見出し画像

那覇バスターミナルの歴史(前編)

那覇バスターミナルは、設置されてから1回の移転、2回の建て替えを行っている。建て替えも代変わりとすると現在のバスターミナルは4代目となる。初代から4代目に至るまでの歴史を整理してみた。

初代は現在の那覇市役所がある場所に建設

初代那覇バスターミナルに関する情報は、那覇市議会録が一番詳しいと思われる。
まずは、1954年8月の議事録から。

審査に当りましては最初に主管部当局からバスセンター設置に関する今日迄の経過を聴取致したのでありますが、この問題は當初、政府工務交通局としては陸運行政面から警察局は交通取締り面から、市当局は都市計画面から總ゆる角度から十分なる検討を加え、前後数回に亘って三者合同会議を持って今日の成案を得た、即ち「バスターミナルの設置場所を武徳殿裏側に設置することとし、完成後の牧志街道については、車の発着場は認めるが、停留所を数ヶ所設置することとし尚路線についても例えば国頭、石川、屋慶名方面を牧志街道に、糸満、知念方面を開南通りに停留所を設けるといった具体的計画について目下検討中の様であります。

那覇市議会 1954年(昭和29年)第回臨時会-08月27日-01号
太字は筆者によるもの

これによると「武徳殿」の裏側にバスターミナルを設置するとあり、これが初代那覇バスターミナルのことである。「武徳殿」とは当時あった武道場のことであり、1989年9月に解体され跡地は沖縄県議会棟敷地の一部となっている$${^1}$$。この裏側にバスターミナルを設置したとあるが、現在の那覇市役所が立地している場所のことである。

位置関係を2010年9月時点の航空写真上に示してみた。

初代那覇バスターミナルの位置 2010/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【COK20101-C12-8】を筆者が加工)

また、初代バスターミナルが存在した1959年7月当時の航空写真を以下に示す。

初代那覇バスターミナルと2代目那覇バスターミナル(建設中) 1959/07/30撮影
(沖縄県公文書館所蔵の空中写真【写真番号:373-ON084030_080】を筆者が加工)
初代那覇バスターミナル(拡大) 1959/07/30撮影
(沖縄県公文書館所蔵の空中写真【写真番号:373-ON084030_079】を筆者が加工)

画質があまりよくないが、初代バスターミナルの位置に、バス車両らしきものが確認できる。またこの当時、既に2代目那覇バスターミナルが建設中である(後述するが2代目は1959年9月1日に開設)。

続いて1954年12月の議事録である。

市内交通の秩序維持とバスセンターの設置について
一、基本的方策
那覇市都市計画に基く牧志線改修工事の完成を機会に次の事項を実施する
1.市内における自動車交通の秩序を確立することにより交通安全の完璧を期し、都市機能の円滑な運用をはかり、もって公共の福祉を増進するため、市内のバス営業所を廃止する。
2.バス輸送の秩序を確立するとともに一般需要者の利便をはかり、バス事業の適正な運営及び公正な競争を確保することによりその総合的な発達を図りもって公共の福祉を増進するためバスセンターを設置する

参考
1.「市内」とは旧那覇市及び真和志市をいう。但しバスセンターを除く
2.「バス営業所」とは主として旅客を誘致する目的で旅客に対し「サービス」を提供する場所(旅客荷扱所 切符販売所その他営業活動の場所)をいう。

那覇市議会 1954年(昭和29年)第2回定例会-12月14日-01号
太字は筆者によるもの

バスターミナルがなかったこの当時は、各社が牧志街道(現在の国際通り$${^2}$$)周辺にバス営業所を設置し、そこから乗降する形であった。すなわち、今の感覚からすると不便極まりないが、同じ行き先でもバス会社によって発着地が異なっていた。
この議事録によると、これらのバス営業所を廃止し、その代わりにバスセンター(バスターミナル)を設置するとされている。なお、1つ前の議事録によると、バスターミナルの完成後は、牧志街道上にバス停を設置するとあり、これが現在の国際通りに設置されているバス停の前身となる。

