継続していた。
大学3年生になってもうすぐ就活かあ、と少し憂鬱な気持ちになっていた、大学からの帰り道。

たまたま立ち寄ったTSUTAYAで、目についたCDを一枚買った。
それ以前からライブハウスの対バンイベントでライブを観たことはあったけれど、音源はあまりちゃんと聴いてこなかったバンドの新しいアルバム。

「祝メジャーデビュー」と書いてあるポップを見て、へーと思って、レジに持って行った。
タイトルは、「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」だった。

家に着いてから、自分の部屋にあったコンポでCDをかけた。
一曲目からラストの曲までの40分。
僕はその時間を、今も朧げながら覚えている。歌詞カードを手に持ちながら、飽きるまもなく聴き終えた。
当時、一時間近いアルバムをずっと聴くのって流し聴きでもちょっと苦痛だなとか考えていた時期だったから、このアルバムはインパクトがあった。

その40分は、自分にとって特別なアーティストが生まれた時間でもあった。
その日から今日に至るまで、僕がクリープハイプを聴いた日は、聴かなかった日よりより遥かに多い。

しかし、夢中になったクリープハイプというバンドは、僕の友だちの間で賛否両論な存在だった。
良いよねと言う人はたくさんいたけれど、毛嫌いする人もたくさんいた。

声が受け付けないとか、歌詞が狙い過ぎて無理とか、あんなのメンヘラの女の子が聴く音楽だよとか、名前に世界観ってなんだよとか。
そのことを揶揄した音楽をクリープハイプが作ると、それもまた文句を言っている人がいた。

それにライブのパフォーマンスが、安定しないところもあった。
イマイチなライブは、僕も何度か観た。
その時は一緒に行った友だちとたくさん文句を言ったし、SNSにガッカリだったぜとかよく書いた。
もうライブに行くのは良いかな、音源もそんなに聴かなくなるかも、とかよく思った。

ただそれでも、来る日も来る日も、結局僕はクリープハイプを聴いた。
好きだとは公言せずとも、音楽通な友だちがダメ出ししてそれに相槌を打つ日があっても、あっちのバンドの方が良いかもと靡きかけても、結局最後はクリープハイプに戻ってきた。

大学に通学する途中も、就職活動の合間も、就職先が決まって明け方まで下北のライブハウスで飲んだ帰り道も、卒業式の後に虚しくなった時も、入社式に行く途中も、長く付き合っていた彼女にフラれた日に乗った新幹線の中でも、会社で理不尽に怒られて叫びながら自転車を漕いだ時も、酒で潰れて一日中寝てしまった日も、仕事で褒められて嬉しかった帰り道も、ひとりで旅行に行った時も、転職が決まった時も、久しぶりの友だちに会ってなんか変わっちゃったなあとがっかりした時も、久しぶりに好きな人ができた時も、仕事がうまくいったときも、残業が長引いて終電を逃した渋谷の夜でも、プロポーズした日の朝も、結婚生活が始まってからも、コロナで外に出れなくなってからも、自粛が明けて久しぶりに飲みに行ったときも。

音楽を聴くためにスマホを取り出して、イヤホンを耳に刺してプレイヤーをたちあげると、最近聴いた音楽の履歴から「クリープハイプ」をタップして、シャッフルで再生した。

そのルーティンは、10年続いた。

僕は気付けば30歳になった。
さすがに誰かが好き嫌いと言ってるとか、ダサいと思われるかもしれないとか、そう言うのが気にならなくなる年齢になった。

そしてちゃんと言えるようになった。
クリープハイプが好きだと。


昨日、2022年4月28日。
ガーデンシアターに、クリープハイプのライブを観に行った。
彼らのライブを観に行くのは、数えてみたら7年ぶりだった。

7,8年前は、よくクリープハイプを観ていた。
当時は周りの人に彼らが好きだと言いづらくて、ひとりでライブハウスに行って、後ろから遠巻きにライブを眺めて、終わった瞬間すぐに帰っていた。

今回は、隣に奥さんがいた。
クリープハイプが好きだと伝えてから、一緒に聴いてくれるようになって、一緒に好きになってくれた。
ひとりで噛み締めるように聴くのも、ひとりでライブに行くのも好きだけれど、家族や友だちとライブに行くのはやはり楽しい。
ちゃんと、好きなものを好きだと言えるようになってよかった。

僕の隣の席には、歳が少し離れた男の子が1人で来ていた。
曲に合わせて控えめに身体を揺らす姿を見て、勝手に昔の自分を重ねた。
会場には、10年前の僕のような大学生や、制服を着た高校生もたくさんいた。

誰になんと言われようとも、自分の好きを大切にして欲しい。
きっと、人生の宝物になる。

そして好きという気持ちは、どんどん口にして欲しい。嫌なことも起こるかもしれないけれど、良いこともきっと起こる。


ライブのMCで、尾崎世界観は満員のホールを見渡して「やってきてよかった、間違ってなかった」と口にした。

僕も同じように思った。
この10年、周りに何を言われようとも、言いたくないことを口にするようなことがあろうとも、クリープハイプを好きで居続けて、本当に良かった。

聴いてきてよかった、間違ってなかった。

これからも、来る日も来る日も、四季が移り変わっても、歳を重ねても、クリープハイプを聴きながら生きていく。

クリープハイプと出会えたことは、僕の人生の宝物だ。


四季 / クリープハイプ

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒時代の地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗、制作会社での激務などを経験。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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