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「マウンティング」という言葉が使われ始めたのはいつからか?

最近は当たり前のように使われる「マウンティング」という言葉。「マウントをとる」「マウントする」などの活用まで現れていますが、どんな意味なのでしょうか?


その意味を知るために調べていたところ、「マウンティング」という言葉が一般に知られるきっかけになったこの本がヒットしました。

マウンティングとは,女性同士の関係性の中で「自分の方が立場が上」であると思いたいために,言葉や態度で自分の優位性を誇示してしまう現象

出典:「女は笑顔で殴り合う マウンティング女子の実態」
瀧波ユカリ,犬山紙子 筑摩書房 2014/2/8

この本の中で、上記のように定義されたのが初めてと言われています。

マウンティングについては、2022年に『マウンティングエピソードの収集とその分類:隠蔽された格付け争いと女性の傷つき(お茶の水女子大学心理臨床相談センター紀要 第23号 森 裕子, 石丸 径一郎 2022/3/1)』にて、研究がなされています。

やはりこちらの論文でも、2014年の瀧波・犬山両氏の本が取り上げられて、マウンティングという言葉が一般化したとしています。


ちょうどこの2014年の秋~冬ドラマで、当時話題となった作品がありました。

沢尻エリカさんが主演のファッション業界における女子のマウンティングを描いた壮絶なドラマ。毎週、誰が犠牲になり、誰がマウントをとるのかが話題になるほどの人気を博していました。(見ていると苦しくなるので、わたしは苦手でしたが・・・)


もともとは、動物が交尾の際にとる行動を指していました。

それが1990年代後半の格闘技ブームで、相手に馬乗りになることを「マウントポジション」「マウンティング」と呼び、格闘技ファンの間で流行ります。(ヒクソン・グレイシーがマウントポジションをとったら試合終了は確定的でしたね)

ところがそこから15年ほどたった2014年に、前述の本が発売やドラマの影響から、マウンティングは「人間関係において優位に立つこと」という意味づけがされ、あっという間に広まりました。


実際、Google Trendsで検索結果を調べてみると、興味深いデータが出てきました。

「マウンティング」
2004年~2024年 Google Trends

「マウンティング」は格闘技ブームのおかげもあって、ずっと検索されていましたが、2015年あたりから急上昇しています。


「マウントとる」「マウントを取る」「マウントをとる」
2004年~2024年 Google Trends

「マウントとる」「マウントを取る」「マウントをとる」という言葉で検索されるようになったのは2017年頃からです。マウンティングから徐々に言葉が変化していったことが見て取れます。


「マウント」
2004年~2024年 Google Trends

ところが「マウント」という言葉では、ずっと検索され続けてきたことがわかります。
実は「マウント」はもともと一眼レフカメラの本体とレンズを取り付ける接点部分を表す言葉だったんです。(EFマウント、Fマウントなど)
そのため、一眼レフ〜デジタル一眼のカメラブームとともにずっと検索されてきたわけですね。

しかし検索結果として表示される内容は、やはり2014年頃から変化しており、「マウンティング」「マウントをとる」といった言葉とともに「相手より優位に立つ」という意味がヒットするようになりました。


では、マウンティングという言葉が使われる以前は何と呼んでいたのでしょうか?
そのヒントになるのが、2013年に発売された「格付けしあう女たち」(白川桃子)です。

そうです、「格付け」です。
さらに気になるのが、サブタイトルの『「女子カースト」の実態』というフレーズです。

「カースト」とは、ヒンドゥー教における身分制度に由来する言葉です。バラモン(祭司)・クシャトリヤ(武士)・ヴァイシャ(平民)・シュードラ(隷属民)の身分が血統・家系として引き継がれるというものです。一生変わることのない絶対的な身分制度として批判を浴び、現在では撤廃されたと言われています(が、一部では根強く残っているとの批判も)。

