見出し画像

202008 - 断髪 夏休み 流星 愛の悪魔

8/4
SEO ライティングな文章が苦手だ、ということは中身にオリジナリティないんだな、とか思ってしまうからかな。そういう意味ではじぶんにとってフィルターになっていていいのかもしれない。「なんかダサい」という感覚はかなり頼りになるけれど、友達の感覚に委ねる他力本願がなぜか一番信頼できるんだよね。ちょっと関係ないが被リンクってそういう意味です。

8/10
公共交通機関がばりばり換気してるの最高なんですけど。温度も雰囲気も。

8/12
髪の毛を20cm切った。なにがあるというわけではないんだけど1年近くのばしてきたので感慨がある。美容室の予約日を間違えてお店に行ってしまい、長年担当してくれてる方がおらず。なんかいろいろ申し訳ない気持ちになりながら、私でいいんですかとかなりながら、断髪。嘘みたいな頭部の軽やかさ。

8/13
大昔にバンドマンいっぱいで和歌山の海際のコテージ借りて騒いだとき、暗闇の波打ち際でひたすら降ってくる流れ星を見てた。流星群でもなんでもないときに見れる流れ星は最高だけども、誰とみるか、どこでみるか、どんなときに見るか、いやそれより、流れ星より、その周辺の日々のきらめきみたいなものが、流れ星をきれいに見せてしまうんだなあ。

8/16
図書館の大魔術師を読んで。「嘲笑は偉大な挑戦の始まりの合図」親方の名言の量がすごい。

8/18
学校はモチベーションが無くても平均を持ち上がるようにしてくれる装置で、やる気があったり環境が家庭にあったり、じぶんでやりたいことを見つけられたら、その子次第だから、学校は上を見ればそこまで必要ないね、というようなことを思った。万能ではないし、みんなにとって必要でもない、なんかそういうことを考えてた。じぶんにとって重要なことはみんなにとって重要でないかもしれないから、公共って難しいんだなあとかあたりまえのはなしでした。

8/25
大阪万博のあれが、メイドインアビスのなれはてみたいだ。生き物は環境に最適化されるように磨かれていくわけだけど、なれはてでいられる環境は天国のようなものなのか、地獄のようなものなのか。ぼくはすごいいいなあって思いました。

8/27
じぶんが作ったサイトをマツコが番組で触ってくれたらしい。うれしい。生きてればいいことがあって、頑張ればもっといいことがあって、地獄でしか手に入らないものもあって、マイペースでいいんだぞ、好きなことを必要とされるまでやり抜ける人が素敵だとおもってる。みたいなことをこどもに言えたらいいなあとかおもった。あんまり忘れたくない夜だ。

8/28
テレパシー使えるようになったら、嘘を付けなくなってぜんぶ本音になるわけだけど、音楽とか団体スポーツとか共同作業がものすごいクオリティ上がってすごくなりそう。そういうと、スポーツってそういうところに感動している気がする。鍛え抜かれた人同士が、深い繋がりや運命の出会いや絶え間ない偶然を引き寄せて、勝ち負けを突きつけられる。同じようなことをバンドに想いを馳せてみたり。

8/31
チェンソーマンにいろいろ突きつけられているけれど、愛の悪魔、とかそれだけはやめてあげて ... とかちゃんと楽しんでいます。恐怖が大きければ大きいほどその脅威が比例する、というロジックに、車や包丁が現れないことがうんうんというところ。今日はたくさんメールボックスに「最終出社」という文章がならぶ。

画像1