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かつては広大な敷地を有していた那覇交通の三重城営業所

那覇バスと、その前身である那覇交通は、かつて沖縄県那覇市西に三重城営業所を設置していた。住所でいうと「那覇市西三丁目8番1号」であり、現在は琉球物流の西町7号倉庫とタイムズ沖縄西町の立体駐車場が立地しているところである。
営業所が現役だった1993年当時の航空写真を以下に示す。

1993年当時の三重城営業所 1993/08/29撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C49-6】を筆者が加工)

赤枠で囲ったところが三重城営業所であるが、本社も併設された那覇交通の中心拠点となる営業所であった。この当時でも、バス営業所としてはそれなりの広い敷地を有していたが、1976年に新設された当初は、ピンク枠で囲った県営三重城市街地住宅がある敷地も三重城営業所の用地であった。


かなり広かった三重城営業所

三重城営業所は、那覇バスの前身である那覇交通が1976年5月1日に新設したバス営業所である。同日より、那覇市内に4か所あった営業所(西本町営業所、小禄営業所、当蔵営業所、壺川営業所)を集約し、かつ全ての那覇市内線が三重城営業所を発着する路線網に再編された。

この当時の那覇市内の路線バス営業所は、三重城営業所1箇所のみとなり、市内線の全車両を管轄することになったことから、かなり広大な面積を有していた。那覇交通創立30周年記念誌によると、敷地面積は6,053.27坪とあり$${^1}$$、平方メートルに換算すると約20,000m2である。数値だけだとよくわからないと思うが、現在の那覇バスターミナルの敷地面積は約13,000m2である$${^2}$$ことから、那覇バスターミナルの1.5倍以上の敷地面積を有していたことになる。

新設直後の1977年当時の航空写真を以下に示す。この当時は、1993年当時の倍以上の敷地面積を有していた。

1977年当時の三重城営業所 1977/12/13撮影
(国土地理院の空中写真【COK771-C58-5】を筆者が加工)

土地の約7割は貯油施設として使われていた国有地

新設当初の三重城営業所の敷地面積は、約20,000m2であったことは前述の通りであるが、このうちの約7割である14,138.49m2は、1977年(昭和52年)に国有地を購入したものであった。

昭和52年6月30日
 会社敷地、土地、14,138.49m2
 那覇市西3丁目7番地の2 国有財産売買契約

那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.99

この国有地は、アメリカ占領時代に米軍により埋め立てられた土地であり$${^3}$$、ブラックオイルターミナルと呼ばれる油の貯蔵施設が立地していた$${^4}$$。
本土復帰に伴い、米軍による埋立地の所有者は日本国となったが、この約14,000m2の国有地と、同じくブラックオイルターミナルとして使用されていた隣接する約6,000m2の私有地$${^5}$$を借用し、1976年に建設されたのが、約20,000m2という広大な敷地面積を有する三重城営業所であった。なお、この約20,000m2の借地のうち、国有地部分は前述のように1977年に購入して、自社の土地としていた。

沖縄総合事務局、沖縄公庫、学識経験者など20人で構成している国有財産沖縄地方審議会(会長・赤嶺義信沖縄公庫理事)は28日、那覇市内の沖縄貯金保険会館で審議会を開き那覇市西三丁目の旧ブラックオイル・ターミナル敷地の売却について検討。この結果、同敷地1万4138m2を那覇交通(白石武治社長)に払い下げることにした。
 (中略)
旧ブラックオイル・ターミナルは米軍が埋め立てたところで、日米返還協定によって国有地となっていた。その後、那覇交通が同敷地を借り、三重城営業所として使用していたが同社から売却してほしいと要望が出されていたもの。

敷地一部を那覇交通に払い下げ/旧ブラックオイル。ターミナル(1977年3月29日 琉球新報)

三重城営業所が設置される前の1970年当時の航空写真を以下に示す。巨大なオイルタンクが立地する土地が確認できるが、これがブラックオイルターミナルである。

1970年当時のブラックオイルターミナル 1970/05/12撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701-C11-13】を筆者が加工)

なお、別の航空写真では、オイルタンクが黒塗りになっているが、これは撮影が1972年の本土復帰前だったため、米軍関連施設として黒塗りされたものだろうか。

1970年頃のブラックオイルターミナル
(那覇市歴史博物館の航空写真【資料コード02006796】を筆者が加工)

