36番・糸満新里線の歴史を調べてみた
糸満新里線は、沖縄バスが運行するバス路線であり、沖縄県糸満市と南城市を結んでいる。路線名に含まれる「新里」は南城市にある地区で、経由地の1つであるが、かつては「新里」が終点だった時代もあり、さらに遡ると、運行開始当初はさらに手前の「与那原」が終点であった。
1957年に運行を開始
1957年8月3日に、糸満市の糸満バスターミナルと与那原町の与那原を結ぶバス路線として運行を開始した$${^1}$$。この当時の路線名は起点と終点に由来して、糸満与那原線であった。想定される運行ルートを以下に示す。
終点は与那原と書いたが、1975年7月当時の運賃表$${^2}$$によると、正確な終点は、与那原バス停から更に0.4km進んだところにある「与那原駐車場」であったようだ。与那原からは西原町方面と南城市方面へ向かうことが出来るが、沖縄バスの運行エリアを考えると、南城市方面に0.4km進んだところであろう。
1970年5月当時の航空写真より、与那原バス停から約0.4kmほど南城市方面に進んだところを確認してみると、建物が立っておらず、バスであれば2台ほどが駐車できそうなスペースがあるが、これがこの当時の終点である「与那原駐車場」であろうか。
なお、2024年2月現在の36番・糸満新里線の運行本数は1日4本のみであるが、1961年3月末時点$${^3}$$では1日21本となっており、1~2時間に1本程度運行されていた。
1977年に新里まで延長
1977年3月25日に、終点が与那原町から佐敷町(現・南城市佐敷)新里に延伸された$${^1}$$。この延伸後も路線名は変わらず「糸満与那原線」だったようである。
延伸後の運行ルートを以下に示す。
与那原終点時とは異なり、新里に折り返し用の駐機場は設けられず、周辺道路を利用したループ運行にて折り返していたようである$${^4}$$。
なお小谷バス停が設置されている県道137号線の沿道には、現在は東陽バスの馬天営業所が立地しており、路線網的にも完全に東陽バスの運行エリアであるが、この当時は、36番・糸満新里線と39番・百名線の小谷経由が経由しており、完全に沖縄バスの運行エリアであった$${^4}$$。
1990年代前半に休暇センターまで延長
1991年4月$${^5}$$~1993年3月$${^6}$$の間に、終点が新里から沖縄厚生年金休暇センターに延伸された。この延伸時に、現在の路線名である36番・糸満新里線となったようである。
延伸後の運行ルートを以下に示す。
沖縄厚生年金休暇センターは、1991年3月$${^5}$$に現在の南城市佐敷字新里の高台に開業した宿泊施設である。路線バスは、この休暇センターの敷地内まで乗り入れていた。 なお、休暇センターを終点としていたのは36番・糸満新里線だけであったが、百名駐車場または新原駐車場を終点としていた39番・百名線の一部便と沖縄刑務所前を終点としていた41番・つきしろの街線の一部便が、休暇センターを経由地としていた。
また時期は不明であるが、少なくとも1993年11月時点$${^7}$$で、従来の志多伯経由のほかに、富盛経由が運行を開始していた。与座~富盛~東風平では、既存の34番・東風平線と同ルートとなるが、朝に新里→糸満方面、夕方に糸満→新里方面の上下1本ずつの運行となっていたことから、34番・東風平線では補えない、与那原方面から南部工業高校への通学用であろうか。
ちなみに、沖縄本島で初の新車低床バス(ワンステップバス)が運行されたのは、36番・糸満新里線であり、2004年3月1日から運行を開始した。数多くある路線の中で選ばれたのは、終着地である休暇センターの利用客の属性を考慮して・・・ではなく、補助金を活用して車両を購入したため、36番・糸満新里線を含む赤字補助路線でしか使用できないためであった$${^8}$$。
2010年に親慶原出張所終点に変更
終点としていた沖縄厚生年金休暇センターは国の社会保険庁により設置された厚生年金福祉施設であったが、2009年1月13日をもって閉館し、民間企業へ事業継承され、2月1日よりウェルネスリゾート沖縄休暇センターとなっている。
36番・糸満新里線は、一時閉館時を含めて、引き続き乗り入れを継続したが、翌2010年8月28日より休暇センターへの乗り入れを廃止し、親慶原出張所終点へと変更された。変更後の運行ルートを以下に示す。
2019年に南城市役所終点に変更
南城市の地域公共交通計画に基づき、2019年10月1日からは、南城市内のほぼ全てのバス路線を対象とした再編が実施され、36番・糸満新里線は、親慶原出張所終点から南城市役所終点に変更された。変更度の運行ルートを以下に示す。
終点となった南城市役所は、かつての終点であった休暇センターの真向かいであり、運行ルート自体は2010年以前の状態に戻る形であった。
補助金対象路線として存続
2024年2月現在の運行本数は、前述の通り1日4本(うち1本は富盛経由)とかなり少ないが、大里村(現・南城市大里)から知念高校への通学路線であるようで、沖縄県生活バス路線確保対策補助金を受けながら存続している。なお、南城市が公表している資料によると、八重瀬町から糸満市に向かうルートを那覇市に向かうルートに変更する計画があるようである$${^9}$$。
脚注
沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.53、58
バス・タクシー・ハイヤー運賃及び粁程表(1975年7月 沖縄観光速報発行)
沖縄バス争議 1961年(1961年 琉球政府労働局中央労働委員会事務局)p.114
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.24
運賃及び粁程表 平成5年11月1日改定(1993年11月 沖縄県バス協会発行)
沖縄バス60年のあゆみ(2011年3月 沖縄バス発行)p.45
南城市地域公共交通再編実施計画(2019年6月 南城市)p.33