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逃げろ!イカちゃん!

「お〜い!!!!戸田隆〜!!!!」

中学校の下校時間。
校門を出ると、中学校の隣にある民家の表札を見ながら、イカちゃんが大きな声で叫ぶ。
「やばいってやばいってやばいって」私はイカちゃんのカバンを掴む。
「逃げろ逃げろ逃げろ!」

50メートルくらい走った先で道の角を折れると、私とイカちゃんは堰を切ったように笑い出す。
「イカちゃん、本当笑っちゃう。この遊び」
「ははははは〜!!!」イカちゃんはずっと笑っている。
下校中の生徒たちは訳もわからない顔でこっちをチラリと見てくる。

私とイカちゃんは中学3年で初めて同じクラスになった。
共通の友達はそこまでいなかったから、なんとなく互いの存在を認知していたけど話したことがない同級生だった。
イカちゃんの噂は良くも悪くも取れるものが多く、「面白い」「変わっている」というものだった。

中学3年の初め、出席番号が近くて席が近かったので、なんとなく話すようになった。
その時「環、これ知ってる?」と言われて渡されたのが、”VOW画像”と呼ばれるおもしろ画像を集めた本だった。

当時はまだそこまでインターネットが広く流通していたわけではなく、現在はTwitterで流れてくるようなおもしろ画像がこの本に集まっていた。

街中にある看板から文字が剥がれて卑猥な言葉になっていたり、光の屈折で変な絵ができていたり、変わったモニュメントがあったり・・・。そんなおもしろ画像が集まった本を、まだそんなに仲良くもない私に薦めてくれたイカちゃんは、噂の通り「おもしろくて変わっている」やつだった。


イカちゃんは吹奏楽部で打楽器を担当していた。運動はそこまで得意ではない。しかも頭もそんなに良くない。ルックスはどっちかというと良い方だけど…
運動か勉強か、もしくはルックスかという単純な価値観で計られてしまう中学校というなかで、イカちゃんは生きづらいはずだった。

だけど、とにかく面白いことを見つけることがうまかった。
唐突に数学の先生の真似をする。
「(高音)え〜本日は週の真ん中水曜日ですね」。
数学の先生の口癖を毎週水曜日、何度も言う。その絶妙な目の付け所に笑ってしまう。

そしてある時は、進路についての学年集会で爆笑しながら私の方を向く。
「無理!無理!先生の作ったスライド見て。『パンフレット』じゃなくて、『パンルレット』になっている。こういうの無理!」。
イカちゃんが涙を流しながら笑っている姿を見て、私は笑ってしまうのだった。

それ以外に、
学校で全く話したこともないような人に勝手なあだ名をつけて自分の中で呼び続けていたり、
神社で鳴らした鐘の音が思ったより響かず短い音だったり・・・
とにかく独自の世界観で笑い続けていた。
そんなイカちゃんと笑いのツボを共有したものだから、私も何気ない日常生活で一人でくすくすと笑うことが増えていった。

イカちゃんは不思議だった。
中学校特有の生きづらさからは絶妙に自分をずらし、面白いことを見つけていく。
音楽(吹奏楽部)もその手段の一つのようで、放課後に遊んだりすると「今日はドラムを叩きにいくから来て」と一緒に児童館にいったりした。
イカちゃんは「はい、ドラム叩かせて〜」と小学生の輪の中に普通に入っていって、凛として時雨とかの激しいドラムを叩いたと思ったら、小学生と話して笑っていたりする。

中学校の文化祭でもニヤニヤしながら舞台に上がり、aikoのキラキラを叩いていた。
後で聞いたら「吹奏楽部にaiko好き多くて、環も好きじゃん。やろうぜ〜って感じでやった。あの曲いいよね」と笑っていた。
中学3年の頃はとにかくイカちゃんと笑いあった日々だった。

