見出し画像

かつて存在した名城ビーチと路線バス

2022年7月23日に沖縄県糸満市名城に「琉球ホテル&リゾート 名城ビーチ」が開業し$${^1}$$、同時に東京バスによる那覇市内からの路線バスが運行を開始している$${^2}$$。
このホテルが建設された地には、かつて有料ビーチである「名城ビーチ」が営業されていた。また、当時の琉球バスによって、糸満バスターミナルからの路線バスも運行されていた。

行楽地としてにぎわった名城ビーチ

名城ビーチは、南部地方では有数の行楽地だったようで、幾つか映像も残っている。
【FILMS】おめでた10ヶ月 名城ビーチ(沖縄アーカイブ研究所)

名城ビーチへの路線バス

名城ビーチへの路線バスは、1965年1月時点のバス路線一覧$${^3}$$に記載がある。糸満(バスターミナル)を起点とし、名城ビーチへ至る5.4kmの路線で、当時の路線名は「名城線」であった。運行本数は9本/日との記述がある。

その10年後の1975年3月末時点のバス路線一覧$${^4}$$では、系統番号88番が付与され、糸満~名城ビーチ間を運行する「名城ビーチ線」の記載がある。運行距離が5.4km、運行本数が9本/日となっていることから、これが1965年当時の名城線のことだと思われるが、運行ルート等を含めて全く変わっていないようである。

手元には88番・名城ビーチ線の路線図がないため、正確なルートは把握できていないのだが、1975年当時のバス路線一覧に記載のある経由地の情報によると、起点の糸満バスターミナルから途中の小波蔵までは、87番・喜屋武線と同じだったようである。87番・喜屋武線は、107番/108番・南部循環線の前身であるので、糸満~小波蔵間のルートは下記のように概ね予想がつく。

糸満バスターミナル~喜屋武のルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

問題は小波蔵から先のルートが異なる区間であるが、これは1970年9月当時の航空写真を見てみると解決した。小波蔵~名城ビーチのバスが通れるようなルートは1つしかないためである。以下に1970年9月当時の航空写真を示す。

小波蔵~喜屋武および名城ビーチへのルート 1970/09/27撮影
(国土地理院の空中写真【MOK701X-C24-7】を筆者が加工)

小波蔵~名城ビーチ間は約1.6km、小波蔵~喜屋武間は約1.5kmと、87番・喜屋武線の方が約0.1km短いが、これは前述の路線一覧に記載されている運行キロ(87番・喜屋武線:5.3km、88番・名城ビーチ線:5.4km)とも一致するので、このルートで間違いないであろう。

なお、1975年当時の運行本数は1日9本とあまり多くはないが、ほぼ並行していた87番・喜屋武線の1日7本よりも多く、それなりの需要はあったようである。

ビーチの閉鎖より先にバス路線が廃止

名城ビーチ線の廃止時期の詳細は不明だが、1975年3月末時点のバス路線一覧$${^4}$$には記載があり、1977年3月14日時点のバス路線図$${^5}$$には記載がないことから、1975年4月~1977年3月の間に廃止になったと想定される。
中城公園への路線バス(58番・中城公園線)が、4社運行から1社運行に規模を縮小したのが1970年代前半であることから、この時期はレジャー施設への路線バスの需要が減少しつつあった時期かもしれない。

名城ビーチは、バス路線が廃止された後も営業を続けていたが、糸満市議会録によると、2006年6月30日をもって営業を終了したようである。

名城ビーチの閉鎖の時期と今後の計画については、管理をしているコンサルタントによりますと、名城ビーチは平成18年7月1日に閉鎖したということでございます。また今後の計画については、昨今の不景気により見通しは立っていないということであります。

糸満市 平成22年第1回糸満市議会定例会会議録 03月17日-07号

なお、Googleのストリートビューには、閉鎖後の名城ビーチの入場ゲートが写っている。

脚注

  1. 「琉球ホテル&リゾート 名城ビーチ」が開業/443室、全室オーシャンビュー/沖縄・糸満市(2022年7月23日 琉球新報)

  2. 那覇空港と糸満・名城ビーチを結ぶリムジンバスが運行開始/車内で無料Wi-Fiも/東京バス(2022年7月23日 琉球新報)

  3. 旅客自動車輸送実績報告書 各バス会社(1967年 琉球政府通商産業局運輸部)p.3

  4. 昭和50年度 業務概況(1975年7月 沖縄県陸運事務所発行)p.28

  5. 運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?