初代は仮バスターミナルとして建設

続いて1955年5月の議事録である。

本請願書は四月二十日付で会議規則第五十九条の規定に基き議長から建設委員会にその審査を付託されたものでありまして本請願の要旨は既に御手元に配布されました請願文書表にあります通り昨年十二月五日から従来のバス営業所が全面的に廃止され都心を遠く離れた現在位置に仮バスセンターが設置されたため通り会の企業者は営業が極度に不振となり従来のバス営業所近接一部業者は既に廃業の憂目を見、この地区一帶の通勤者は交通不便を訴えている現状でこの亊態がその侭継続されるにおいては倒産者又は転廃業者が続出し前途暗澹たるものがあり、商業都市としての大那覇市は商業人及び從亊者が那覇人でその過半数を占め高額の所得税及び諸税も負担し政府並びに市財政に積極的に協力しております面から考えます時是非東陽バスの営業所復活存置は急を要する問題でありますれば貴議会におかれては私共の窮状を御憫察賜り早急に施設の完備せる旧東陽バス営業所の復活存置方に関し善処せられたいというのであります

那覇市議会 1955年(昭和30年)第4回臨時会-05月23日-01号
太字は筆者によるもの

これによると、初代那覇バスターミナルは1954年12月5日に開設されたということが確認できる。また予定通り、従来のバス営業所(バス乗り場)は廃止されたようである。
この議事録上では「仮」バスセンターとなっているが、1957年9月の議事録によると、那覇市の都市計画を円滑に進める関係上、バス乗り場の集約が急務だったようで、そのために市有地に暫定のバスターミナルを設置したようである。

皆様も御承知の通り都市計画の為今迄市内要所要所にバス会社の駐車場があったのを都計をスムースに進行させる為に恒久的なバスターミナルを建設する間暫定的に假バスターミナルに、集って呉れと云う風に市から依頼して向うに收容したと云うことは、誰れも否定出来ません。

那覇市議会 1957年(昭和32年)第20回定例会-09月28日-10号

仮バスターミナルとは言え、各社の営業所を廃止してまで設置された施設であるので、これを初代バスターミナルの扱いとしたいと思う。

2代目は建設・運営の主体が二転三転

初代はあくまで仮バスターミナルであったため、開設の約2年後には、早くも2代目バスターミナル設置に関する議論が議事録には残っている。議事録からの引用は煩雑となるため、要点だけを時系列にまとめなおしてみた。

  • 1956年3月に恒久的な那覇バスターミナルを、旭町の旧那覇駅の敷地に建設することを決定$${^3}$$。

  • 1956年4月に那覇市がバスターミナルを建設、運営することが市議会で決定$${^4}$$。建設費は全額債権で賄う予定であったが、用地買収費は未検討$${^4}$$。

  • 那覇市とバス会社6社(昭和産業、沖縄バス、那覇交通、東陽バス、沖縄青バス、首里バス)が共同出資したバスターミナル会社を設立し建設、運営する案に変更$${^4}$$。

  • 那覇市とバス会社との間で出資比率の問題が解決せず白紙に戻り、市の直営工事案に再度変更$${^4}$$。一方でバスターミナル会社は、市有地(保留地)を買収して、独自にバスターミナル事業を進めようと検討$${^4}$$。

  • 1958年7月に那覇市の財政的に保留地の買収が困難であることから、バス会社に保留地を譲渡(バスターミナル会社が買収)することを決定$${^5}$$。

当初は市営を予定していたものが二転三転し、最終的にバス事業者が出資した那覇バスターミナル株式会社が建設、運営する方向になったようである。
沖縄バス30周年誌によると、1957年7月11日に那覇バスターミナル株式会社が設立されたとあり、これが前述の独自に事業を進めようとしたバスターミナル会社のことであろう。最終的に市営が断念されたのが1958年7月のことなので、前年にはバス会社側で動き出していたようだ。
沖縄バス30周年誌によると、2代目バスターミナルの運用開始は1959年9月1日とのことなので、仮であったはずの初代那覇バスターミナルは結局5年近く運用された。

