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30番・泡瀬東線の歴史を調べてみた

東陽バスの運行するバス路線で、最も若い系統番号は30番であり、泡瀬東線として運行されている。
それに続く31番・泡瀬西線と並び、東陽バスを代表するバス路線であるが、運行開始から幾度となく経路変更、終点変更を繰り返してきた。


東陽バスの設立時から運行?

東陽バスの創立は1951年6月1日のことであるが、協同バスから独立する形で誕生したバス会社である。

昭和25年4月、戦後初の民営バスとして設立された協同バスの与那原出張所(那覇市壺屋)がその前身で昭和26年6月1日より業務を引継ぎ誕生し那覇市壺屋で営業した。

沖縄 交通機関の歩み 戦前・戦後編(1979年7月 大城辰雄 著)p.192

その翌月の新聞記事には、東陽バスと同じく協同バスから独立することとなった協和バス、昭和バスと合わせて、独立後に担当する予定の路線が記載されている。

協同バスでは去る5月29日総会発議により戦前の通りの各社分立準びを進めていたが、この程この旨各社から次の通り政府へ創立申請中である。括弧内はダイヤ
△協同バス(名護西、本部半島、東村、田井等、浦添各線)
△協和バス(名護東、石川、屋慶名各線)
△東陽バス(与那原、泡瀬■線)
△昭和バス(糸満、港川■線)

四社に分離を申請/協同バス(1951年7月10日 うるま新報)
(注)■は判読不能だった文字
太字は筆者によるもの

東陽バスについては、一部判読不明だった文字があるが、与那原線、泡瀬線の記述があり、現在の泡瀬東線であるのか泡瀬西線であるのかは不明であるが、与那原線とセットということを考えれば与那原経由の泡瀬東線のことだと思われる。この推察が正しいとすれば、現在の30番・泡瀬東線は、東陽バス営業開始時から運行されていた路線ということになる。

運行開始当初のルートは?

運行開始当初のルートは不明だが、後から出てくる資料等を勘案すると、初代那覇バスターミナルが開設された1954年12月5日$${^1}$$当時のルートは以下のようなルートであったと想定される。
現在のルートも参考までに重ねてみたが、路線の両端である那覇市内と沖縄市内で大きくルートが異なっていた。

1954年当時の泡瀬東線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

開南経由から牧志経由に変更

まず那覇市内のルートが異なる点から。

現在の30番・泡瀬東線は、那覇バスターミナルを出発後に、美栄橋駅前、姫百合橋を経由して与儀十字路へ至る少し迂回感のあるルートである。2023年11月現在、那覇バスターミナルから与那原方面へ向かう路線は、開南経由が大半であり、一部で壺川経由があるものの、姫百合橋経由(美栄橋経由)は30番・泡瀬東線のみである。
だがかつては、他の路線と同様に、那覇バスターミナルを出発後に、開南を経由して、最短経路で与儀十字路に向かっていた。

1954年当時の泡瀬東線の想定される運行ルート(那覇市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

開南経由から変更されたのは1955年2月14日のことであり、変更後は牧志経由となった。当時の新聞広告に、変更に関する記述があったので、下記に抜粋する。

2月14日より従来牧志大通りを通つて居りました大山経由コザ泡瀬行き及び開南を通つて居りました與那原経由泡瀬東線のバスは左の通り経路が一部変更になりましたので引続き御利用の程御願い致します。
大山経由コザ泡瀬行き、バスセンターー那高校前-開南-農試所前-神里原-眞和志局前-栄町-安里-泊(以下従来通り)上り下り共
与那原経由泡瀬東線、バスセンターー松尾-牧志停留所-安里-姫百合橋-神里原入口-農試所前(以下従来通り)上り下り共

(広告)バス運行経路変更/御知らせ(1955年2月14日 沖縄タイムス)
太字は筆者によるもの

この変更と同時に、現在の31番・泡瀬西線も、従来の牧志経由から現在の開南経由に変更されている。那覇バスターミナル⇔牧志⇔国道329号(古波蔵)方面、那覇バスターミナル⇔開南⇔国道58号(安謝)方面という、東陽バスのみが運行する異端のルートはこの時に誕生したものである。

泡瀬東線と泡瀬西線の運行ルート変更前後の比較(那覇市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ちなみに変更された理由については、那覇バスターミナルの開設が要因だと思われる。

かつての東陽バスは那覇市壺屋に本社を置いており、那覇バスターミナル開設前の泡瀬東線は、壺屋の本社から出発し、姫百合通を経由して、与那原方面へ向かっていた。これが那覇バスターミナルの開設に伴い、東陽バスの路線が姫百合通を経由しなくなったことにより、壺屋一帯が寂れてしまったことが問題となったようである。

