見出し画像

病気になると思い浮かぶ光景

久々に、悪寒を感じた。
喉がガラガラになって、ああ熱っぽいなあと感じて体温を計ってみると、案の定発熱していた。
検査の結果は陰性だったけれど、周りの人の状況を見れば、まあコロナに罹ったのだろうなと思う。

昨晩は高熱が出て、何度か夜中に目覚めた。
熱が出ると、思考回路がぐっちゃぐちゃになって、思うようにならない夢をたくさん見る。

たとえば、目的地に向かうための一本道があったとして、そこをまっすぐに進めば辿り着けるのに、なぜかグラグラと回り道をしてしまったり、誰かに邪魔されたりしてしまって、たどり着けないような夢だ。
そういう夢をたくさん見て、うなされながら目覚めた時、ああ僕は身体の調子が今悪いんだろうなあ、と思う。

このnoteを毎週金曜日の更新すると決めてから、いつもギリギリに間に合わせてきたけれど、今回はどうしても無理だった。
土曜になってしまったけれど、何かしら書こうと朝起きた時思って、熱をはかるとまだ微熱が残っていた。

先週、環がお父さんに関するエピソードを書いてくれた。


僕も父親について何か書こうと思って少し考えていて、思い付いたのは僕が病気の時に飯を食っている父親の姿だ。

僕が小さい頃、風邪を引くと母親が退屈で可哀想だからと、リビングで寝かせてくれることがあった。
リビングにはテレビがあるから、教育テレビや録画していたアニメを見せてくれていた。

そして、朝ご飯や晩ごはんの時間。
お粥やゼリーを腹に入れて、リビングに敷いた布団で横になっている僕は、家族がいつも通りのご飯を食べるのを横になって見ていた。

父親は、ご飯を美味しそうに食べていた。
食べ方のバランスが良くて、ご飯・味噌汁・おかず・漬物を満遍なく綺麗に食べていく様子は、見ていて心地良かった。
父親のことはあまり好きではなかったけれど、ご飯を食べている姿を見るのはなんとなく好きだった。

僕は小さい頃、よくご飯を残した。
母親に残さず食べなさいと言われて、それでも食べれなくて、じゃあこのおかずだけは食べなさいと言われて、ようやくそのおかずを食べ切れるような子どもだった。
残さずご飯を食べる父親の姿を見て、大人になれば僕もご飯をちゃんと食べ切れるようになるのかなあ、なんて考えた。

父親とは、会わなかった期間が長かったのだけれど、成人してから年に1回か2回くらい会うようになった。
会ってご飯を食べに行くと、食べる量は僕の方が断然多くて、父親はもうそんなに量を食べない。
そういえば、いつからかは明確にはわからないけれど、気付けば僕はご飯を残さずに食べれるようになっていた。

そんな僕は、少しは大人になれたということなのだろうか。
ぐちゃぐちゃ考えながら、ぐちゃぐちゃにまとまらない文章を今日は書いてみた。

37.3 / ふくろうず

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

この記事が参加している募集

振り返りnote

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?