昭和32年(1957)7月11日那覇バスターミナル株式会社が創立され、恒久的バスターミナルの建設に努力していたが、仮ターミナル建設から5ヶ年目にして戦前の那覇駅跡に第一期工事が完了し、昭和34年(1959)9月1日新築のホームからバスが発車し、乗客の利便を計った。

沖縄バス30年のあゆみ(1981年6月 沖縄バス発行)p.16

構想で終わった2代目バスターミナルの本館建設

1970年5月当時の航空写真を以下に示す。

2代目那覇バスターミナル 1970/05/12撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701-C11-12】を筆者が加工)

現在地と変わらない場所に2代目那覇バスターミナルが確認できる。現在の国道329号側に建物があるが、これがターミナルビルであり、2階建てのビルであった。

このターミナルビルの中に各社の営業所が入っていたようだが、これは正式には別館であったようである。では「本館は?」ということになるが、当初はバスターミナルの敷地中央部に建設予定であった。ただ、最終的に建設されることは無かった。

しかし、でき上がったのは別館(バスの発着所と各バス会社の営業所)だけで、肝心な本館がまだ着手されていないので片手落ちの状態であり、本館の早期建設が望まれている。那覇バス・ターミナルKKが57年に設立され直ちに本館、別館工事に着手する予定だったが、敷地問題の解決がおくれたため計画は総くずれとなり、59年8月に534坪の2階ブロック建、総工費16万6000ドルを投じて別館だけ完成した。

沖縄 交通機関の歩み 戦前・戦後編(1979年7月 大城辰雄 著)p.51~52

旧ターミナル建設当初から、旧ビルは「別館」と称し、敷地中央部に「本館」建設の夢を温め、また復帰前後には「ターミナル総合計画」もあったがそれらは日の目をみぬままであった。

バス業界7.30の記録 沖縄の交通方法変更記念誌(1980年2月 7.30交通方法変更記念誌刊行委員会)p.75~76

敷地中央に本館を建設したら駐機場の施設が無くなるのでは・・・と思ったのだが、1963年に那覇バスターミナル株式会社は旭町地先公有水面埋め立て地の一部を買収しており、これがもしかしたら駐機場の予定の土地だったのかもしれない。3,000坪という広大な土地を買収しているが、前述の1970年当時の航空写真ではそれらしき敷地は確認できないので、本館の建設を断念した際に、不要となったため他所に売却されたのか?

 次に、議案第42号「旭町地先公有水面埋立地の一部を随意契約で那覇バスターミナル株式会社に売却処分することについて」御説明申しあげます。
 本案は、事業の公益性と交通量緩和の問題解決に資するため、同埋立地のうち仮地番3号3,000坪を随意契約で那覇バスターミナル株式会社に売却処分し、提案理由に示すとおりの諸費目に充当するための議案であります。
 同社はこの埋立地を購入することによつて、同地に駐車場、修理工場、従業員の厚生施設及び給油所を設置するとともに、現在のターミナル敷地の高度の利用化をはかり、バスターミル本来の目的に沿うべく「十分な使命を果し得るよう改善したい」との計画をもつております。

那覇市議会 1963年(昭和38年)第57回定例会-06月01日-01号
太字は筆者によるもの

本館は完成しなかったものの、初代同様にバス営業所機能を引き継いでいたためか、洗車機や給油所もあり、施設としてはかなり充実していたようである。

【沖縄バス/アーカイブスVOL.372】 ~給油施設もありました☆~ こちらはナナサンマル前の那覇バスターミナル☆現在のターミナルにはありませんが、この時代は構内に給油施設がありました☆ #沖縄バス #おきバスアーカイブス

Posted by 沖縄バス株式会社 on Wednesday, December 2, 2020

3代目以降は後編で

長くなってしまったので、3代目からは後編にしたいと思う。


脚注

  1. 那覇市歴史博物館:武徳殿跡(ブトクデンアト)

  2. 那覇市歴史博物館:県道開通80周年記念 あの頃の国際通り

  3. 那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-07月02日-09号

  4. 那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-06月14日-03号

  5. 那覇市議会 1958年(昭和33年)第24回定例会-07月10日-11号


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?