昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://…

昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://twitter.com/bus_okinawa

最近の記事

中城湾港マリンタウンへ路線バスが走っていた

「中城港湾マリンタウン」とは、沖縄県西原町と与那原町にまたがった埋立造成地である。1993年から造成事業が開始され、2007年より埋立地の分譲が始まったが、その直後の2008年3月1日より約6年間のみだが路線バスが走っていた。 東陽バスが乗り入れを開始乗り入れたのは東陽バスである。2008年3月1日から「57番・那覇マリンタウン馬天線」と「59番・那覇マリンタウン線」の2路線の運行を開始した。 57番・那覇マリンタウン馬天線57番・那覇マリンタウン馬天線は、那覇バスターミ

    • 37番・知念線と37番・那覇新開線の歴史を調べてみた

      2024年2月現在、37番という系統番号は、東陽バスの「那覇新開線」に充てられている。この路線は、那覇バスターミナルから与那原、新開を経由して、南城市佐敷の馬天営業所または南城市役所へ向かう路線である。 だがかつては、37番は「知念線」という路線で、那覇バスターミナルから与那原、新開を経由して、南城市知念へ向かう路線であった。端的に書くと、「37番・知念線」を南城市佐敷止まりとした路線が「37番・那覇新開線」であり、これを聞くだけだと、「知念線」を路線短縮する形で「那覇新開線

      • かつて那覇市首里に存在した市内線専用のバス停

        沖縄県那覇市には、那覇市内線専用および那覇市外線専用のバス停が存在する。具体的には国際通りにあるバス停のことであり、「てんぶす前」「松尾一丁目」の2バス停は市内線専用、「牧志」「松尾」の2バス停は市外線専用のバス停となっている。 2024年2月現在はこの4バス停のみとなっているが、かつては那覇市首里にも1ヶ所だけ、市内線しか停車しない市内線専用バス停が設置されていた。 市内線専用だったプール入口バス停市内線専用バス停は、那覇市首里桃原町に設置されていたプール入口バス停である

        • 36番・糸満新里線の歴史を調べてみた

          糸満新里線は、沖縄バスが運行するバス路線であり、沖縄県糸満市と南城市を結んでいる。路線名に含まれる「新里」は南城市にある地区で、経由地の1つであるが、かつては「新里」が終点だった時代もあり、さらに遡ると、運行開始当初はさらに手前の「与那原」が終点であった。 1957年に運行を開始1957年8月3日に、糸満市の糸満バスターミナルと与那原町の与那原を結ぶバス路線として運行を開始した$${^1}$$。この当時の路線名は起点と終点に由来して、糸満与那原線であった。想定される運行ルー

        中城湾港マリンタウンへ路線バスが走っていた

          かつて南城市に存在した久手堅連絡所

          南城市は、2006年1月1日に、佐敷町、知念村、玉城村、大里村の1町3村が対等合併して誕生した市である。 このうち、旧・佐敷町には、沖縄バスの南城出張所(佐敷町新里)、東陽バスの場天営業所(佐敷町津波古)の2営業所、旧・玉城村には、琉球バス交通の百名営業所(玉城村百名)が設置されているが、かつては、旧・知念村にも東陽バスが「久手堅連絡所」というバス営業所を設置していた。 旧・知念村久手堅に設置東陽バスの久手堅連絡所は「沖縄県南城市知念字久手堅543」に設置されていた営業所で

          かつて南城市に存在した久手堅連絡所

          59番・新垣線の歴史を調べてみた

          沖縄県中城村に「第二登又」というバス停がある。「第二登又」があるので「第一登又」またはただの「登又」というバス停が前後にありそうだが、2024年2月現在のバス路線図では見当たらない。 「第一登又」はかつて東陽バスが運行していた59番・新垣線という路線が停車していたバス停であった。同路線は2005年3月末をもって廃止されたため同日をもって「第一登又」は廃止となったが、他の路線も走っていた「第二登又」のみが現在でも残っている状態である。 今回はこの廃止された59番・新垣線の歴史に

          59番・新垣線の歴史を調べてみた

          沖縄本島にあるバス停の改称履歴を整理したい

          (※2024年2月25日に☆のバス停を追加・情報更新) 熊本県のバス事業者である九州産交バスは、バス停の新設や改称、廃止を一覧にまとめたWebページを公開している。 これの沖縄本島バージョンを作ってみようと思ったのが、このページ作成の発端である。どうせ作るのであれば、ここ数年ではなく、かなり古い時代からのをまとめようと思ったが、遡りすぎると収拾がつかなくなるため、取り敢えず平成以降(1989年以降)を基本に整理してみることにした。 なお、バス路線の改廃とは異なり、バス停

          沖縄本島にあるバス停の改称履歴を整理したい

          かつてうるま市に存在した石川バスターミナル

          沖縄県うるま市は、2005年4月1日に具志川市、石川市、与那城町、勝連町が合併して誕生した市である。この合併前に存在した石川市には、かつて市名を冠する石川バスターミナルが存在した。最盛期には3社が乗り入れており、1日300本以上の路線バスが発着する沖縄本島中部の拠点となるバスターミナルであった。 1950年に沖縄バスの出張所が開設戦後初の民間バス会社の1つである沖縄バスが営業を開始したのは1950年4月1日のことである。この沖縄バスの営業開始と同時に、石川市にはバス営業所が