高校生になって最初の頃は遊んでいたものの、イカちゃんが高校をやめてからは疎遠になっていった。そしてもう一度会うきっかけとなったのが成人式だった。

成人式は、中学2年で仲良かったエノと一緒に行こうと思っていた。
しかし、12月に誘うと予想外に断られた。
「実は高校の同級生と一緒に行こうと思っていて・・・ごめん」
結構な衝撃で、成人式の参加を辞めようかなとさえ思った。

だけど、成人式は人生に一回だし、会いたい友達もいる。困り果てた先で連絡をしてみたのがイカちゃんだった。
イカちゃんからはわりと早く返事が返ってきた。
「成人式行かないでいいかなって思ってたけど行こうかな。一緒に行こう」
私は心底安心した。

成人式の会場は豊島園だった。
異様にざわざわとした豊島園の前でイカちゃんと待ち合わせをすると、赤色の髪の毛をしたイカちゃんがきた。聞くと、別に成人式のために染めたでもなんでもなく、普段からこの色にしていたそう。相変わらず変わっている。

「お〜環!イカちゃん!元気か」
中学校の同級生が氷結の缶を片手に絡んできた。
私は「はい、はい」って流そうとしたら、イカちゃんはわらっている。
「この寒い時期に氷結って笑」
イカちゃんのシュールすぎるツッコミは、盛大な嫌味として同級生の後頭部に突き刺さっていた。でもそのツッコミの意味もわからずヘラヘラしている同級生とは仲良くなれないな〜と思いながら、イカちゃんの面白いエピソードとして飲み込んだ。

その後も相変わらずだった。
豊島園の乗り物券2回分が配布された(ちょっと記憶曖昧だけど)が、私とイカちゃんが向かったのはミラーハウス。同級生がメリーゴーランドとかジェットコースターとかに乗ってニュース映像としてマスコミに撮られる中でミラーハウス。しかも2回。2人でミラーハウス内の壁にぶつかったり、大人になってある程度中のしょぼさをわかってしまったことをかき消すようにあえて迷ったりしながら、特に賑わっていないミラーハウスの中で2人して爆笑していた。

極め付けは中学3年で同じクラスだった双子の女子とばったり会った時。
イカちゃんがタバコで声が枯れた状態で相手の名前を読んだとき、双子の片方が無邪気に「風邪ぇ〜?」と心配してくれたのだ。
声が枯れている→タバコで、っていうやりとりをしていた私とイカちゃんにとって、その無邪気さがおもしろくて二人で膝から崩れ落ち、豊島園の地面をバシバシ叩きながら笑いあっていた。双子は真顔で「?」を浮かべながら、私たちを見ていた。


私にとってイカちゃんの存在は安心して逃げられる場所だった。

ルックスや運動神経、頭のよさなど、本来誰かと比べなくても良いことで一様に判断されてしまう中学校という狭いコミュニティの中で、そんなことはお構いなしに面白いことだけを追求しているイカちゃんは、一緒にいて安心する人だった。

中学校を卒業しても、高校や大学、会社など色々なコミュニティに属する中で、そこにはそこの一定の枠組みがあって、独自の価値観がうごめている。そんなとき、イカちゃんのような存在がいるのは救いだなと気づいた。

まだ自我が確立していない中学校のころ、私にそっと寄り添ってくれたのはイカちゃんだった。
ちなみにイカちゃんとは成人式のあと、池袋で開催された同窓会に参加し、そこで繰り広げられるあまりに低俗な飲み会を笑い、自分たちで懐かしい人を見つけて思い出話をして、池袋という街にツッコミを入れて帰宅した。同窓会からも逃げだしたのだ。
もしかしたらイカちゃんがまた「戸田隆〜!!!」とか叫んで、周りをポカーンとさせていたかもしれない。


Netflixのイカゲームが流行っていて、その名前を聞くたびにイカちゃんを思い出す。
唯一繋がっているTwitterを見るとイカちゃんは週に1回は名前を変え、つぶやいている。
「ハァミマに行った」

相変わらず一人で面白いこと見つけているんだなと思って、私は「いいね」ボタンを押すのだった。






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