ちなみに、那覇交通創立30周年記念誌$${^1}$$には、1975年頃の建設中の三重城営業所の写真が掲載されているが、「タンク撤去作業中のクレーン車」というタイトルがついており、この時に撤去しているのが、ブラックオイルターミナルの土地に埋められていたオイルタンクの一部であろう。

1982年に県営団地用地として県に売却

1976年の市内線集約と同時に設置された三重城営業所であるが、集約に伴い誕生した長大路線は定時性に難があり、かつ無駄な回送が多く発生するという問題が発生したため、1983年1月6日に石嶺営業所と小禄営業所を新設$${^6}$$、1983年7月10日には新川営業所を新設$${^7}$$し、市内の営業所は4カ所へ分散されることとなった。

この営業所を分散する方針への変更に先立ち、広大な三重城営業所の土地は不要になったようで、ちょうど県営住宅用地を求めていた沖縄県に、1982年度(昭和57年度)をもって売却されたようである。当たり前ではあるが、借地は売れないので、自社で保有していた元・国有地が売却された。この時に売却された土地に、県営三重城市街地住宅が建設されている。

用地取得に当たっては、あらゆる情報により用地の物色に努めているが、御指摘の用地については、県のバスターミナル設置構想関係次長会でバスターミナルの分散方式が提案された際、同用地を手放してもよいとの情報があったので所有者である那覇交通株式会社と話し合ったところ、営業所等を分散したいので同用地を手放してもよいとのことだった。
 (中略)
翻って、県が本件用地を取得した昭和57年度当時における取引事例を見ますと、那覇市西2丁目、昭和57年5月1日、22万7372円、同じく2丁目、57年10月18日、22万6852円、57年6月16日が21万3101円、等々7つの事例を私は全部調査してきたわけでありますが、その平均価格が21万4610円であります、平米当たり。

沖縄県議会 1985年(昭和60年)第3回定例会-2月23日-1号
太字は筆者によるもの

土地売却後の1984年当時の航空写真を以下に示す。県営三重城市街地住宅が建設中であるが、このために県に売却された敷地面積は13,630.83m2で、購入した国有地のほぼすべてを手放したことになり、三重城営業所の敷地の大半が私有地の借用となった。

1984年当時の三重城営業所 1984/11/09撮影
(国土地理院の空中写真【OK841X-C12-4】を筆者が加工)

県議会で議論となった疑惑

不要となった土地を県に売却した那覇交通であったが、この売却された元・国有地が県議会での議論となっている。

那覇交通が1977年に購入した国有地には、10年以内に「当初の用途とは異なる用途となる」かつ「転売する」場合には、国の定める基準に基づき算定された額を納付金として納めるという条件が設定されていた。ここでの当初の用途とは「公共バスの駐機場」すなわちバスの営業所として使用する条件であった。

この土地は、昭和52年6月30日に国から那覇交通株式会社に、公共バスの駐機場として使うとの約束で5億3000万円で払い下げられたもので、面積は1万4138.49平米で、このうちの1万3630.83平米を21億9000万円で県が取得している。残地が365.85平米もある。
 (中略)
払い下げられた国有地は、10年間は転売できないことになっている。それを転売すると反則金が科せられることになっている。那覇交通が払い下げを受けてから県に転売したのが6年目だから、当然国から反則金が科された。国がこの反則金を科するに当たっては、国は総合事務局と民間の鑑定士を入れ、この土地の評価額をはじき出しているが、それは16億9000万円である。この評価額に基づいて4億6539万6000円の反則金を算出、那覇交通に納めさせている。
 (中略)
そこでもっともっとやはり先ほど申し上げましたように事実を明確にしておきたいのは、那覇交通と国との売買契約書20条によりますと、国の承認を得て用途指定の解除及び国の買い戻し権を解除する場合には、国の定める基準に基づき算定した額を納付金として国に支払うことになっており、今回那覇交通が支払った金額は、同売買契約書22条に基づく違約金ではない、または反則金でもない。

沖縄県議会 1985年(昭和60年)第3回定例会-2月23日-1号
太字は筆者によるもの

那覇交通が国有地を購入したのが、1977年のことであり、県に売却したのが1982年のことで、約5年しか経過していない。そのため、那覇交通は国に4億6,539万6,000円の納付金を支払ったわけであるが、その納付金である約5億円を含めた金額で、県に土地を売ったのではないかという疑惑が議員から上がったようである。

