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豊富な海外経験を経て、縁もゆかりもない大熊へ飛び込んだ理由【おもせ〜ひと vol.5-1】

福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。

5人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、おおくままちづくり公社で移住促進のお仕事をされている山崎大輔さんです。

山崎大輔さん
千葉県出身。セブン-イレブン・ジャパン、青年海外協力隊、マヒドン大学への留学を経て、現在はおおくままちづくり公社で移住促進のお仕事をされています。目指すのは大熊町への移住者と関係人口の増加。町内でツアーの企画やオンラインコミュニティの運営をされています。

山崎さんの勤務地は大熊町移住定住支援センター。

震災前は児童館だった施設で、体育館は町の歴史や文化を紹介する展示スペースとして活用されています。
インタビューが始まる前、山崎さんにパネルを使って町の紹介をしていただきました。

パネルを使って大熊町の紹介をする山崎さん

山崎さんは大熊の出身ではありませんが、とても町に詳しいです。「大熊には未来しかない」とおっしゃっており、大熊への移住促進に向けて働いておられます。

縁もゆかりもない土地で何をモチベーションに働くのか。どうして大熊に来られたのか。その理由をお伺いしました。


ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。

山崎:千葉県出身で、2022年の2月に大熊町に移住しました。
なので、大熊には縁もゆかりもないです。
なんで来たかというと、おおくままちづくり公社の移住促進のポジションが求人で出ていたので応募してきました。

災害ボランティアで感じた自身の無力さ

ー大熊に来る前はどんなことをされていましたか?

山崎:学習院大学を卒業して、新卒でセブン-イレブン・ジャパンに入社しました。2011年の東日本大震災発生時は千葉県でスーパーバイザーをやっていて、長期休暇の際は宮城県のセブンイレブン店に赴いて泥さらいをボランティアでしてました。

そこで、自分の無力さを感じたんだよね。
自分は金持ちじゃないから募金なんてせいぜい1万、2万円くらいだし。医者でもないから人の命は救えないし。

今すぐ自分ができることはなんだろうって考えた時に、会社の看板を使うことだと思って。会社は個人と比べると大きなお金を動かしているので、その一部を社会貢献活動に使えたらいいことできるかなと思い、CSRの部署に行きました。

CSR(Corporate Social Responsibility)
企業の社会的責任。地球環境や地域社会に配慮した経営のこと。

コトバンクより

ーCSR部門ではどんなことをされていましたか?

山崎:コンビニ業界ではフードロスが大きな問題になっています。そこで、廃棄される食品でまだ食べられるものをNPO法人を通して困っている家庭に配るための仕組みづくりに取り組んでいました。
でも、仕事の中で実際に困っている方々の顔が見えないのは「何か実感ないな」と思って。そこで、会社を辞め青年海外協力隊に応募しました。

「なんでこんなことになっちゃってるんだ?」

ー青年海外協力隊ではどちらに行かれたのでしょうか?

山崎:行った先は南米のコロンビア。コロンビアは貧富の差が激しい国で学校に行けない子供たちがいっぱいいます。教育を受けていないといい職につけなくて、貧困の連鎖が続いていく。それの連鎖を断ち切るために無料で職業訓練する学校を国が用意しています。そこの商業コースの先生たちにマーケティングを教える仕事を2年間していました。

ー当時のコロンビアはどんな印象でしたか?

山崎:いたるところに路上生活者がいるんです。
コロンビアの北東にベネズエラという国があるんですが、ベネズエラが政情不安に陥り、国民の1割に当たる300万人が国外に避難しました。そのうち200万人が隣のコロンビアに逃げてきました。

そもそも、コロンビアは半世紀くらい内戦をやっていて路上生活者が多かった。そこに200万人の避難民が来たのでシェルターなどでの受入れが困難になっていました。

その時になんでこんなことになっちゃってるのかなと考えて、それを勉強するためにタイにあるマヒドン大学に行きました。

住むところを虐げられる悲しさ

山崎:大学では人権と民主主義という修士号を取るために、1年間勉強しました。
民間出身だったので、研究テーマは発展途上国での企業倫理について。大企業が発展途上国に来て行う人権侵害・利益重視の活動を調べていました。
研究でタイの少数民族にインタビューした時に大企業の活動で住むところを虐げられるような現状を目にしました。

研究を終えて、ふと日本に立ち返った時に、日本で住むところを虐げられるような経験をしている町の一つが大熊町だと思いました。
原発事故の影響で、そんな状況(町に立ち入りができない状況)が11年も続いていることに興味を持ったのというのが、大熊に来たきっかけです。

「未来しかないな」大熊に来て思ったこと

ー日本に帰って大熊以外と迷ったところはありますか?

いくつかの企業を検討しましたが、大熊町に関わるなら今だと思いおおくままちづくり公社を選択しました。
5年、10年後には大熊町の特殊性も薄れていってしまうので、それだと面白くないと判断しました。

大熊に来て思ったのは「未来しかない」という感覚。何もないけど未来だけが広がっていて、1からのまちづくりに自分も関われるという点に惹かれました。


編集後記

今回の記事はここまで。山崎さん、経歴だけでおもせ~ひとということで二本立ての記事になりました。自身の無力さを感じたり、貧困について疑問を持ったり、何かを感じたときに行動に移すところが山崎さんのおもせ~ところですね。

「大熊には未来しかない」大熊には長い空白の時間がありましたが、それをポジティブにとらえているのが印象的でした。たくさんの人にインタビューをしていて、大熊への移住者が共通して言っているのは「未来を感じる」というところです。

後半は山崎さんのお仕事について。約10年間人が住まなかった町で一筋縄ではいかない移住促進。どのようにして人を集めるのか、大熊に興味を持つのはどんな人なのかについてお伺いしました。次回の記事もお楽しみに~🏠

⏬後半の記事はこちら⏬

インタビュー:殿村・中井
編集:中井

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