根本的な問題と致しましては先刻委員会の報告にもありましたように旧県鉄の那覇駅及び鉄道管理所のところにバスセンターを設けるという根本方針には勿論変動はないのであります。ただ現在今迄の東陽バスの壷屋営業所をあの付近がバスが通らないために亊業が不振に陷った。これをどう処理すべきかということになるのでありますが私はこの点は私自身も悩んでおりますところが暫定的と申しましても私は1年はかからないと思うのです。

那覇市議会 1955年(昭和30年)第4回臨時会-05月23日-01号
太字は筆者によるもの

これの解決のために、泡瀬行きの2路線の経路を変更することで、姫百合通に再び東陽バスが通るようにしたのであろう。なお、この変更は暫定の扱いだったとの記述もある。

これを合併の暁は500万円でも足らん、600万円でも足らんこの消極性を以て政府に当られたことがあるか、この点であります真和志の合併どバスターミナルの件でありますが只今市長のお話を伺って暫定的に東陽バスがあの壺屋街道を通っている件、これは去った臨時議会に建設委員会の採択によって我々は市長に議会の意見を通じてあります。

那覇市議会 1955年(昭和30年)第5回定例会-06月17日-02号
太字は筆者によるもの

終点が幸崎からコザに変更

続いて沖縄市内のルートが異なる点について。

現在の30番・泡瀬東線は、国道329号を与那原方面から北上して、高原、コザ、美里高校前を経由して、うるま市の泡瀬営業所に至るルートである。このルートとなったのは、後述するが2004年9月13日と比較的最近のことであり、遡ること1955年までは高原からコザへ向かわず、そのまま北上して泡瀬を経由して、幸崎へ至るルートであった。

1954年当時の泡瀬東線の想定される運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

このルートが最初に変更されたのは、1956年のことである。幸崎行きから、コザ行きに変更された。なお、この変更と同時に、国道330号からコザを経由して高原が終点だった泡瀬西線が、逆に泡瀬東線の終着地であった幸崎まで延長された。当時の新聞記事を以下に示す。

東陽バス株式会社(社長高江洲義永氏)は泡瀬東線及び西線の終点を変更することで泡瀬、高原、コザ方面への運行間隔を短縮しようと路線免許を申請していたが20日政府から免許された。
▽泡瀬東線=ターミナルから牧志、安里、栄町を経て農連前、与那原、中城、高原に至り美浦、幸崎までとなつていたのを高原からコザ十字路までに変更。
▽泡瀬西線=ターミナルから開南、真和志郵便局、安里、普天間、コザを経て、高原が終点だつたのを延長して美浦、幸崎まで運行する。

泡瀬路線免許 東陽バス社へ(1956年10月21日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

この変更により、コザ~高原の区間で、泡瀬東線と泡瀬西線が重複する現在の運行ルートとほぼ同様となった。

泡瀬東線と泡瀬西線の運行ルート変更前後の比較(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

終点がコザから明道に変更

少なくとも1965年頃まではコザが終点だったようであるが、その後延伸され、明道が終点に変更されている。

1969年当時の泡瀬東線の想定される運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

変更された詳細な時期は不明であるが、1965年11月末時点のバス路線一覧$${^2}$$では終点はコザとなっている一方で、1969年9月16日時点のバス路線一覧$${^3}$$では終点が明道となっていることから、1965年12月~1969年8月の間に延伸されたのだと想定される。

終点が明道から新赤道に変更

終点が明道からさらに延伸され新赤道となったのは1977年9月6日のことである。当時の新聞記事を以下に示す。

【具志川】"陸の孤島"といわれた具志川市新赤道団地に6日、東陽バスが開通、午前10時半から、関係者が集まってテープカットによる開通式が行われた。
 (中略)
今年4月には赤道区から独立して新赤道が誕生した。県道16号の新赤道入り口から北へ約2キロにわたって団地やアパートが立ち並んでいる。住宅公社では今月13日からさらに104戸の県営住宅の入居をはじめる予定で今年中には450~500世帯が住む町になる。ところがこれまで団地と主要道路を結ぶバス路線がなく、団地の人々からバス乗り入れの要望が出されていた。これに対して、東陽バス(祖堅方政社長)では、那覇発の東回り路線を新赤道団地に乗り入れ、那覇-与那原-コザ-知花-新赤道で折り返すことになった。

新赤道団地にバス/"陸の孤島"にやっと開通 具志川(1977年9月7日 沖縄タイムス)

延長後の運行ルートを以下に示す。

1977年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

新赤道とは、うるま市赤道に新しく造成された住宅地につけられた地区名で、バスも団地の北端に設けられた駐機場を折り返すようになった。この新赤道発着時代は長く、後述するが2005年まで存在した。

新赤道付近の30番・泡瀬東線の運行ルートと駐機場 1993/06/04撮影
(国土地理院の空中写真【OKC931-C38-15】を筆者が加工)

