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西新宿でふと気づく役割

縛られるのがこの上なく嫌いだ。
誰でもそうかもしれないが、自分は特にその気持ちが強いと思っている。日々生きてて困るのは、定時という概念による束縛だ。

定時。それはこの時間からこの時間まで働くという会社との契約を指す。誤解のないように言っておくが、定時退社するやつが嫌だとか、そういうことではない。なんで私が生活する時間を、相手に決められないといけないのだと思っているだけだ。

ただ一応、社会でどうにか生活をしているので、適度に守りながら生きてはいる。でも、退勤まであと2時間とかになると、毎度イライラというかモヤモヤがピークに達して、「今帰って明日早くから仕事しても問題ないだろ」とバカくさくなる。なんのためにこの生活リズムをしてるのかが意味不明なのだ。

ただ、会社員をしていて定時に縛られるものの、役割というのをもらっているのだなと冷静に思ったりもする。取引先に話を聞きに行くことも、会社でものを作ることも、接点のなかった人たちと同じ会社だからといって親しく話すのも、全部この会社に「会社員」という役割をもらっているからできているのだ。

思い返してみれば過去もそうだった。街中で初対面の人に話しかけて電話番号を教えてもらったり、人の住まいに入っていって家賃を払えと言ったり。それがやりたいとかやりたくないとかはさておき、あの役割があったからできたことだし、今なんの役割も持たずにやれと言われても、さすがにできない。役割が私の行動を変えていたのだ。

何社かで働く中で、この役割を自分で作りだなさいといけないフェーズにきていると感じる。それはたとえ会社員だとしても、役割を与えられているという感覚ではなく、自分で目的を持って役割を勝ち取りにいかないといけないのだ。そうしないと、知らず知らずのうちに私の心だけが無味乾燥なものになるという予感がする。

こう考えるようになったのは、親友がここ数年、相次いでフリーランスとして動き出していることも影響していると思う。同じ時代を同じ温度感で生きてきた最も近い2人が、自分で自分の役割を決めて動き出した。そして目を輝かせながら動き回る姿に、親友らしさを感じている。

私にはフリーランスになる勇気がないと感じる。親友たちが率直にすごいと思うことに加え、「取り残されてるな」と思ってる自分がいる。定時に睨みをきかせている自分が、恥ずかしいとさえ思う。

自分の役割はなんだろうか。一体何になりたいのだろうか。いざ大海原に放り出されると想像すると、急に心細くなる自分がいる。会社員という役割を与えてもらっている今が、心地よかったのだと気づく。

ただ、この心地よさの中には、すでに腐敗臭がする。その匂いはきっと周りにも伝わり、旅立ちを想起させているはずだ。こんな負けの狼煙を上げたまま、生きていたくはない。

迷う。新年だというのに迷う。今は1人で悩み、自分の役割を見つけようともがくしかないのだ。

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