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沖縄こどもの国と路線バスの歴史

沖縄市にある沖縄こどもの国へ乗り入れる路線バスは、市内を循環する沖縄市循環バス(コミュニティバス)のみである(2024年1月時点)。ただ、かつては、那覇交通と琉球バスによるバス路線が発着していた時代が、短期間存在した。


開園は1970年5月5日

沖縄こどもの国の開園は1970年5月5日である$${^1}$$。
この前後の新聞記事$${^2}$$や図面$${^3}$$等をみても、バス停が設置されていたような情報が見当たらないことから、開園当初の時点では、路線バスは乗り入れていなかったようだ。こどもの国が開園した1970年代は、中城公園への路線バスが大幅に減便されたり、名城ビーチへのバス路線が廃止されたりで、行楽地への移動は自家用車に移行しつつあった時代であり、こどもの国へのアクセス手段として、路線バスに乗り入れてもらうという案自体が無かったのかもしれない。

初の路線バス乗り入れは1986年

沖縄こどもの国へ初めて路線バスが乗り入れたのは、開園から約15年が経過した1986年6月20日のことである。当時の新聞記事を抜粋して以下に示す。

那覇交通(銀バス)は20日から従来の空港線を廃止し、代わりにコザ線(開南経由)を空港まで延長する。また同線は沖縄こどもの国入り口まで路線を延ばし、行楽客の便宜を図る。従来、同線の通っていた島袋公民館前、島袋、泡瀬ハイツ、ひの木保育園前、スーパー島屋前のバス停は休止となる。今回廃止されるのはターミナル、上泉、県庁南口、琉銀本店前、久茂地を通って空港に向かう⑦新空港線。それをカバーして、空港まで路線を延ばすのが従来のコザ線(開南経由)で、名称も「102空港子供の国線」
那覇バスターミナルを発着点に運行していた同線は、今回の路線再編で空港を起点とし沖縄こどもの国が終点となる。また、これまで同線はコザ中校までしか走らず、沖縄こどもの国入場者は不便をかこっていたが、今回の再編で沖縄こどもの国を終点にして、行楽客の便宜を図る。

空港線を廃止しコザ線がカバー/銀バス(1986年6月13日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

那覇市の那覇バスターミナルと沖縄市の胡屋を結んでいた那覇交通の102番・コザ線を、那覇側は那覇空港まで、胡屋側は沖縄こどもの国に延伸したうえで、102番・空港こどもの国線と路線名も変更して、乗り入れを開始した。当時の運行ルートを以下に示す。

102番・空港こどもの国線(新設)と102番・コザ線(廃止)の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
102番・空港こどもの国線(新設)と102番・コザ線(廃止)の運行ルート
(沖縄こどもの国周辺の拡大図)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

途中経路は、前身の102番・コザ線を完全に踏襲していたことから、琉球大学を経由するなど、行楽地へ向かう路線としては違和感のある経路であった。
なお、1日19本が運行されていたようである$${^4}$$。

1993年には乗り入れが廃止

102番・空港こどもの国線は、1993年2月28日をもって、普天間~沖縄こどもの国が廃止され、102番・空港普天間線へと変更された。

那覇交通(銀バス)は3月1日から那覇市内と市外4路線を一部変更する。変わるのは運行系統番号1番の首里識名線、12番の末吉線、45番の三重城与根線と102番の空港こどもの国線。南風原町・新川営業所の廃止と豊見城村・与根折り返し運行の廃止による那覇市・具志営業所への移管、宜野湾市普天間と沖縄こどもの国間の路線廃止に伴うもの。いずれも1月下旬に沖縄総合事務局運輸部から認可された。

銀バス、4路線を一部変更/普天間~こどもの国路線など廃止 来月1日から(1993年2月27日 沖縄タイムス)
太字は筆者によるもの

この変更に伴い、必然的に沖縄こどもの国へ乗り入れるバス路線は廃止となった。沖縄こどもの国への乗り入れは約7年間のみであった。

102番・空港こどもの国線(廃止)と102番・空港普天間線(新設)の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

なお、廃止直前の1990年3月末時点でも、運行本数は変わらず1日19本が運行されていたようである$${^5}$$。

102番・空港こどもの国線の廃止後は、10年ほど沖縄こどもの国へ乗り入れる路線バスが存在しない時期が続くこととなる。

2004年に再度乗り入れが開始

沖縄こどもの国は、2004年4月15日にリニューアルオープンしており、この際に路線バスの乗り入れが再開されている。

動物園と子ども科学博物館が一体化した国内初の施設、沖縄こども未来ゾーン(新生・沖縄こどもの国、沖縄市胡屋)が15日、オープンする。
 (中略)
交通アクセスを向上させるため、琉球バスは15日から、未来ゾーンと名護、那覇の両バスターミナルを結ぶ新路線を開設する。