          かつてうるま市に存在した石川バスターミナル

          沖縄こどもの国と路線バスの歴史

          沖縄市にある沖縄こどもの国へ乗り入れる路線バスは、市内を循環する沖縄市循環バス(コミュニティバス)のみである(2024年1月時点)。ただ、かつては、那覇交通と琉球バスによるバス路線が発着していた時代が、短期間存在した。 開園は1970年5月5日沖縄こどもの国の開園は1970年5月5日である$${^1}$$。 この前後の新聞記事$${^2}$$や図面$${^3}$$等をみても、バス停が設置されていたような情報が見当たらないことから、開園当初の時点では、路線バスは乗り入れていな

          沖縄こどもの国と路線バスの歴史

          45番・与根線の歴史を調べてみた

          沖縄県豊見城市を起終点とするバス路線を開設したのは那覇交通が第一号である(たぶん)。運行開始当初は45番・豊見城線と名乗っていた路線は、現在は45番・与根線として、2024年1月現在も運行されている。 1957年ごろ運行開始那覇交通創立30周年誌によると、1957年(昭和32年)7月31日に那覇市の那覇バスターミナルを起点とし、豊見城村(現・豊見城市)の渡橋名を終点とする豊見城線が認可されている。 これが、現在の45番・与根線の前身であり、認可時期からすると1957年には

          45番・与根線の歴史を調べてみた

          かつて名護市に存在した久志バスターミナル

          2024年1月現在の沖縄県名護市内にあるバスターミナルは、名護市宮里にある名護バスターミナル1箇所のみであるが、かつては名護市辺野古にもバスターミナルが設置されていた。 久志村辺野古に設置された久志バスターミナル名護市辺野古に設置されていたのは「久志バスターミナル」である。住所としては「名護市辺野古913-5$${^1}$$」であり、地図で示すと以下である。2024年1月現在は、辺野古公民館が立地している。 バスターミナルの住所は「名護市久志」ではなく「名護市辺野古」であ

          かつて名護市に存在した久志バスターミナル

          18番・真和志高校線の歴史を調べてみた

          かつて那覇交通が運行するバス路線には「18番・真和志高校線」という路線が存在した。現在のバス路線網だと、那覇市内線の約半数が真和志高校前を経由するので、かなり雑な路線名にも聞こえるが、この「18番・真和志高校線」が運行を開始した1976年5月当時は、市内線、市外線を問わず、真和志高校前を経由する唯一のバス路線であった。 1976年の那覇市内線大再編時に新設18番・真和志高校線は、1976年5月1日に実施された那覇市内線の大再編を機に運行を開始した$${^1}$$。当時の運行

          18番・真和志高校線の歴史を調べてみた

          実現しなかった琉球バスと那覇交通の合併

          第一交通産業傘下である琉球バス交通と那覇バスは、2009年$${^1}$$と2012年$${^2}$$に合併計画が出ている。親会社が同じで、社長も同一人物が務めており、定期会議等も合同で実施しているため、合併した方が効率的という判断$${^2}$$であるようだが、県内路線の6割以上を占めることとなることから、沖縄総合事務局との調整が必要$${^1}$$となるようで、現時点で実現はしていない(観光部門のみ2022年4月1日に琉球バス交通に統合)。 この両社の合併計画が出た20

          実現しなかった琉球バスと那覇交通の合併

          かつて2社が運行していたコザ線

          かつて沖縄県に存在したコザ市は、1974年に隣接する美里村と合併し沖縄市となったが、現在でも「コザ十字路」や「コザ高校」などとして「コザ」の名は残っている。 この「コザ」を冠した路線が、かつて東陽バスと那覇交通によって運行されていた。ただし、2社のコザ線の運行期間は連続しておらず、運行ルートもまったく異なるものであった。 初代コザ線は東陽バスにより運行を開始初代コザ線は、与那原町の東陽バス与那原営業所と、コザ市(現在の沖縄市)のコザ十字路を、現在の国道329号経由で結ぶ、東

          かつて2社が運行していたコザ線

          かつては広大な敷地を有していた那覇交通の三重城営業所

          那覇バスと、その前身である那覇交通は、かつて沖縄県那覇市西に三重城営業所を設置していた。住所でいうと「那覇市西三丁目8番1号」であり、現在は琉球物流の西町7号倉庫とタイムズ沖縄西町の立体駐車場が立地しているところである。 営業所が現役だった1993年当時の航空写真を以下に示す。 赤枠で囲ったところが三重城営業所であるが、本社も併設された那覇交通の中心拠点となる営業所であった。この当時でも、バス営業所としてはそれなりの広い敷地を有していたが、1976年に新設された当初は、ピン

          かつては広大な敷地を有していた那覇交通の三重城営業所

          30番・泡瀬東線の歴史を調べてみた

          東陽バスの運行するバス路線で、最も若い系統番号は30番であり、泡瀬東線として運行されている。 それに続く31番・泡瀬西線と並び、東陽バスを代表するバス路線であるが、運行開始から幾度となく経路変更、終点変更を繰り返してきた。 東陽バスの設立時から運行?東陽バスの創立は1951年6月1日のことであるが、協同バスから独立する形で誕生したバス会社である。 その翌月の新聞記事には、東陽バスと同じく協同バスから独立することとなった協和バス、昭和バスと合わせて、独立後に担当する予定の路

          30番・泡瀬東線の歴史を調べてみた