新赤道発着当時の泡瀬東線の写真をX(Twitter)で見つけたので掲載しておく。泡瀬東線であったが、方向幕には「泡瀬」という地名は全く記載がなかったようである。

なお短期間(約1年間)であるが、57番・美東線が新赤道を発着していた時期もあった。

美里高校前経由・泡瀬営業所発着が新設

1977年の新赤道発着となってからのルート変更は約20年間実施されず、次にルートの変更が行われたのは21世紀になってからである。
変更が行われたと言いつつ、これまでの(知花経由)新赤道発着とは別系統として、美里高校前経由で泡瀬営業所発着となる系統が2004年9月13日に新設された形である。

2004年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

住民の要望により新赤道発着となったが、新赤道団地の利用者数は少なかったようで、営業所からの回送が不要となる泡瀬営業所発着としたい考えがあったようである。

【具志川】具志川市新赤道自治会の花城安勝会長は13日、那覇市の東陽バス本社を訪れ、これまで同区内にあったバス路線の存続を求める要請書を手渡した。同社の変更案では、現路線終点の「新赤道」から最寄りの停留所まで直線距離で約1キロ離れることになる。
同社の普久原総務部長は「現行路線では新赤道団地の利用が少ない上、泡瀬営業所までは空車で回送している。一方で最近できた大型スーパー(ジャスコ)前を通る路線がなく、利用者から新設の要望がある。バス事業の経営環境が厳しい中で、路線をより効率よく配置したい」と理解を求めている。

路線存続求める/東陽バスの変更案に/新赤道自治会(2001年6月14日 沖縄タイムス)

当然ながら、新赤道団地の住民からは反対があったようだが、2004年9月13日より、美里高校前経由・泡瀬営業所発着が運行を開始した。住民の反対を受けてか、既存の知花経由・新赤道発着は存続されたが、1日2本のみに大幅に減便された。
新しいルートでは、上述の新聞記事にもあるジャスコ(現在のイオン具志川ショッピングセンター)前を通るルートとなり、新ルートの方が東陽バスとしても需要があり、かつ無駄な回送がないと判断されたのであろう。

知花経由新赤道発着が廃止され、知花経由泡瀬営業所発着が新設

1日2本のみとなった知花経由・新赤道発着であるが、翌2005年5月16日より、泡瀬営業所発着へと変更され、明道~新赤道は廃止となった。

2005年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この際に、発着系統が無くなった新赤道の折り返し場も廃止されたようである。
なお折り返し場の跡地には、アパート(?)が立地しており、痕跡は全く残っていない。

安里経由から牧志駅前経由に変更

ここまでは沖縄市側でのルート変更が中心であったが、その後は那覇市側でルート変更が行われた。まず2007年の変更から。

従来は、那覇バスターミナルを出発後、国際通りを南端から北端まで突き抜け、北端である安里を経由した後に、姫百合通を南下するルートであった。これが2007年7月1日より、安里より少し手前の牧志を通過後に右折し、牧志駅前を経由して、姫百合通を南下するルートとなった。

2007年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(那覇市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ルート変更に伴い通過し無くなるバス停は、安里と安里駅前(那覇バスターミナル行きのみが停車)の2箇所のみであり、これらのバス停を飛ばして、少しでも混雑する国際通りをショートカット方が効率的と判断されたのかもしれない。
なお牧志駅前は、毎週日曜日の国際通りトランジットモール時に、那覇バスの路線が停車するのみであったが、泡瀬東線の変更により、牧志駅前に日常的に停車するバス路線が誕生することとなった。

牧志経由から美栄橋経由に変更

次に変更が行われたのは2013年のことである。
国際通りを走る区間が短くなった泡瀬東線であるが、2013年12月24日に牧志経由から美栄橋経由に変更となり、完全に国際通りから撤退した。

2013年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(那覇市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

この変更により、少なくとも1955年以降存在した国際通りを経由する東陽バスのバス路線が消滅し、一方で国際通りトランジットモール時以外の日常的に美栄橋経由となるバス路線が誕生した。混雑する国際通りを経由せずに、少しでも定時制を向上させる狙いがあったようだ。

13年12月には同社の運行する30番(泡瀬東線)のうち、慢性的な渋滞により定時運行が難しくなっている那覇市の国際通りを通るルートが見直され、西側のゆいレール美栄橋駅前を通る安里川沿いのルートとなった。

BUS Life vol.4(2016年2月 笠倉出版社発行)p.91

知花経由が廃止

再び沖縄市側のルート変更となる。
2004年に1日2本とはなったものの存続した知花経由・新赤道発着は、前述の通り2005年に泡瀬営業所発着とはなったものの、知花経由の免許保持のためか、廃止されることなく運行され続けた。
ただ末期には更に減便され1日1本となり、免許を保持している必要もないという判断か2016年3月31日をもって廃止された。この廃止に伴い、少なくとも1969年から存在した知花~明道のバス路線は消滅することとなった。

2016年当時の30番・泡瀬東線の運行ルート(沖縄市内の拡大)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

注釈

  1. 沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.16

  2. 旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.104

  3. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.157



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