この疑惑についてもう少し整理してみる。
那覇交通は、国から14,138.49m2の土地を5億3,000万円で購入した。だが購入した土地の大半である13,630.83m2を、4倍以上の21億9,000万円で県に売却している。地価上昇により、5億3,000万円の土地は16億9,000万円にまで価値があがっていたが、それでも県の購入額である約22億円とは、5億円の差がある。
この5億円は、前述した国に支払った納付金を上乗せしたものではないのか・・・という疑惑である。

これに対する真偽は不明だが、県の回答としては、本来は国が責任をもって行うべきオイルタンク等の撤去や補償を、土地購入者である那覇交通が実施し、それにかかった費用は4億5,047万1,000円であり、この費用も考慮すると、適切な価格であるとのことであった。

御承知のように、昭和52年6月に、那覇交通は本件用地を5億3000万円で国から取得しているが、その当時、本件用地は他の民間会社が借地しており、当該用地には油タンク3基、その附帯施設等の地上物件が数多くあったのであります。那覇交通は、これらの地上権、地上物件の補償費として4億5047万1000円を支払っております。この事実からすると、那覇交通が本件用地を取得した取得価格は、国の払い下げ価額5億3000万円に地上権補償額4億円、物件補償額5047万1000円を加えますと合計9億8847万3000円で売っているわけであります。
 (中略)
国有地の払い下げは、通常、国の責任において白地にして売却する、これがいわゆる常識であります。ただし本件用地については特例条項が設けられて、それがすべて那覇交通の責任においてなすべきであるというふうに契約の中にされております。そういう中でこの民間会社からやった地上権あるいは物件等補償額は、トータルしますと先ほど述べたように4億5047万1000円支払っているわけであります。

沖縄県議会 1985年(昭和60年)第3回定例会-2月23日-1号
太字は筆者によるもの

なお、営業所規模を縮小するにあたって、なぜ借地の契約を切るのではなく、自ら購入したいと要望を出した元・国有地を、納付金を払ってまでを売却したかは不明である。極力、内陸側の土地に営業所を設置したかったのか、資産を売却して営業所新設に必要となる資金を得たかったのか・・・。

地主より返却を求められ南風原町新川へ移転

1976年の移転当初は約20,000m2もあった三重城営業所は、1982年の県への土地売却により、半分以下の約6,000m2にまで縮小した。この半分以下になった土地で、最後まで営業が続けられた。ただ、前述の通りほぼすべてが借地であり、末期は地主から返還を求められていたようである。
2003年7月18日より、那覇交通から那覇バスへと引き継がれ、三重城営業所も引き継がれることになったが、土地の返還は継続して求められていたようで、最終的に2006年9月25日に南風原町新川の県有地を購入し、新設した新川営業所へと移転した。

那覇バス(八亀秀幸社長)が、那覇市内線の拠点営業所を同市西の三重城営業所から南風原町新川の農業試験場用地に移すことが11日、分かった。同試験場は糸満市への移転が決まっており、営業所に必要な用地は県から購入する。那覇バスへの用地売却について、県はすでに了解しており、今後、地域住民への理解を得て、2006年4月にも造成工事に入り、同年内に移転する見通しだ。
三重城営業所は、本社機能を含む営業所建物と約40台の駐車場などが主な施設。敷地は借地で同社前身の那覇交通時代から地主に返還を求められていた。同社は昨年、会社発足後から移転用地を市内で探していたが適当な用地がなく難航、県への相談を契機に試験場用地への移転に向けて調整していた。

那覇バス新川へ移転/来年、農業試験場後に(2005年8月12日 沖縄タイムス)

ちなみに1976年に借用した際の、元・ブラックオイルターミナルの私有地の所有者は、最後の琉球国王である尚泰王の孫となる尚詮氏である$${^5}$$。尚詮氏は1990年に死去しているが、その後も親族に所有権が移っていた場合は、尚家から再三に渡って返還を求められていたということになる。

脚注

  1. 那覇交通株式会社創立30周年記念誌(1981年4月 那覇交通発行)p.42、97

  2. 那覇バスターミナルを子会社化 第一交通産業 再開発用地の一部も取得(2012年1月31日 ふくおか経済)

  3. 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号 昭和46年11月13日(国会会議録検索システム)

  4. 沖縄県議会 1973年(昭和48年)定例会-12月14日-5号(沖縄県議会録検索システム)

  5. 沖縄問題等懇談会関係資料(1968年~1973年)p.7p.5

  6. 首里-小禄直通も/那覇交通 あすからバス新路線(1983年1月5日 沖縄タイムス)

  7. 銀バス、市内路線を大幅再編/南風原町(新川)にも新営業所(1983年6月30日 沖縄タイムス)

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