この「カースト」という言葉が独り歩きし、ネットスラングとして使われるようになったのが「〇〇カースト」の由来です。
さらに「〇〇カースト」の原型になったのが、「スクールカースト」と言われています。

2012年に発売されたこの本は、当時大きな問題となっていた学校内でのいじめの構造を、カースト制度に倣って表現したことで話題になりました。

いまでもこの「教室内(スクール)カースト」はいじめを学校の構造的な問題として捉えたことに対して一定の評価を集める一方、インタビューに応じたのは一部の若い教師だけだったため「スクールカーストを容認している」と批判されることも多いのは事実です。


さらに遡ると、2009年の「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」(内藤朝雄)や、2007年の「いじめの構造」(森口朗)に、スクールカーストの原型が見て取れます。

1995年が日本におけるインターネット普及のターニングポイントとされています。インターネット黎明期に生まれた子どもたちが2007年に中学生となり、ネット経由の陰湿ないじめに遭うこととなった……というのが、この本の発売時期と重なります。また、インターネット上に晒されるデジタルタトゥーの問題が表出し始めた頃でもあります。

学校だけでなく、インターネットを通じていつでもどこでもマウンティングされる状況になり、多感な子どもたちが(直接の被害者でないにしても)いじめの構造に組み込まれて、まるでカースト制度のように縛られ続けていたと考えると心が痛みます。

わたしは当時も専門学校教員として、高校時代までに傷つき、苦しみ、自己否定感に染まった学生たちと相対していました。いかにして前を向いて生きていけるように変化できるか、どうやって大人へと成長させて社会へ送り出せるか、と頭を悩ませていたことを思い出します。少なくともその要因の一つは「スクールカースト」にあったことは否定できません。


時代が変わり、いまは「マウンティング」という言葉になりましたが、やはり自分が上の立場にならないとうまく生きていけないという人間を生み出し続けていることに、心が苦しくなります。カスハラ問題も、言い換えれば「店員に対するマウンティング」なわけですし、「金を払えば上に立てる」という誤った学習の産物であることは明白です。

「マウントをとらないと生きていけない人」が一定数いるというのは、もしかすると強い承認欲求と自己肯定感の低さが要因にあるのかもしれません。無条件に受け入れられるという経験に乏しく、「上に立たなければ認めてもらえない」という誤った学習を取り除くことができないまま大人になってしまったのかもしれません。

そこには長く続いた日本の不況が、未来への希望を持てないまま目の前の損得だけで価値判断をする「超現実主義」を生み出してしまったのでは・・・とも考えてしまいます。

いま、キャリアカウンセラーとして多くの方と関わっていますが、年々「誰からも無条件の受容をされてこなかった人」が増加傾向にあるという印象が強くなっていることを懸念しています。自分で自分を認めてあげたり、条件付きではない他者からの承認を受ける機会がなかったのでしょうか。言葉の端々に他責で攻撃的な面が見える方が多くなった感じがします。


「日本を変えるには教育から」という考えには大いに賛同します。
一方で、スクールカーストの時代を生き抜いたうえで教員となった世代が、いま小中高の教員として活躍するボリュームゾーンになっています。
果たして先生方がどこまでマウンティングやカーストの問題を撤廃しようと考え、日頃から本気で取り組んでいるのか・・・と考えると、この問題は非常に根深いことが見えていきます。

幸い、わたしの仲間たちはわたしと思いを同じくし、それぞれのステージでこの問題を解消しようと必死に取り組んでいます。どうかこの熱い想いが少しでも広がって、世の中を変えていけるようになることを祈っています。

と同時に、わたしも残る教員人生において、まずは手の届く範囲から子どもたちを変えていきます。少なくともわたしと接したことで人生に明かりが灯ったと感じてもらえるよう、誠実に実直に本気でぶつかっていくことを約束します。誰もが安心して暮らせる未来のために、自分のステージでもがきながら、問題に立ち向かっていきます!




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