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春菊が食べられるようになるみたいなこと

辛いものや苦いものなどは、人間が徐々に慣れることによって美味しいと思うようになるらしい。酸っぱいものとかも。これを知ったときに、「へぇ〜、そうか」とやたら合点がいった。子供がレモンを食べて泣き出す動画や、ゴーヤが苦くて食べられないこととか、そういったことが頭に浮かんだ。

私の父親は涙もろい。このことを飲み込めるようになったのは、ここ最近だと思う。これも慣れてきたからなのだろうか、と考えた。




中学生や高校生のころ、我が家には常に4台くらいのパソコンがあった。父はIT系の仕事をしていて、その関係でパソコンを家に持って帰ってきては、ぽちぽちといじっていることが多かった。

そして夜も深まってくると、父はパソコンで動画を見始める。Youtubeとかニコニコ動画とか、そういった動画サイトを開いては、アーティストが弾き語りがしているような動画をみていた。

こういう動画を見ているのは、父の若いころのことが関係しているだろう。父は昔、フォークギターで弾き語りをしていた。関東のある県から上京し、新宿とかで活動をしていたらしい。そのライブ活動の中で母と出会い、結婚した。音楽好きの父は、家に何枚ものレコードやCDを持っていた。

0時を過ぎてくると、父はお酒を飲んでいるせいもあると思うが、泣くことがあった。それは聞いている曲が邦楽なことも洋楽なこともあり、ソロであることもグループであることもある。「どうしたの?」って聞いても、「いい曲でさ」と明言をさけ、お酒を取りに台所に立つ。翌朝、母に「お父さんがなんか、音楽聞いて泣いていたんだけど」と話すと、「まあお父さんは繊細だからね。早く朝ごはん食べな」と返事があって、乱暴にトーストと目玉焼きが置かれるのだった。

父親が泣いているというのは、なんだか鬱陶しかった。泣いている意味もよくわからなかったし、誰かを想って泣いているなら母を傷つけるんじゃないかみたいな気持ちさえ浮かんだ。そして父親が弱いっていうのがなんだか頼りなくて、強くいてくれよと思うのだった。  


父と私は小さいころ、とっても仲が良かった。小学生の頃、父は私と兄が入っている野球チームのコーチをやっていた。一緒にいる時間が長くて、いつも父の運転する車で練習に向かっていた。映画を見に行ったり、遠出をしたり。そういったことをたくさんして、父と母が一緒にねる布団に潜り込んで寝たりもしていた。だけど、中学生高校生になってきて反抗期になってくると、父親が泣いている、弱いそぶりをしているところがたまらなくイライラした。

この感覚はなかなか抜けなかった。大学生になっても父親との距離はなんだか空いたままだったし、お酒を飲んでいる父親のことは徹底的に避けていた。


そんな関係性に転機が訪れたのは、2018年だった。2018年夏ごろ、私は仕事でかなり追い詰められていてやめようと思っていた。また、今のパートナーと出会って一緒に生きていこうと考えるようになり、周りの友達や親にカミングアウトをする機会が増えていて、それによって少し不安定にもなっていた。「もし差別や偏見を言われたらどうしよう」「パートナーとの関係を隠している自分はなんなのだろう」と。

母親から帰省の日程を聞かれるのもなんだか怖くなってしまい、仕事がうまく行っているのか、元気にしているのかという連絡さえ自分を追い込む言葉のように思ってしまった。
そんなとき、家族に仕事をやめることも、パートナーのことも打ち明けて、もし拒否されたり、望まぬ結果になるとしたら、次のことを考えようと思って、衝動的に家族のLINEにパートナーと付き合っていることやセクシャリティを打ち明けた。

母親からは「育て方を間違えたかな」とメッセージが返ってきて絶望した。どちらかというと母親と仲が良い私にとって、無理解を凝縮したような言葉が飛んできたことに閉口した。ただ、すぐに父からもメッセージがあった。「好きなように生きなさい。俺は子供たちが奨学金に頼ることなく、大学を卒業することを目標に仕事をしてきたから。それができた子供たちに何をいうつもりもない」と。

涙が目にたまった。父親がLGBTQなど性的少数者に理解があるかはわからない。だけど否定することもなく、ただただ受け止めてくれることに。メッセージを見て涙を溜める自分も、やっぱり父親のように涙もろいのだなと思った。
父親の優しさや包容力に気づいた瞬間でもあった。


そこから父親の涙について考えた。
父親は多くのことを語らないので真意はあまりわからないが、母が話しているのを聴いていると、どうやら父は人と軋轢が生まれた時にかなり溜め込んでしまうタイプのようだった。

学生時代に友達に言われたこと、昔の仕事で出会った人々のこと、街であった人たちとの会話など。
そこに含まれている無遠慮や棘、嫌味なんかを全て上手にすくってしまい自分の中に溜め込んでしまうようだった。

そのため、父親にはあまり友人がいない。ゼロと言っても過言ではないだろう。
日々の態度や自分勝手な行動が嫌になって、一人で行動する方が良いと思ってしまうらしい。
おそらく人といることが疲れてしまうのだ。

その話を聞いてから父親のことをもうすこし観察してみると、ニュースサイトでいわゆるリベラルといわれる人たちの人権とか社会に関する記事、ノンフィクションの書籍、現状の政府をあまり良く思わない人たちのラジオ番組を聴いていることがわかった。それを聴きながらうなずく父は、人の生き方を否定したり、何かの枠に当てはめたりするのがあまり好きではなく、自分らしく伸び伸びと生きられる世の中が好きで、伝統とかそう言ったものが苦手なようだった。おそらくものすごく優しいのだと思う。


そんな彼が音楽を聴いて色々と考え涙を流すことは、ある意味日々をなんとか乗り越えているサインのようなことなのかもしれないと思うようになった。
いい曲を、自分に響く曲を聴いてあれこれ考え、きっと悔しいことも寂しいことも嫌なことも思い出して、でも乗り越えていくために涙を流しているのだと思う。

父親は定年を迎える前に、仕事を辞めた。
仕事へ行く意味がなくなり、会社の人たちとやりとりすることも疲れたからだと言っていた。
辞めてからは家で泣くようなことは減り、母親と出かけたり一人で散歩したりして毎日を過ごしている。人との軋轢が減ったからなのだろう。

父親は人に攻撃性を向けず、自分で嫌な要素を溜め込み、涙を流しながら少しずつ前に進むタイプだったのだと思う。
その考え方は、決して弱いことなんかなくて、むしろ誰よりも強い姿なのではないかと思った。
涙は決して、弱さの証じゃないの。

父親の涙を何回も見て、それを通して考えが深まると、徐々に会話ができるようになった。
この人の中に流れるポリシーを、私は好きだなと思えるのだった。


私は小さい頃、お鍋に入っているネギや春菊が嫌いだった。
でも今はそれらを美味しいよねと涼しい顔して語るようになり、当たり前に食べられるようになった。
実家に帰ることもなんだか億劫だった私も変わり、父親もいる食卓で普通の会話をしながら鍋を囲むようになっている。

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