新生・沖縄こどもの国/あすオープン(2004年4月14日 沖縄タイムス)
太字は筆者によるもの

乗り入れを開始したのは、琉球バスの22番・那覇こどもの国線と26番・名護こどもの国線の2路線であり、那覇バスターミナル~沖縄こどもの国の那覇側を22番、名護バスターミナル~沖縄こどもの国の名護側を26番が担う形であった。なお、完全に新設では無く、那覇バスターミナルと名護バスターミナルを結んでいた既存の21番・名護東線を、沖縄こどもの国を境に南北に分割する形での運行開始であった。

沖縄市胡屋の沖縄こどもの国のリニューアルオープンに合わせ、琉球バスは15日から「21番名護東線」を減便し、こどもの国と名護、那覇の両バスターミナルを結ぶ2系統を新設する。12日、沖縄総合事務局が同社へ認可証を交付した。
沖縄市の要望を受けた新設路線は「26番名護こどもの国線」「22番那覇こどもの国線」。26番線は上下合わせ34本、22番線は同28本(いずれも平日)が運行する予定。

こどもの国線 琉球バス新設/リニューアルオープンで

当時の運行ルートを以下に示す。

21番・名護東線、22番・那覇こどもの国線、26番・名護こどもの国線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

那覇側の22番・那覇こどもの国線は、伊佐経由の21番・名護東線を踏襲する経路となったため、かつての102番・空港こどもの国線とは全く異なるルートであった。
運行本数は、22番・那覇こどもの国線が1日14本(上下合計で1日28本)、26番・名護こどもの国線が1日17本(上下合計で1日34本)であった。なお、分割前である21番・名護東線も、こどもの国を跨いだ移動需要を担うためか、2路線(22番・26番)と完全に経路が重複はするが、廃止されることは無かった。ただし運行本数は、1日22本であったものが1日4本と大幅に減便されている。
なお、沖縄こどもの国への乗り入れルートは、かつての那覇交通とは異なるルートとなった。

21番・名護東線、22番・那覇こどもの国線、26番・名護こどもの国線の運行ルート
(沖縄こどもの国周辺の拡大図)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

2006年に那覇方面からの乗り入れのみに

2006年9月1日より、琉球バスは琉球バス交通となったが、この移管と同時にこどもの国関連のバス路線も下記のように再編が実施された。

21番・名護東線、22番・那覇こどもの国線、26番・名護こどもの国線の運行ルートの変化

こどもの国のリニューアルオープンに伴い、2004年から那覇方面と名護方面からの乗り入れ路線が新設されたが、名護方面からの需要は少なかったようで、2006年8月31日をもって26番・名護こどもの国線は廃止となった。
那覇方面からの22番・那覇こどもの国線は、終点が沖縄こどもの国から具志川バスターミナルに変更されたが、こどもの国への乗り入れ自体は存続し、22番・こどもの国宮里線と変更され運行を続けた。この際に、宜野湾市内では、従来の伊佐経由から、真栄原・沖縄国際大学経由へと変更され、うるま市内の延伸部分でも、廃止された26番・名護こどもの国線の赤道十字路を経由するルートではなく、具志川高校前を経由するルートとなった。
なお既存の那覇~名護を結ぶ21番・名護東線は、この再編時に那覇~安慶名間が廃止され、26番・名護こどもの国線を具志川バスターミナル止まりに短縮した路線へとなった(その後、2008年9月30日をもって21番・名護東線は廃止)。

21番・名護東線、22番・こどもの国宮里線、26番・名護こどもの国線(廃止)の運行ルートOpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

運行本数の推移を以下に示す。なお断面で見ると、2004年の運行開始時に減便となっているが、2006年の再編時には増便となっている。

運行本数の変遷

2009年に乗り入れが廃止

うるま市まで延伸された22番・こどもの国宮里線であるが、その約3年後である2009年4月19日をもって廃止された。前身である22番・那覇こどもの国線を含めても、約5年のみの乗り入れであった。
なお、2007年9月25日に22番・こどもの国宮里線の沖縄こどもの国を経由しないバージョンの路線として、110番・長田具志川線が誕生している(新設では無くルート変更により誕生)。この時に誕生した110番・長田具志川線は、2024年1月現在でもルートが変わらず存続していることから、やはり沖縄こどもの国への路線バスの需要が無かったのであろう。

22番・こどもの国宮里線、110番・長田具志川線の運行ルート

現在はコミュニティバスが乗り入れ

沖縄市外からの路線バスは2024年1月現在も運行されていないが、冒頭でも述べたように、市内を循環する沖縄市循環バス(コミュニティバス)が乗り入れている。

脚注

  1. 沖縄こどもの国の開園はいつだったのか(ず@沖縄)

  2. 【FILMS】沖縄こどもの国・こどもの国まつり(沖縄アーカイブ研究所)

  3. 沖縄こどもの国 1970年 文書関係(1970年6月1日 琉球政府厚生局民生部)p.79

  4. 昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.30

  5. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29

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