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57番・美東線の歴史を調べてみた

沖縄県沖縄市には、美東小学校と北美小学校という小学校が存在する。学校名となっている「美東」「北美」という住所としては存在しないが、旧・美里村時代に呼ばれていた名残で、里村のにあるので美東、里村のにあるので北美・・・というのが由来のようだ。
このうち「美東」を冠した57番・美東線というバス路線が、東陽バスによって運行されていた。廃止直前の運行ルートと旧・美里村を重ねてみたが、恐らく美東小学校と同じで、美里村の東側エリアを走ることが由来であろう。

旧・美里村と廃止直前の美東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

美里村からの陳情が運行開始のきっかけ?

1959年頃の新聞記事のタイトルを見てみると、下記のように美里村が村内を一周するバスを要望していたようである。

1959年8月13日 沖縄タイムス
 コザのバス循環線/美里村が認可要請
1959年8月14日 琉球新報
 美里村がバス高江線認可を陳情
1959年12月11日 沖縄タイムス
 村内一周バス/路線の新設/美里村が陳情

沖縄市戦後資料デジタルアーカイブ『Webヒストリート』

これがきっかけなのかはわからないが、1961年8月21日に東陽バスにより、一部でうるま市具志川を経由するが、美里村内を一周する路線として美東線が運行を開始した$${^1}$$。

コザ十字路を起終点とした循環路線として運行開始

開通直前の新聞広告に、概略ではあるが美東線の路線図が掲載されており、これによると美東線は、コザ十字路を起終点とした循環路線だったようである$${^2}$$。
当時の想定されるルートを以下に示す。

1964年当時の美東線の運行ルート(想定)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料$${^3}$$によると、かつて東陽バスはコザ営業所を美東小学校近くに設置していた。恐らく美東線を担当していたのは、このコザ営業所かと思われる。
ちなみにこの当時の東陽バスは、コザ十字路を起終点とする路線として、美東線以外に、泡瀬東線(那覇~与那原~渡口~コザ)、コザ線(与那原~渡口~コザ)があり、コザ十字路は東陽バスにとって主要な終着地だったようである。

泡瀬出張所を起終点とした循環路線に変更

少なくとも1969年9月時点$${^4}$$ではコザ十字路を起終点としていた美東線であるが、1975年3月末時点$${^5}$$では、起終点が第二泡瀬となっている。
当時の運行ルートを以下に示す。

1975年当時の美東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1975年3月末時点で、コザ営業所は廃止されており、新たに泡瀬出張所が沖縄市古謝に設置されている$${^6}$$。第二泡瀬バス停は、この新たに設置された東陽バス泡瀬出張所の目の前にあり、実質は泡瀬出張所前バス停であった。
恐らく泡瀬出張所の新設と同時に、起終点も変更されたのであろう。変更の詳細な時期は不明であるが、前述の資料より1970年代前半であると思われる。

1984年ごろだけ泡瀬出張所~新赤道の路線に変更

1975年以降のバス路線一覧を1年ごとに辿っていくと、1983年3月末時点$${^7}$$までは、1975年時点から変わらず、第二泡瀬を起終点とする運行キロ13.6kmの循環路線であったが、翌1984年3月末時点のバス路線一覧$${^8}$$では第二泡瀬を起点とし、新赤道を終点とする運行キロ5.7kmの短距離路線へとなっている。
当時の想定されるルートを以下に示す。

1984年当時の57番・美東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

57番・美東線が新赤道終点へと変更されたのとまったく同時期に、第二泡瀬を起点とし、東南植物楽園を終点とする92番・東南植物楽園線が運行を開始している$${^9}$$。
第二泡瀬~コザ~知花間は92番・東南植物楽園線に受け渡し、残りの区間を57番・美東線が引き取った感じであろうか。

1984年当時の57番・美東線と92番・東南植物楽園線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

1985年ごろには再び循環路線に変更

新赤道を発着する短距離路線になってしまったのは約1年間のみだったようで、1985年3月末時点のバス路線一覧$${^1}$$$${^0}$$では、再び循環路線に戻っている。またこのあたりで、第二泡瀬から泡瀬出張所前とバス停名も変更されたようである。

1985年当時の57番・美東線と92番・東南植物楽園線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ただ、前述のように泡瀬出張所~コザ~知花は、92番・東南植物楽園線とも一部で重複するためか、運行本数は1日5本にまで減便された。

1987年ごろに沖創団地入口が終点に

1985年ごろに循環路線に戻った57番・美東線だが、約2年後の1987年3月末時点$${^1}$$$${^1}$$で、埋め立てにより誕生したエリアに新設された沖創団地入口が終点へと変更されている。
当時の新聞記事によると、1987年2月2日より地元住民からの要望により変更されたようである。

念願だったバス運行が実現。人口増加の著しい沖縄市泡瀬(池宮城定雄自治会長、526世帯)に2日から路線バスが開通、「これで2キロも歩いて他字のバス停まで行かなくてすむ」と住民を喜ばせている。
 (中略)
運行を開始したのは東陽バス(株)(祖堅方政社長)の美東線。同線はこれまで、泡瀬出張所から高江洲、知花、コザ十字路、高原、大里入り口を回る循環線で、泡瀬は路線に入っていなかった。
このため池宮城自治会長が中心となって、昨年5月から署名運動を展開し、284世帯の署名を集めた。

念願の路線バスが開通/東陽バス美里線/喜ぶ泡瀬住民(1987年2月5日 沖縄タイムス)

当時の運行ルートを以下に示す。

1987年当時の57番・美東線と92番・東南植物楽園線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

一部経路が重複していた92番・東南植物楽園線も同時期に経路を変更したようで、重複区間はコザ~知花のみとなった。重複区間が短くなったことも影響があったのか、沖創団地入口発着への変更と同時に、運行本数は約2倍の1日9~10本となった$${^1}$$$${^2}$$。

2004年に東南植物楽園線と共に廃止

住民からの要望により延長された57番・美東線であるが、赤字路線だったようで、2001年4月には廃止対象路線として名が挙がっている。

バスなどの⽣活路線の確保について、県が中⼼となって国や市町村、事業者らが話し合う第⼆回県⽣活交通確保協議会が26⽇、県庁で開かれ、離島を含むバス会社7社から廃⽌や路線の変更を検討している37路線が⽰された。
 (中略)
バス会社が廃⽌や路線の変更を検討しているのは次の通り。かっこ内数字は系統番号。
 (中略)
▽東陽バス 泡瀬東線(30)美東線(57)県総合運動公園線(58)東南植物楽園線(92)新垣線(59)城間線(⼤名経由、60)

県内バス37路線の廃⽌・変更を検討(2001年4月27日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

東陽バスは4月に具志川市や沖縄市を通る「泡瀬東線」の一部変更、「美東線」の廃止予定を表明している。いずれも赤字や他社との路線競合によるもので、花城自治会長は「両バス路線は高齢者や子どもなどに多く利用されている。ぜひ存続を検討して」と要望した。

住民、2路線存続訴える/東陽バス、泡瀬東線と美東線/具志川市(2001年7月17日 沖縄タイムス)

上記の新聞記事にもあるように、住民からの存続要望もあったようだが、東陽バスは、2002年に民事再生法の適用を申請し、以後赤字路線の整理を進めることとなり、最終的に2004年2月1日をもって廃止された。翌日より、一部経路を引き継ぐ形で、60番・泡瀬循環線と96番・沖縄東中学校線が運行を開始している。なお、同日をもって92番・東南植物楽園線も廃止されているが、こちらの一部経路も、60番・泡瀬循環線と96番・沖縄東中学校線が引き継いでいる。

沖縄総合事務局は26日、東陽バス(祖堅信夫社長)が57番美東線と92番東南植物楽園線の2月2日からの廃止を届け出たと発表した。同時に、両路線の一部の経路を引き継ぐ60番泡瀬循環線と96番沖縄東中学校線を新設する。

東陽バス2路線廃止/来月から同時に2路線新設(2004年1月27日 沖縄タイムス)

以下に57番・美東線廃止直後の関連路線の運行ルートを示す。

廃止直後の57番・美東線と92番・東南植物楽園線の運行ルート
および運行開始直後の60番・泡瀬循環線と96番・沖縄東線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

ちなみに1990年代後半に、泡瀬出張所は沖縄市古謝から、うるま市前原の現在位置に移転しているが、57番・美東線(と92番・東南植物楽園線)の起点は変わらなかったようで、廃止された日まで、泡瀬二区バス停(旧・泡瀬出張所前バス停)を起点としていた。

脚注

  1. 東陽バスの美東線開通/さる21日から運行開始(1961年8月23日 沖縄タイムス)

  2. (広告)美東線開通お知らせ(1961年8月19日 沖縄タイムス)

  3. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.160

  4. 陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.157

  5. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.26

  6. バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)p.48

  7. 昭和57年度 業務概況(1983年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.28

  8. 昭和58年度 業務概況(1984年8月 沖縄県陸運事務所発行)p.28

  9. バス路線が開通/東陽バス/泡瀬⇔東南植物楽園(1984年4月14日 沖縄タイムス)

  10. 昭和59年度 業務概況(1986年8月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26

  11. 昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26

  12. 念願の路線バスが開通/東陽バス美里線/喜ぶ泡瀬住民(1987年2月5日 沖縄タイムス)


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